随想 伊路波村から~もし・・・

もし自分の娘だったら
どうするのだろうか。

沖縄でのお話。
もし韓国での出来事だったら
とっくにアメリカ大使館は焼け落ちている事だろう。

難題がいっぱいの ヤマト。
南大門の比ではない。(笑)

もし植林がなかったら
どうだろう 海はオゾンでいっぱい。?
山の川に氾濫はナシ。

私たちの 洗剤が 私たちの便利が
海を汚し 私達の頭の上から 酸性雨になって
教えてくださる。

たくさんの快適が 地球の悲鳴を聞くことができないように
しています。   やめられない・・・。

空気 水 動物達や気象の異常。
望んだとうりの世の中がきているのだけれど。
驚いては なんていう世の中だろうとつぶやく。

大地は次々に強くなった 農薬さんに
弱められてしまった。

食べ物は 薬品に同じ。
もたせることは 薬のような食べ物を
もたせることに同じ。

空気は汚れ 鳥は狂い 人間をも
狂わせる。

もう止めるときが 近づいたのだろうか。
闘わず 無償のすべてを 受ける人類。
それだけの準備が 整いつつある。
生きていてよかったと 思えるとき。
あなたも わたしも 縁ある人も。
みんな今 生かされて あるだけで
それだけで 感謝するときが来ている。

今日も。

随想 伊路波村から~家族

会合へ出向く用事があって、
夕方タクシーに乗った。

運転手さんが関西弁なので、
「関西のかたですね。」と
話しかけた。

それからの10分間、この運転手さんは
まくしたてるわけでもなく、淡々と話してくださった。

「大震災にあったんですよ・・・。
会社勤めだったんですが。
家がペシャンコで・・・・。

何にもなくなって、てっとり早くお金を
稼ぐ方法といったら、タクシーが一番で、
それで名古屋に一家で出てきたんです。

もうすぐ娘が結婚するんです。
娘には苦労ばっかりかけて・・・。
でもいい子になってくれて。

この前、あんまりいい目させてあげられなくて
ごめんな、って言ったら、
(地震で大変だったけど、家族みんなで
いられる時間が増えてよかったよ。)
って言われました。

嬉しかったです。」

短い出逢いの運転手さんに

こんなにたくさん素敵なお話聞かせていただきました。

随想 伊路波村から~みんな聞いている

「お世話になったから、
もうそのお礼ということで、
いいじゃないですか。」

少しもケイタイにでないという
お客さまへの対応を社員さんと
お話した。

すこし残った代金のことだ。
そんな話を取り交わしたあと、
彼はふたたび電話した。

そしたらケイタイに出られたお客さま。
2ヶ月ぶりだそうだ、出られたのは。

「あんな話をまるで聴いてみえたようですね。
境目がないですね、いのちって。」と声かけ。

そしたらその社員さん。
「実はこんな話があるんです。」と口をきった。

彼の友人のお話。
その友人は引っ越すからと、
古くからあった室内の「ゴムの木」を
もうほかそうと家族と話し合っていた。

そしたらその「ゴムの木」にみるみる元気が
なくなって、枯れそうになった。
これは大変ということで、鉢を大きくしたり、
好物のビールやミルクをあげたり
したら元気になった。

そんなことがあって「ちゃんとおまえも連れていくよ。」
って宣言したら、もうそのまま元気だったそうな。

「そうですよね、だから植物も机も
あらゆるものって繋がってますね。
そしてみんな聞いているから、
なるだけいい言葉を使いたいものですね。」
そんな今朝の会話だった。

自戒も込めていた。(笑)

随想 伊路波村から~たまに


おととい、ひさしぶりに飲み会に参加。


経営者のみなさんのお話を聴いて、
たまには現実もいいなあと思う。(笑)


こちらから出る言葉も確認できた。
ちょっと気になる男性がいて、
だいたい一月に一度お話を聴きに出かける。
この前は3人で聞くところが、
一人が急にこられなくなって、
二人で聞いた。


あとで大須へ行って、お食事した。
お目当ての「健福」さんが、27日まで
お休みで、万松寺通りを西へ抜けた。
何年ぶりかのこと。


若者と外国の人たちが目に付いた。
また次のお目当てのところ「御幸亭」さんが
まだ開店前。
それで「キッチン ニュートーキョー」へ。


お食事をご一緒していただいた方は
もう9年ほど前にあって以来の知人だけれど、
二人だけでのお食事は始めて。


子どもさんは、おなかの中にみえるころから
知っている。(笑)
やっぱり二人だけでの話しや時間は
貴重だと気づかせていただく。
不思議な方と思っていたけれど、
やっぱり見ている・・・人だった。

この方はハープで一世風靡したKさん。


ケイタイが鳴って、兄が名古屋駅に到着するので、
大須でお別れした。


これから以後、ともに学べることは幸いと感じた。


その後名古屋駅で兄と会った。
「楽天」さんで二度目の夕食。(笑)
二年ぶりだろうか。
今年で66歳。


「あいさつ回りだけで半年かかるわ。」と笑う。
それから自分の働いている今度の職場の
優秀性を難しい言葉で続ける。


久々に兄貴らしさに触れる。
幼いとき、ともに言い知れぬ苦労をした二人だ。


父親代わりの兄貴の背中は丸く、
大変な思いをたくさんしょって・・・と、
後姿を見送る。


ありがとうお兄ちゃん。


たまに・・・の多かった一日。


たまにが、いいようです。

 

 

