致知出版社 一日一話 読めば心が熱くなる・・ 第二弾 30 「本当の悲しみは涙が出ない」

塩見 志満子 のらねこ学かん代表

 私はそれまで長く、教師として子供たちに人権教育を行ってきました。いじめはいけない、差別はいけないと。だけど、ひとたび学校を出て家庭の主婦に戻ったとたんに対岸の火事でした。自分がその身になれないんです。「これではいけない。養護学校に通う、あの子らに本気で学ばなんだら、きっと一生後悔するだろう」と痛烈に思いましたね。教員になりたい人はいっぱいいます。だけど、この子らの将来を支える人がいない。この子らには卒業しても「おめでとう」と言ってあげられない。次に行く所がないわけですから。私はこの子らと一緒に生活できる人になろうと思いました。それで五十七歳の時、教員を辞めて、知的障害者のための通所施設「のらねこ学かん」を立ち上げる決意をしたんです。

 主人も納得してくれました。主人は跡継ぎと思っていた男の子二人を病気と事故で失ったショックから一時、重度のうつ病を患っていましたが、六十歳の定年まで見事に教員を勤め上げましたよ。でも、その主人も六十二歳の時に亡くなってしまうんです。国道を挟んだところにある畑に草刈に行く途中、ニトントラックにはねられたんですね。近くの人が私を呼びに来てくれて、救急病院に行った時は、もう顔に白い布が掛けられていた。

 本等の悲しみは涙が出ないというのはそのとおりですね。主人が横たわっている座敷で天井を見ながら一日中ボーットしていました。そうしていたら若い男の人が訪ねてきたんです。
トラックの運転手さんでした「僕が事故の相手です。許してくださいなんて言えません。殺されても仕方ありません。どうか奥さんのいいようにしてくだしさい」と土間に土下座しましてね。

 二男が死んだとき、人を赦すということを主人は教えてくれました。世界で一番憎たらしいその人が玄関に土下座した時、私がなんであんなことを言ったのか、自分でもわかりません。だけど私の口からこういう言葉が出たんです。
「あなただけが悪いんじゃないの。車と人が喧嘩をしたら車が勝つに決まってます。あなたは若いから、主人の分まで生きて幸せになってくださいよ。私が警察に嘆願書を出すから、どうかそうしてくださいね」
 その人は「そんな優しいことを言うてもろうたら、僕は生きられん」と大声をあげて泣きました。「でもね。あなたを訴えてお金をもろうても死んだ者は帰らない。死んだ者が返らないんだったら、生きているものが精いっぱい生きるしかない。私はあなたを赦すことからしか次の一歩が踏み出せないのだから、職場に復帰して幸せになってください」。そういって赦したんですけどね。「お前の良識はおかしい」「それじゃ死んだ者は浮かばれん」と散々詰め寄られました。その時、私は一人、親戚と闘いながら心の中で主人に静かに語りかけていたんです。「お父さん、これでよかったよね」って。