随想 伊路波村から〜師と畏友

四日市のUさんからひさしぶりに、ひとり新聞
「むーびーず」が届いた。長く中断していた。

最近四日市へ彼が生涯の師とこころに決めている、はがき道の
坂田さんが彼のために駆けつけてくれた。
そしてひとり新聞の講習会のようなものをされた。
さらに「どうしても行きたいです」といっていた彼は去る10日、おそらく
一人で広島のもう一人の尊敬する川原作太郎さんを訪ねているはず。

そして12日久々の「むーびーず」が届いたのだった。
Uさんは一見ひょうきんな人と目にうつる。

そんな彼だが、幼い日に父親を亡くしている。
父親のなきがらをリヤカーに乗せ、前をお母さんが
後ろを幼い彼が押して病院へ行ったと聴いた。

そんな彼は高校生の頃から貯金をしつづける。
会社で働き、結婚するかしないかで会社を辞める。

好きな映画や音楽の店を開業。事業資金の元手は
高校生から貯めた一千万円をこえる貯金だった。

開業してから16年が経った。
その間に坂田道信さんという生涯の師にであうことになる。
初めて師の姿を見ただけでボロボロと涙がでたと聴く。
生涯で魂の邂逅ともいうべき師に会える人は幸いといえるだろう。
そんなに出会えるものではないから。

そして彼の友達鈴鹿のBさんが結婚した。

結婚披露宴の席上で新郎のBさんはUさんを
マイクで紹介しながら感極まっていた。

「僕が設計事務所で独立したいと言ったら、このUさんは
そしたら一番最初のお客にして と言ってくれました。
その言葉で独立する自信に——」

Uさんは幼い頃からの母と子のふたり暮らし。
人の痛みや不安が分かる人になっていったのだろう。

素晴らしい師と得難い友人に包まれてUさんは幸せです。
彼は約束していた人生を立派に歩いています。

「そんなんちがう  そんなんちがう」Uさんの照れる声が
聞こえてきます。

いつまでも友達でありますように。

ジャストナウに救われて

六年前の5月のある日新聞の記事を家族で見ていた。

そこには子供たちと幼き頃ともに遊びに行った木曽駒の里の記事が載っていた。

開田高原。

馬房が解放されて、馬に直接触れることができると書いてあった。

もう肺の機能が低下して酸素を吸入しなければ辛い娘が言った。

[行きたい…]

明日はそれでも平日。

すぐ決断した。家内と娘と三人で行こうと。幼き頃訪ねた開田高原。

牧場で娘は馬に乗った。

アイスクリームもほうばった。とても美味しかった。

車で3時間。酸素ボンベを携帯しての旅。娘はやや辛そう。到着は3時頃。

馬房は閉まる直前。お世話の方は車椅子の娘を見て、尋常ではないことを一瞬で悟り、案内してくださった。

木曽駒に触らせてくださり、放牧の馬たちも見学させてくださった。

思い出のアイスクリームのお店で、再びアイスクリーム。

夕暮れ。牧場を後にした。

その一ヶ月後、娘は旅立った。

残された老夫婦は、思った。すぐに決断して牧場に行って本当にによかったと。

娘との最後の思い出である。

すぐやることのありがたさは何にも替えがたいと、強く思う。

後悔がないから。

 

随想 伊路波村から〜支援者とは

岐阜のMさんから一通の手紙が届いた。

Mさんがこの4/19岐阜の羽島駅ではがき道の坂田さん
ご夫妻とお逢いになった折、みあげにいただいた書付が
入っていた。「リーダーについての覚え書き」(未完)とあった、
坂田さんが奈良のはがき人の集いの朝、書き記したものらしい。
「ほんとのリーダーは人知れず、他の人を支え、援助する人だよ!」
坂田さんの甲高い声が聞こえるかのようだ。

読ましていただくと、できていないことばかり。
「できていないことばかりだね」と家内にいうと、
「全部できたら神様。この世にはいないわよ。」
家内はやっぱり リーダーです。
そしてみんな自分の人生のリーダーで、主人公です。

「リーダーについての覚え書き」(未完)

