致知出版社 一日一話 読めば心が熱くなる・・ 第二弾 1 「人間は何でこの世に生まれてくるか知っているか」

「人間は何でこの世に生まれてくるか知っているか」

西端春枝 真宗大谷派浄信寺副住職

 一燈園の三上和志先生は警察関係の病院に招かれて入院中の人々や職員に話をされました。院長室に戻ると院長がお礼を述べた後に「実は余命十日の十八歳の卯一という少年がいます。不幸な環境で育ったこともあり、暴言を吐き皆に嫌われています。しかも開放性の結核なので一人隔離されて病室にいるのですが、せめて先ほどのようなお話を十分でも二十分でもしてやってもらえませんか」とお願いされました。二人は少年の部屋に入ります。院長はマスクにガウンの完全防御、三上先生は粗末な作務衣のままです。卯一は院長が「気分はどうか」と声を掛けても「うるせえ」と地の底からの声を出し相手にしようとしません。二人が諦めて部屋を出ようとした時、卯一と三上先生の眼が合うんですね。その目は燃えるような人恋しい、孤独のどん底にいる目でした。先生は病気が感染することを覚悟で卯一を一晩看病させてほしいと頼みます。三上先生は荒れ狂っていた卯一をなだめながら骨と皮ばかりになった足をさすり始めました。やがて卯一は自分が生まれる前に父親が逃げたこと、母親は産後すぐに亡くなったこと、神社で寝ては賽銭を盗んで食い繋ぐ生活を続けてきたことなどを離し始めるんです。そして一晩中足をさすり続ける先生に「おっさんの手、お母さんみたいやな」と言うんですね。

 そのうちに粥を食わせてくれるよう頼みます。生ぬるいお粥さんが梅干しと一緒に置かれている。幾匙か口にした後、卯一は言うんです。「もうええ。おっさんもお腹空いたやろ。俺の残り食うてくれ」と。しかし結核患者が口にしたものです。先生は「一晩くらい食べなくてもいい」「そんなこと言わんと食うてくれ」「いい、いい」「おっさん、食えや」「私はお腹がすいていない」・・・次第に卯一の声の調子が変わっていくんですね。「親切そうにしているけど。おまえの真心はほんまか」と。先生は長い長い合掌をして粥をいただかれるんです。

「わが子であればと思おうとするけど思えない」と先生は講演でおっしゃっていまいた。卯一が「長いこと拝むんやな、おっさん」と言ったと聞いて私はゾクッとしました。私もその場にいれば同じだったはずですから。粥を食べた先生に卯一は「おっさん、笑わへんか」と聞きます。「なんや、言うてみい」「いや、笑うやろ、」「笑わへん」「それなら言うぞ。一回でいい。おっとうと呼ばせてくれ」一回は小さい声で「おっとう」、二回目には少し大きな声で、三回目にはありったけの声で「おっとーう!」と叫んで声を上げて泣き崩れたそうです。

 先生も一緒に泣かれて、「人間は何でこの世に生まれてくるか知っているか。人に喜んでもらうために生まれてくるんやよ」と諭されたんですね。そうしたら卯一が「おっさん、俺の話も聞いてくれ。おっさんあっちこっちに講演に行くんやろ?親を大事に思わん者が哀れな最期を遂げた、と俺の話をしてほしい」と頼みます。二人はそこで別れるのですが、卯一は「おっさーん」「おっさーん」といつまでも叫び続け、その直後に御浄土に帰っていくんですね。顔には静かに笑みを浮かべ、手は合掌をしていたといいます。