神の使者から奇跡の道へ その85~毎日毎分、刻一刻、あなたは・・

「毎日毎分、刻一刻、あなたは恐怖の時間が
愛の座を奪ったあの一瞬を再び生きている
だけである」

飯島さんはかって「みんな死んでいるようなものです」
といいながら「死はない」とも言われました。

死んでいるように生きているって
どんなことでしょうか。
「愛」の座を奪ったあの一瞬・・・。
そうですね「分離」したあの一瞬かも。
そして人生上で常に「分離」しがちな自分。
だから分離しているかぎりは真に生きているとは
いえず、「死んでいるようなもの」かもしれません。
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神の使者から奇跡の道へ その84~知覚とは、自分自身が・・

「知覚とは、自分自身がなりたいものや、
住みたい世界や、自分の心が充足し満足すると
思える状態についての選択」

結局、自分の心が望んでいる状態が今。?
え~~??!!
こんないやなことも。?

なのですが、そのいやなこと、いやな出会いも
実は自分のすがた映してくれる貴重な贈り物
なんでしょうか。?

ところが逆に自分が見ている世界から何らかの
満足を得られるという希望を、依然として
抱き続けているのなら、大変に奇妙なことでもあります。

何故なら、知覚の基本的な法則は、
「人は自分が見るものを喜ぶ。
人は喜ぶために見るからである。」

見るものに対して、苦しみと罪が喜びをもたらして
くれるとあなたが信じている間は、
あなたが見るべくそこに存在し続けるようです。

「あなたが神のための手段である。
あなたは神から分離してはおらず、
神の生命と別の生命をもっているのでもない。」

神我顕現の道が人生。?

「知覚とは、自分自身がなりたいものや、
住みたい世界や、自分の心が充足し満足すると
思える状態についての選択」

神の使者から奇跡の道へ その82~神の強さを自らの内に・・・

「神の強さを自らの内に自覚している者たちは
戦いというものを考えることさえできない」

すぐ戦って勝とうとしてしまったり、
すぐに裁こうとしがちですね。
過ちも、善も悪も、正も邪もないのに。

信じられませんが、ほんとうは完全無欠であるすべての人は
そのようなことを考えますと、自分の完全無欠性を
失うだけですね。

戦って勝ち取れるものは、ただの肉体に関するものだけ。

自分が一切を持っていることを知っている者は、
制限することなど追及しないで、肉体が提供するものに
価値を見出すことはありえませんね。

父の目的を共有し、それを自分のものと知る者たちには
一体何が与えられているのでしょうか。

きっと彼らには何も不足していないし、いかなる
種類の悲しみも考えられないのでしょう。

そして彼らの愛する光のみが自覚され、愛のみが
彼らの上に輝く。
それが彼らの過去であり、現在であり、未来であり
このすべてが同一で、永遠に完全で、全一に共有されている。

さらに彼らは自分たちの幸福がどのような変化にも
みまわれないと知っているのでしょうか。

「神の強さを自らの内に自覚している者たちは
戦いというものを考えることさえできない」

神の使者から奇跡の道へ その81~中庸な信念というものはない

「中庸な信念というものはない」

一般的に良いこと、とか正義とか、道徳とか
いうものについても、それを守ると言うことは
その人の信念になりますね。

平等感もまた信念。

でもどの信念をとっても、自分が下す決断であって、
その決断の一つひとつを指図する力がありますね。

中庸はゼロですから力はないですね。
あるとしたらしいて言えば中庸力。

どんな決断も分離した考えの中からのものですから、
罪悪と言えて、ですから決断の後には必ず
苦しみが生じます。

分離していないという無罪性の後には逆に必ず
自由が生じるようです。

もし分離していないのならば。相手の自己が自分の
知っている自分の自己ですから、どうして相手を
憎むことなどできるのでしょうか。
特別な者たちだけが敵を持つことができます。

比較とは自我による仕組みに違いなく、愛はいかなる
比較もしませんね。

特別性は常に比較します。

「愛とは延長である」

「中庸な信念というものはない」

神の使者から奇跡の道へ その80~あなたの周囲にあるもので・・・

「あなたの周囲にあるもので、あなたの一部で
ないものは一つもない」

えっと・・、周囲にあるもののすべて。?
机もイスも床も、ペットも。?
そして毎日お会いする手ごわいあの人もですか。?