*最近リーダーという言葉をよく聞きますが、真のリーダーとは、
支援して止まない人のことです。

*支援者とは たえず縁ある人の幸せを考えて願い 自分のことは
あとまわしにする人のことです。

*支援者とは、組織をもたず、権力に近づかない人です。

*支援者とは 良いことをしているとは気づく人がいない人のことです。

*支援者とは 夫婦仲がよく、家族を大事にして、一旦ことあらば
縁ある人様のために全てを 命までも投げ出せる人です。

*支援者とは 集落のすべての人にいいことは譲り、自分は後ろから
とぼとぼとニコニコわらいながらついていきます。

*支援者とは 租衣租食で、一汁一菜が良いと思っている人です。

*支援者とは 愚痴悩み悪口などは 母親の胎内に置き忘れて
きた人です。

*支援者とは すべての物を大切にして使いきり 声をかけて
対話して 喜ばせて使います。

*支援者とは 人生を卒業して四十年、五十年過ぎて いい人
だったのだと気づかれることもあります。

*支援者とは 時として妻に(夫に)逃げられることもありますが、
全財産をわたします。

*支援者とは 水を大切にする人です。

*支援者とは お金を大事にして、喜ばせて使える人です。

*支援者とは 人様が騒いでいようとも ただ一人で自分の信念の
道をたんたんと歩いている人です。

*支援者とは 最下一番下にいて それとなく、すべての人を支えて
いる力持ちです。

*支援者とは 子供からも慕われる人です。

*支援者とは 愚痴などのたぐい一切言わないでたんたんとその道を
歩ける人です。

*支援者とは ほのぼのとした余韻を残す人です。

*支援者とは 人々から忘れられている人です。

*支援者とは どこから見てもにこにこ笑っていて朗らかな普通の
人です。

*支援者とは 偉いところが一つも無くて 子供のように
心がきれいな人です。

*支援者とは たえず本を読み 縁ある人に葉書を書き いつも
人生を工夫している人です。

*支援者とは 掃除の楽しさ深さをつたえている人です。

*支援者とは 自分の根源 親を大事にする人です。

15,4,23 奈良の朝 書き記す。

古い在庫玄米とピッコロ

2011年8月16日に入れてあった
古い玄米です。
柿渋袋なので、虫が来ない。

しばらくこの玄米3合ずつを
一晩バンブーをかけて食べていました。
普通においしく柔らかい玄米でした。

ただ一晩バンブーをかけますと
不純物というか、ねちゃっとした泡がかなり
受けていた洗面にこぼれました。

ところがピッコロをしのばせて一か月。
三合すくうときにいやにさらさら感があるのです。
いままではなんとなく古い玄米特有の
ねっとり感がありましたから不思議でした。

そしていつものように一晩バンブーをかけました。
いつものねっとりとした泡がとても少なく、
そしてにおいもありません。

お味はおなじようにおいしいのですが、
なんだかそのまま新しい玄米のような感じです。

不思議。

随想 伊路波村から〜人は病によって死ぬのではない 030911

10日ほど前あるお客様が会社にみえた。

ほんとうに久々のご訪問だった。
ガンの宣告をうけて7ヶ月。
もう手術もできないと、お医者様から
サジを投げられていた方で、
7ヶ月間「太古の水」を飲みつづけて
ガン細胞が消えてしまった方である。

「元気になったよ 仕事もできるようになって
医者が こんなこと初めてだと 驚いている」

そう お元気におっしゃって お礼を言われて
帰っていくのを お見送りした。
昨日朝 その方の訃報が届いた。
ああ  あの日 ご挨拶にみえたんだ。

9日(一昨日)仕事をしてみえて、
気分がわるくなり、病院へ、そのまま
旅立っていかれた。(肺炎とか)

ガンで苦しみながら 病床生活を送ることは
まぬがれた。あっけないお別れだった。

25年前 新しく創業した頃、お客様を廻った。
かばんの中に金きりはさみをイッパイつめて、
なんとかお取引をはさみから始めていただけないか
お願いして廻ったのである。

