神の使者から奇跡の道へ その10~日にあっては親切でありなさい

「日にあっては親切でありなさい」

私たちを創造したものは、創造する者として私たちを
創造したようです。
だからそのその創造の意志は創造したものと同じ。

愛の延長、そして平安です。

創造者であるあなたはもちろん出会う人々に対して
親切であることはごく自然です。
何故かと言うと「すべては自分が自分にしているからです」。

親切にする以外に何をするのでしょうか。
みな自分ですのに。
自分が自分に不親切にできるのでしょうか。

あなたが持ち続ける一切が愛に満ちたものであるとき、
恐れがあなたのもとにとどまる理由は何もありません。

「日にあっては親切でありなさい」

神の使者から奇跡の道へ その9~何もかもが一度に起こっている

「何もかもが一度に起こっている」

まさか~~?でしょう。(笑)

しかし今起きているすべての出来事は
もちろん一度に起きていることですね。
ところが何もかもですから、なにもかもですね。

それは過去とか未来とか私たちが言っている
時間的な差や、あっちだこっちだと言っている
空間的な相違を超えて、一度に起きているのでしょうか。

奇跡の本来の目的は時間の崩壊です。
奇跡は時間を廃することはしないが、短縮するための道具。

アインシュタインも語っています。

「過去と現在と未来はすべて同時に起こっている。」

一なるものは変化せず、一なるもの以外はすべて幻想ですので、
実は実際にはなにも起こっていないともアインシュタインは
言っていますね。至言かも。

結局「今ここ」なんですね。

ただ何を共振させるかだけかも。

あなた次第ですね。

「何もかもが一度に起こっている」

神の使者から奇跡の道へ その8~いつだって誰かが・・・

「いつだって誰かが本当に助けるのは自分自身」

出会いがあって私たちは兄弟に縁をいただきます。
そしてその縁からいろんなことを体験させていただく。
助けられることも、助けることも、共に喜び合うことも
悲しむことも、怒るできごとも・・・。

そしてそんなシーンの一つひとつがさまざまな
想念を起こします。

助けるとは救済。
救済とは癒し。
出会いによって癒しのチャンスが訪れます。

喜ぶことは、天の意志なのでなんの問題もないのでしょうが、
怒りや悲しみなどは分離している自我の栄養なのですが、
この時こそ癒しのチャンス。

分離を起こしてしまった自分がそのことを受容し、
自分の心を赦すチャンスのようなのです。
ですから何にしても相手と言う存在がないと
それが達成されることがない。

そのチャンスを下さった方との共同作業ですから
結局すべては、その相手が誰であろうと、
自分自身の助けにしかなりませんね。

何をしても、誰にあっても、結局は
自分一人の実相世界です。
誰もいない。

「いつだって誰かが本当に助けるのは自分自身」

神の使者から奇跡の道へ その7~あなたが知って愛した・・・

「あなたが知って愛したすべての人がそこにいる」

逝った人、今ある人すべてがそこにいる。

そこってどこ?って思われましたか。?

自我の想念をもつ人間と言う存在の心は
どこ?なんでしょう。

確かに逝った人のことは、思い出せばいつも
心にありますそして今ある人たちも、朝とかふとしたことで
思い出せばすぐにここにあります。

人間は一人では癒されないので、知った人すべての人が
兄弟です。どんな人も。
そんな生涯で知った人や、もしかして過去と言う自我次元の
前の世でお会いしたすべての人は、たとえ愛さなかった人
さえも「そこ」にいる。

みんな「そこ」に在って一つ命を共有している。

「そこ」に在ることをすべての人が知ることに
なります。
そこは「無限」で「完全」ですから、
自分と言う存在が「無限」で「完全」であったと
心の底から感ずる瞬間です。

そしてその瞬間も無限で完全のようです。

「もっと自由に生きればよかった」

これが死を前にした大方の人間の感慨と
言われています。

「そこ」は「ここ」かもしれません。

そしてあなたはすべての人のようです。

「あなたが知って愛したすべての人がそこにいる」

神の使者から奇跡の道へ その6~身体の目が・・・

「身体の目が、身体や他の人の身体を見ているのではなく、
ばらばらに見える僕たちの心が、別のもっと高いレベルから
投影されている自分を見ている」

このことは「へ~~~!!」でしょうか。

自我か実相かの世界観です。
実相世界では自我が感ずる物質は無です。
ただ「在る」ので「有る」とは異なります。
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プライナスの復活

11年続いたバンドのプライナスが
活動停止してから8年が過ぎました。

路上ライブやライブで感動を与えたバンドは
新たにこの9月から二人で活動を開始しています。

「らいぶゆう」でのコンサートの模様から
「私は私で私らしく」と「イマジンルール」を
ご案内させていただきます。


私は私で私らしく


イマジンルール

神の使者から奇跡の道へ その5~真の癒し手は患者の心です

「真の癒し手は患者の心です」

心が解放出来たら、病気は消えるのでしょう。

癒しとは神を認めること。
神という言葉が、チョット・・・と思われる方は、
神と言う言葉を「無限」とか「完全」とか「全一」
とかに置き換えてみれば意味が通ります。

神なんてないと思う方は、あなたが
「無限」でも「完全」でも「全一」でもないと
信じていますね。
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神の使者から奇跡の道へ その4~インスピレーションは・・・

「インスピレーションは神の愛のこだま」

意識してなそうとしたこと(自我)はかなわず、
湧き出るようなこころすなわち、インスピレーションからは
動かされるかのように現実化していきます。

また重大な決断を迫られている時は、
自然に決断出来てこのことはインスピレーションに
似ていますね。
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神の使者から奇跡の道へ その3~真の祈りの秘訣とは・・

「真の祈りの秘訣とは、必要だと思っていることを
忘れること」

完全な無意識は不可能なので、いつもいつも
何かを必要だと思って心はそこをさまよっています。

それをやり過ごし、そのまま意識を保っていますと
突然に無意識が訪れます。
心を亡くす、忘れる。
そこが真の祈りの瞬間かも知れません。
「愛」にあふれる瞬間。
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神の使者から奇跡の道へ その2~意欲を感じるのは死を恐れているから

「意欲を感じるのは死を恐れているから」

逆にもし死を恐れていないのなら、あらゆる
意欲はないのでしょうか。?

やってみないとわかりませんが、この世で
まだいつもいつも無意識の人はいませんから
わかりませんね。
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