人はただ一つの柱を生かされている

未来がここにあったり、
空間を超えて物が飛んだりしたときに、
これはテレポーテーションといいますが、
この実際に見ている世界は何だろうと
疑問がわかないでしょうか、?

もう30年ほど前からこんな体験の連続で、
いつもそれを探求することが人生になってきました。

真理の探究です。
それだけが大切と思わされます。

ですがこの世の中で完全なる善だけの
人間はいるはずもなく、
常に五感と官能とのまやかしにあって
悩む日々が続いています。

汚れた心が真理を遠ざけます。

「アメリカのツインタワーが割れたこと」

「富士山麓に オウムが泣いたこと」

このような未来が二、三か月前に御天画に表現されれば
どのような石頭でも、未来は預言ではないにしろ
今 と確信をせざるをえません。

人間はそれぞれのお役というか、喜びの
表現の方法を持たされて生かされていて、
この肉が自分と思ったら死んでいるのかもわからない。

たった一つの霊の柱を生かされていることは
伊勢神宮の内宮にある「真の御柱」の言霊に深い
意味が込められているこの国なのです。

母音、子音、父音、半母音。

「初めに言葉ありき、 言葉は神であった。
言葉は神とともにあった」

すべてのあってあるものは言葉から生まれています。

言葉は神であり神の子である人は神そのものの表現体。
仏をそして形ある神様を拝むましてや
人間を拝む愚かさを知ります。

はるかな空。
美しい心を願いながら、
けがれた自分を知ります。

どこまで行ってもわからない。
どこまで歩けばいいのでしょうか。

天音天画 200903

EPSON MFP image
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おおなみ こなみ なみまに おつる ほしのかず

あめの ひかりを ちにうつし いのち ふたたび

よたびと めいじつ ともに かさねつつ なみにのる

いまよふの れいわの たいわ ともえのわ

じてん こうてん じてんじく ねもと あしもと

みをかため ねをつくる ねつく はがつく はながさく

しぜんのり あわてず さわがす ときまちの とき

あまね たまねを みてきひて みずのね かぜのね

ねをあかし きき わけよ みずの さんたひ

あめより つちへ めぐりて めぐる たてのいと

ふたつと あらず ふじのやま みねより おつる

みずのおと そろり ゆるりと ともづな かける

みずひきの むすび きり さんぼん ごほん

てうちしき さんじょうに おふねも きちりと おさまりて

あわの うたがき せいかひは みねより よせくる 

ひとのなみ だん だんと いろが なり

かたがなり ひとがなる いのち ふたたび

いろはわ あひの ことはじめ れいめひの かがやき

めざめて あひます この てんめひき

令和2年 9月3日 午前4時26分

ギリギリの時に・・

小学5年生の秋に、お隣の机に転校生の
おかっぱ頭のKさんが突然に座った。

先生から紹介があった。

「Kさんは今度の台風で、南区で
被災されました。それで今日から
皆さんと一緒にここで勉強するために
転校して見えました。

よろしくお願いします。」

詳しい被災の状況もわからず、またその後
余り詳しく聞くこともはばかられたが、
なんだか打ち沈んだ感じのKさんに
なるべく親切にしようとだけ思った。

Kさんはずっと寡黙で、明けの年の四月、
6年生になる前に、また突然に元の学区に戻っていった。

短い滞在だったけれど、幼い心にいまだに
思い出が残っている。

Kさんは南区で家が流され、家族の人が亡くなったようだと
あとで聞いた。ずっと静かだったわけがわかった。

貯木場から切れてしまった木材が濁流とともに
家や街に押し寄せた。
翌日、災害救助に向かう船の脇を何人もの死体が浮かんでいた。
それは実際のこと。

そのような実際の様子をKさんも体験したのだろうか。

伊勢湾台風が来た9月26日の夜、ぼろやの我が家では
瓦の屋根が吹き飛んでいきそうな恐怖感を味わっていた。
室内のあちこちに雨だれが落ちる。
誰も周りにはいない様子を思い出す。

家じゅうの受けることができるバケツ、食器、入れ物を
全部使い果たしてそれでも、あちこちに雨漏れ。

もうだめか・・・、家は強風に揺れそれこそ
屋根ごと吹き飛ばされそうな怖さ・・・・。

あきらめたとき 急に風が静かになって、上を見れば
壊れた屋根の隙間から少し明るい空。

ああ助かったかも・・・。

強烈な伊勢湾台風は過ぎて、無事でいることの
安心を知った。
そしてギリギリになったとき必ず何かの助けがあることも。

もしかしてこの「コロナ騒動」のギリギリになって
人々がもうだめだと思ったときに、何かがあるのかもしれないと
昨日の夜突然に感じたのです。

肉体の感官が真理に対して盲目にしている

たたけば音が出る世界。

確かに音が出る机。

五感が自分を肉だと叫ぶ。
おなかはすくし、痛いしかゆいし、眠いし、目は見える、
音は聞こえる。
そして官能も叫ぶ。

ほら肉でしょ。
何が「生命」だよ!!って自我が笑う。
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赦せないことについて

すべての赦せないことの原因は
この肉を自分と錯覚させる自我の働きでしょうか。

自分がもし肉だとしたら、生命の無限性はないと
いうことになります。
何故なら肉は変化し、生命はたった一つで
変化しないものだからです。
変化する肉を無限だとは言えません。
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肉体を横たえるまで黙っていること・・

あらゆるお人の人生には、肉体を終えるまで
決して口外できないことが、どなたにでもあることでしょう。
よく「墓場まで持っていくことがら」と言われます。

一度も問題がなった方こそ今生で
成長がなかったことになりますから。
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すべての病は心の病である

「すべての病は 心の病である」

身体が病気の人の原因は心だと聞く。

だがしかし心の病の人はどうなんだろう。
心の病の人も、身体の病の人も
すべての原因が心だとしたら、
心の病の人は、その病んだ心をどう
変更することができるのだろう。

この簡単な問いに答えられず、長い期間
さまざまを試した。
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