み~~んな自分。?

ということはもちろん人とも境目がなく、
物質とも境がない。
目に見えるものすべて。?

う~~~ん。

うなりそうです。

でももしそうだとしたら逆に、
この世界には自分のものはただの一つもなく、
だから自分さえいないと言うことでしょうか。

自分しかいない、そして自分もいない。

だったらすべてのものや者をただ「愛」を
もって眺めるしかない。
自分ですから。

そうすると全部が天国ですね。!

神の記憶は静かな心に訪れて、葛藤のあるところには
来られないので、自分自身と戦っている心は
永遠のやさしさを思い出せませんね。

やさしく光に溢れた世界は自分の心が
与えてくれるのかも知れません。

「あなたの周囲にあるもので、あなたの一部で
ないものは一つもない」

神の使者から奇跡の道へ その79~あなたは自分の価値を・・

「あなたは自分の価値をあなたの兄弟の目を
通してみる」

自分の価値を出会った人の目にみるとは。?

その人の目を見て感じたことが自分の価値。?

二人が出会ったら、自分もお相手も、自分を攻撃
する者が居ると思っていたその場所に、
自分の救済者を見るときに解放されるようです。

そしてこの解放を通して世界がすべて解放される。
小さき自分の学びに世界の幸福がかかっているなんて。!

各個にはものすごい力があるんですね。!

そんなこと信じられないと感じるのでしたら、
あらゆる目前の人は「愛」で輝いていると
信じて心の底から感じてみたらよいのかも知れません。

どんな人もです。

さらに自分が神と一つであるというのなら、
そして自分がこの一体性を認識したのなら、
自分の力が神の力であることを知れるのでしょうか。

まさかの坂。(笑)

ただやってみるしか。

「あなたは自分の価値をあなたの兄弟の目を
通してみる」

神の使者から奇跡の道へ その78~捉えどころのない幸せや・・

「捉えどころのない幸せや、時と場によって形を
変える幸せというのは、何の意味もない幻想」

あ~~おいしい。
幸せですね~~。
と言っても毎日だとごちそうは飽きちゃいますね。

あ~快楽~。
もいつしか人間は飽きるもの。
ご夫婦の別離の第一の理由は「飽きること」だとか。

素的な景色!!
だって毎日いたら、その場所のことは気づきませんね。

人間は変化を求める動物ですね。

ほんとの幸せって、実は恒常的なもの。

変わらない幸福感、至福感ってなんでしょうね。

「あなたは神の意志を完成させる者であり、
神の幸せそのものであり、そのあなたの意志は
神の意志と同じに強力であり、その力はあなたの
幻想の中でも失われていない」

ただただ思い出すだけでしょうか。

常に今。

「捉えどころのない幸せや、時と場によって形を
変える幸せというのは、何の意味もない幻想」

神の使者から奇跡の道へ その77~人はその心に・・

「人はその心に思うごとく知覚する。
だから世界を変えようとするのはやめなさい。
そうではなく、世界についてのあなたの心を
変えることを選びなさい」

世の中は見えているとしたら、その見えている現象は
人の考え通りと言うことでしょうか。
だったら人はさまざまな思いで生かされているので、
一つの世界だと思われる世界は、人の数だけ
あると言うことですね。

人は思いがさまざまだからですね。

同じような思いの方々は、同じように世界を
見ていることになりますね。

もし自分の気に向かない世界だとしても
それは実はその人の意識の反映だということ。
ちょっと厳しいですね。

ですから気になる、とてもいやな世界を見ているのなら、
どんな思いがその世界を現わしているのだろうと、
自問自答すればきっと世界は瞬時に変化するのでしょうね。

ほんとかな。?(笑)

そしてその世界に喜びを与えるのはあなたの中にある。
一人の中の光は、すべての者の中のその光を
目覚めさせることができるのでしょうか。

ただただ罪の世界(分離の世界)を聖霊が見ている世界
(元一つの世界)へと喜んで交換しようとする
気持ちがあるかどうかだけのようです。

決意だけでしょうか。

「人はその心に思うごとく知覚する。
だから世界を変えようとするのはやめなさい。
そうではなく、世界についてのあなたの心を
変えることを選びなさい」