幼い頃の思い出 小学三年生まあちゃんの一人旅 その3

まあちゃんの大冒険が終わってその後幾度かは
田舎を訪問します。

その後何年も訪問できない時期が続いたある日のこと。

まあちゃんは29歳になっていて、新しく会社を興したばかり。
会社に兄から電話。
「羽根のおばあちゃんがどうもダメかも」

その翌日すぐに田舎へ車で出かけます。

怖いおばあちゃんは自宅のお部屋で横になっていました。
もうそんなに長くはないことを知りました。
おばあちゃんは自分を見て「まぼか」と短くひとこと。 “幼い頃の思い出 小学三年生まあちゃんの一人旅 その3” の続きを読む

幼い頃の思い出 小学三年生まあちゃんの一人旅 その2

両親と兄姉の4人はこの青山町羽根の森本家の
実家に疎開しました。

疎開先には住む家はなく一家は小さな川の河川敷にある
農機具小屋で暮らすことになります。

その農機具小屋で戦後3年の年の昭和23年に
まあちゃんは生れ落ちました。

今はその小屋はありません。

さて旅の二日目です。

いよいよ森本家の本家訪問です。
まあちゃんの顔見せ。

本家は小さな川の右岸にあります。
森本家です。

ちいさな訪問者は大歓迎されます。 “幼い頃の思い出 小学三年生まあちゃんの一人旅 その2” の続きを読む

幼い頃の思い出 小学三年生まあちゃんの一人旅 その1

令和4年ですから二年前。
深いご縁の肉親の全てが肉体を脱ぎました。

最後は関東立川に住まいする当時71歳の妹。
両親、兄弟姉妹の5人はすべて他界しています。
一番長く生かされたのが兄の76歳。

その同じ年齢に今年令和6年になる自分です。

この頃、幼い頃のいろんなことが思い出として
蘇ってまいります。

小学三年生になった夏休みに森本家(今は養子で山田です)の
実家がある三重県名賀郡青山町羽根で一か月を過ごす予定の
旅が与えられました。

「まあちゃんいいか、近鉄に乗って中川という駅で
乗り換えて、阿呆(あお)で降りるんだよ。
降りたらおじさんが待っててくれるから」

そう母に言われて家を出ます。
すべて母が新調してくださったいでたちでです。

真っ白なズック靴。
茶色の半ズボン。
そしてシャツは黄色の赤銅鈴之助のたくさんのひと模様の
ほこらしい姿でさっそうと出かけます。

赤銅鈴之助はその頃流行っていた剣士の漫画です。
母は父の実家にみすぼらしい子どものすがたを
見せたくはなかったんでしょう。
随分無理したと思います。 “幼い頃の思い出 小学三年生まあちゃんの一人旅 その1” の続きを読む

小関さんのこと・・

小関さんは五組ある御町内で同じ組の方です。

その小関さんが令和6年7月10日の中日新聞の
朝刊に出てみえてビックリ!!。

実は小関さんのご職業は名古屋で一番古い
「相撲茶屋」さんなんです。

小関さんは同じくご町内が保存している名古屋市指定文化財の
「唐子車」という山車の保存会の会計さんを50年もしていただいている
厚志者でもあります。
それも先代様もしていただいて会計二代目。

相撲なんですが「大関」でなくて「小関」さんというのが
ちょっと面白いですね。

小関さんは記事にあるように現在82歳。
とても温厚な方で今は息子さんと共に立派に
「相撲茶屋」を継続中。
来年から相撲の開催場所の「愛知県体育館」が北区の
新設の体育館に変わるということで、今までの思い出を
関係者の方々がかわるがわるに語るという連載記事が
10日の新聞記事でした。

会計の業務は実に迅速。
かかった経費のご請求に伺うと、直ちに奥から
お金を持参されます。超スピードです。

相撲の方は「コロナ」の時期は開催がないので
収入がなく大変ですねとお聞きしますと、

「相撲協会はこんな時のために積み立てをしていて
ある程度の補償をしてくれるので、助かります」との
お返事。

さすが相撲界と感心。

昨年の地元と名古屋まつりの時には大学生になったお孫さんが
文化を守る人々とその対象について「山車」を選択され、
一緒にインタビューしながら「山車」について回りました。

発表した卒業研究の結果は「優秀賞」。

300年にもおよぶ長い期間、文化財を継承することの
意義をこのような体験から学びました。

少ない家屋で文化財を維持する難しさを日々肌で
感じながらも、何かのお役に立てた喜びは格別です。

関係するすべての方々に感謝で一杯です。

生死のこと・・

近しく親しいお人がもう息をしなくなる。

そんなことを二つ体験。

たくさん人生を歩ませていただいて
このごろは死って何かとふと思う。

毎日眠って朝方起きる。
当たり前に何も感じない。
そして日常が始まる。

もし朝起きなかったら、
起きるということを知らない。
そして死んだということに気付かないでいるはず。

それは永遠。

生あることを自覚して、まだ死なないでいる。

もしこのように肉体を脱いでしまったら、
生きていることの意味が分かるのかもしれない。

病気は、もうこんなに苦しいので終わりにしたいと
死を願うきっかけとなる。
そうすると肉体を脱ぐこともある。

病気で人は死なない。
そして一度も生まれることもない。

三界の狂人は狂せることを知らず 四生の盲者は盲なることを識らず

生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く

死に死に死に死んで死の終わりに冥し(くらし)

            空海

光文書 (ヒカリモンジョ) Vol.800+30+91 新円波動

https://www.godbrain.com/category/letter/

光文書
(ヒカリモンジョ)

Vol.800+30+91
新円波動
二千二十四年七月三日は新紙幣の発行日です。この新紙幣が、敗戦後に実行された新円切り換えの悪夢を、日本人に思い起こさせないような経済運営を、いまの日本政府はできるのか、という問題が突き付けられていることに気付いている人間は、まだ少ないはずです。しかし、このタイミングで、コンピュータから出る波動にも変化が生じていることが、知られるようになると、地球経済は、ある種の法則によって、死に向っていることが、誰の目にも明らかになります。 “光文書 (ヒカリモンジョ) Vol.800+30+91 新円波動” の続きを読む

3479「打出の小槌」2024.7.5 自分で自分を自分するから

https://tenmei999.blogspot.com/2024/07/3479202475.html

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年06月25日の記事を紹介します。

「打出の小槌」

私たちみんな、願い事をかなえてくれる「打出の小槌」を持っています。

望む物の名を唱えながら打つと、それが出てくるという、小さい槌(つち)のことです。

これを読んでらっしゃるあなたは、言葉をしゃべれますか? “3479「打出の小槌」2024.7.5 自分で自分を自分するから” の続きを読む