このお店をそんなある日の最後に訪れた。
店の先代社長さんとこの現社長さんが応対
していただいた。お願いすると

「かばんの中のはさみ全部の種類おいていけよ」

と言ってくださった。
その日から 会社で一番の売上のお客様になった。
暖かいお言葉に 溢れるばかりの人間の情を感じた。

その日から25年 先代さんが亡くなり、
現社長もこうしてお別れの日を迎えた。

70歳をこえた年ごろ。
「もう仕事も 頼まれただけしかしないよ。
何をやっていいのかわからないから 遊んでいる」と
明るく語った 思い出の日。

人は決して病で死ぬのではない。
そのことの確信をいただいた社長さんの死。

仕事を継ぐ子供さんもなく、
どんな思いだったのだろうか。

今夜は彼の通夜である。
ほんとにお世話になりました。

三月の催事 伊路波村にて

「テネモスミーティング名古屋」

3月21日(土) 午前10時~12時

場所 山善ビル二階 (伊路波村)

参加費 無料

「冠之会」

3月21日(土) 午後6時~8時

場所 山善ビル二階 (伊路波村)

参加費 1000円(資料代です)

「読書会」

3月22日(日) 午前6時~8時

場所 山善ビル二階(伊路波村)

参加費 無料

朝食費用 別途

☆3月15日 日曜日 午後8時45分 栄アパホテル 5階 集合

野口様との勉強会をします。 無料です。

 

随想 伊路波村から〜嬉しいなあ

どこへいっても 嫌われて、
共同で何をしても 同僚に疎まれる人。
そんな人がいる。

でも 病弱だが まじめで 陰 ひなたがない働きぶり。
一人でコツコツ 続けることが好き。

時々 周りの人が、その方が言うことを聴かないことに
爆発して、直訴に見える。
直訴に来て下さい、といってあったから。

今日も 絶対にやってはいけないことで、
当たり前のことを、やらなくてもいいと言い放ったことに
憤慨して、上司の方が直訴にみえた。

上司の方さえ 手を焼いているよう。
ひととおりのお話をうかがい、本人と話あうことを
約束した。  そしてつけたした—。

「世界人類が幸福でありますようにと、提唱した先達がみえました。
その方のおっしゃることは まったく素晴らしくて、何の否定も
出来ません。 でもただひとつ 企業の経営について
おっしゃてることだけは 疑問です。
企業において、企業の向かう方向に逆行するような人は、
ただちにやめさせなければならない。 とおっしゃってるのです。」

かの上司は 我が意をえたりと おおきくうなずく。
だが、
「とても立派な方なのですが このことだけは
わからない。すくなくとも それでも
自分は しません。」

そういって 直訴者Hさんとは話が終わった。
お昼休み、パソコンの前にいる私に、
その同僚の女性社員さんが近づいた。
めったに 話しかけられたことがないのに。

「あの—。 今朝 Hさんからお話があったと思いますが、
あのこともういいんです。 もう話してもらわなくても結構です。
いいとこが一杯だから。悪いとこもあるけど、
いいとこ一杯すぎて、 悪いこともたいしたことなんだけど、
消えちゃいます。」

思わず 座りながら 彼女の腕をつかみたくなった。
嬉しかった—。

「Hさんには話しをしてもらったことにしておいてください。」
と彼女。

「魂でね 話した!」 と私。

ほんとに安心したのは 彼女だったのかも知れない。

お昼休み 嬉しいできごと。
こんなことが 生かされる楽しみです。

随想 伊路波村から〜それぞれの生き方

なんだか朝からワクワクしていた。

今夜は プライナスのナナライブ最終日。
なにが起きるのかもうすでに心は知っていた。

初冬の名古屋駅に人々は集まっていた。
100人くらいだろうか。
先週の土曜日 偶然に通りかかったカナダの
英会話教師 ショーナリーも来ていた。
カナダ人 嘘つかない!