彼は11年後の2019年1月に旅立っている。

随想 伊路波村から~社員さん旅立つ

連休明けの7日、社員さんのお父さんから
電話があった。

「あの・・・Tが4日の朝急に亡くなりまして、
6日に密葬を済ませました。」
あまりのことに絶句。

「もうお医者さんもびっくりするくらいだったんです。」
80歳を超えてみえるだろうお父さんが、
気丈に話す。

「何にもできなくて、ほんとにすみません・・・。
お父さんお母さんもだいじになすってください・・・。」
電話口のむこうで嗚咽が漏れた。

1ヶ月を過ぎる入院。
だけれどまさかこんなにはかなく逝ってしまわれるなんて。
ほんとに一体どうなっているんだろう。

彼は独身、56歳に今年の11月になるところだった。
楽しいことも少なかっただろうに。

15年間病弱で定期的に幾度か入退院を
繰り返していたけれど、とてもまじめで、
毎月のお給料日の日報には必ず、

「厳しい時代ですが、今月もお給料をいただけました。
ありがとうございます。」
と必ず書いてみえた。

特殊な性格の故か、社員さんにあんまり好かれて
いたわけではないけれど、黙々と偽りなく、効率的に
働く人でした。

あなた様によって多くの人が学びをいただきました。
私は社員さんが現役で亡くなるという経験を持ちました。
大きな体験です。

どうぞもうしっかりしなくていいですよ。

ゆっくりお休みください。

そんな風にお伝えします。

なくなる少し前に撮らせていただいた
ケイタイの写真。
すこしでも、よくなりますように、元気にまた
仕事に出てこられますように、
お祈りに持って行こうと思った写真が、
胸のポケットにまだあったのです。

ガリラヤ湖の153匹の魚

イエス様三度目の復活の場面。
ガリラヤ湖で網にかかった153匹の魚の意味を考える。
 
三で割れる数字の中で唯一の数の意味を勝手に理解。
全自然数の3分の一である3で割り切れる数の中の
唯一の特徴を持つ数である153。
これしかない。
 
父と子と聖霊の三位一体。
その三位一体の唯一の数とは、一人一人。
すなわち貴方様。?
一人一人が分離感をなくすようにとイエス様が数霊に込めた気がいたします。
 
ゼカリヤ書13・8-9
 
⑧全地はこうなるー主の言葉-
三分の二は死に絶え、三分の一がそこに残る。
 
⑨わたしはその三分の一を日の中に入れ、銀を精錬するように彼らを精錬し、金を試すように彼らを試す。彼はわたしの名を呼び、わたしは彼に答える。
わたしは言う、「これはわたしの民」。
そして彼は言う、「主こそわたしの神」。
 
 
ほとんど死んでいるかのように生かされる人々で
満ちている現代という時。
三分の一が分離感を解き放ち生かされた者と
なるかのようなイエス様の預言です。
 
 
こちらは現代のキリスト教とは無関係ですが。
イエス様の言葉は別次元と感じさせます。
 
名古屋ー豊田ー飯田と続く飯田街道
豊田ー飯田は国道153号線。
田ー田の「田田交産」新しい力を生み出すこと。
 
そして中部日本放送は1053キロヘルツの周波数。
 
日本の真ん中の不思議な数霊を思います。
 
数霊の遊びですが。

随想 伊路波村から~ディープインパクト

ディープインパクト

「いっぺん寝て、そのころ起きるから」
といって8時ごろ寝入った昨夜。


隣室の「ディープインパクトが・・・・・」
というテレビ音に始まるのかと飛び起きた。


隣室では家内がめずらしくNHKのドキュメント
を見ていた。


無敗のまま三冠馬となったディープインパクトの
ドキュメントだった。
この番組が終わったあとNHKはフランスの
凱旋門賞をライブ中継することになっていた。


それで早寝してその時間に起きようと思ったのだ。
フランスのロンシャン競馬場。
なつかしさに心が躍る。


土木の仕事を辞して、名古屋での建築関連の
今の仕事に変わる、変わり目の時、ヨーロッパを
旅した。長男が生まれたばっかりだった。


学生時代から大好きだった競馬。
開催のない競馬場を見ることだけでも
嬉しかった。


パリでの旅行中の自由日、一人でロンシャン競馬場に
行って、午後から終了までいた。


馬券の買い方もわからない。
なんせフランス人は英語を話さない。
もっともこちらもできないけれど、
読むことくらいはすこしはできるのに、
フランス語ばかりなのだ。


それで幾度か馬券を購入して、
自分のえらんだ馬が優勝したりしたのに、
よくわからないまま帰ってしまった。
それでもよかった。
パドックでは盛装した紳士や貴婦人が
木の下に集っていた。
なんとも優雅な風景。


なんだかその頃ゲートがなかったような気さえしている。
ただ係りの人がヒモでスタートラインを
作ってヒモを離してスタートだったような。
ハッキリしない記憶。


直線をただ走るだけのレースもあったような。
いよいよ凱旋門賞が始まる。
八頭立て、
ディープインパクトの馬番は1番
で枠番は2番、これでわかった、
さっぱりフランスの競馬がわからなかったわけ。


馬番と枠番が日本と異なってまったく関係ないのだ。
32年前の疑問が解けた。


またそのことをその間知ろうともしなっかった自分が
おかしくなった。


レースが始まった。
武豊騎手はほんとにうまく乗っている。
父親である武邦騎手とそっくりの乗り方。
直線、日本からの応援もきっと届いたろうけれど、
ディープをマークした2頭に差されて3着だった。


武豊騎手はさすがに悔しかったのか、
インタビューアーの質問にまともに答えれない。


調教師の池江さんはディープインパクトの
国際レース再挑戦をテレビカメラの前で誓った。
なつかしいロンシャン競馬場が一時間
ずっと画面にあった。


私は、家内よりも生まれたての長男にもの凄く会いたくなった

あの20代後半のヨーロッパへの旅を思い出していた。