言葉もわからないような唄なのに、
日本人でもわからないのに。
最終を惜しむかのように 2部に渡ったコンサートは
過ぎていった。

始めてきたという 隣に位置した女の子は、
「こころのうた」にほとんど号泣していた。
そのあともずっと しゃくりあげていた。
大丈夫だろうか。

最後のアンコール曲に選んだのが、
「レデイーバード」
ボーカルのまみちゃんが始めて作詞作曲した唄だ。

歌う前まみちゃんは めずらしく 聴衆にむかって長くしゃべった。
「小さい頃から ずっと 唄をうたいたくて、中学校
高校とみんなに呼びかけたけど、仲間ができませんでした。
本格的にうたい始めたのが プライナスとであってから。
22歳の時。すこしおそいくらいです。
その前はこんな歌ばかり歌っていていいのだろうか、と
迷ったこともありました。
でもずっとやっていて良かった—–。
みんなも 遅すぎるってことない。
やりたいことをやっていいと思います。」

涙声だった。聞く人たちの 若者の透明な涙が
きれいだった。

10代、漠然とした状態で東京にいたある日のまみちゃんを
訪ねた。飲み屋さんでイッパイお肉を頼んで、
「こんな おいしいもの 久しぶり!」
といって ガッツくまみちゃんをみていて、
そんなに苦しいんだったら、戻ってくればいいのにと思った。

そして名古屋に戻って 今のプライナスのメンバーに出会う。
それからプライナスは大きな変化を迎えていく。

喜びの波動は人々に共感し、多くの方が歌声と演奏に耳を
傾けてくださるようになってきた。

そしてラスト ストリートライブの日 彼女は感謝で胸が一杯に
なったのだろう。「サンキュー」からもうすでに胸が詰まっていた。

たくさんの方の大きな愛につつまれて、共に歩むメンバーに
恵まれて、進んでいけよ まみちゃん。

コンンサートはいつまでも別れを惜しむ人々の輪が
いくつもの模様を描いて 終わりを知らなかった。

随想 伊路波村から〜達するものは静かに歩く

達するものは静かに歩く 020930
26日鏑射寺の客室にいた。

中村公隆様とS氏のお話に立ち会う時間だった。
テーマは「日本国家100年の計と日本人の在り方」
むつかしい。

この難しい会談をお二人はジョークをまじえて
絶妙な時を創り出した。
一時間の予定が引き止められて、二時間におよんだ。

「大日本国」

古から大日本国と呼ばれたこのくにの意味は、
その字の意味するとおり、大日如来の元の国。
すべての根源の根源の国。

アメリカも最初はいい国だった。
イギリスの清教徒たちがメイフラワー号に
乗って、東海岸についた。そして新しい土地で神をさがそうと
した。しだいに西へ西へ開拓を進め神を探した。

途中金鉱がみつかり、清教徒とは異なったお金だけの目的の
人々がアメリカへ押し寄せた。
そしてさらに西へ向かい、西海岸にたどりついた。
それでも神は見つからなかった。

人々は4っつの教典に共通する記述の「バベルの塔」に
切り替え高いビルを創り出す。東海岸より先に。
それでも神はみつからず、さらに海をこえて
ハワイ、日本にむかう。そして世界大戦。

日本でかれらは神をみつけたが理解できなかった。
わからぬままに朝鮮戦争、ベトナム戦争。

日本にであってやめればよかったのに泥沼に入った。
アメリカの最初の精神は敬虔であったのに。

「大丈夫です日本という国は」が和尚様の結論だった。
「日本国民の在り方」
ひとこと。「楽しく生きること」

「穏やかに光耀いていきる」が和尚様のいつもの言葉。

「達する者は 静かに歩く
そして遠くまで行く」

「廻るこまは止ってみえる
回り切れていないこまは ゆれている」

宝のようなお言葉だった。
密教のことはよくは知らないがすべての教えをすべて
包み込む教えのようだ。高野山には敵も味方も
宗派をこえた人々の墓がある。
「いつかは高野へ」

法然さんや親鸞さんの墓もある。どうも生前法然さんは
高野を訪れた形跡がある。

「南無阿弥陀仏」浄土宗比叡山の冷たい仕打ちに
失望した法然さんは高野を訪れる。
そこで「三密加持」(身口意 行動言葉思いの一致)
の密教とちがう一密加持(身口意の一つでもいい)の
教えに出会い、密教の広い教えを知る。そして密かに
死んだら納めてもらう墓地を決めたようだ。

すべてをゆるし認め合うこと。
「護摩の木や願いの意識はもえたらどこへいくのか」
私たちはなんなのでしょう。

億万年のあってあるもの、すべての情報を
一人ひとりの人が全員すべてもって
今という時に生かされている。
すべてのすべての先っぽにあるのが自分の姿なのかもわからない。