ラマナ・マハリシの教え「私は誰か」 22 目覚めているのと、夢見ていることに・・

22・目覚めているのと、夢見ていることに
違いはないのでしょうか?

 眼が覚めている状態は長く、夢は短い。
この他には何の違いもない。
眼覚めている間に起るできごとが真実と
思われるように、夢の中のできごとも
夢の中では真実のように思われる。
夢の中では、心は自分のものではない
身体に宿っているかのごとく装っている。
眼が覚めている状態と夢の両方の状態に
あって、想い、名前、形が同時に現れてくる。

昔の出来事

  

東京に向かう車中で、京都でのさまざまな
方々とのお出会いをいただき、LINE中、
突然に思い出しました。

私は私で私らしく

なんだか暖かな冬があって、
急にらしい冬になって、
いつものようにもうすぐ暖かな春が
来ると感じる、ポワーンとした今日です。
いろんな意味で春が来ました。
家に始めて介護の女性お二人が打ち合わせに
訪れた日、たまたま「やさいのうた」のCDを
もらっていただいたら、「この歌、スーパーできいたことある。!」
とお一人の女性がおっしゃたのです。
「今からライブ聴きましょう。!」と言いますと、「エーッ?」
「今日はマミちゃんではないですが・・・。
キャプテンがうたいます。
たまたま一人で一曲だけのライブです。」
ヒロくんがイスを出して準備する。
しのちゃんのためのライブだ。
ギターの音がやさしく始まる。
「私は私で私らしく・・・」
なんだか安倍首相の答弁、私ラッシュのようだけど。
ギターのトレモロだけでもうヒロくんの想いが伝わってくる。

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ラマナ・マハリシの教え「私は誰か」 21 解脱を願う者にとって・・・

21・解脱を願う者にとって、意識の構成要素
(タットヴァ)を探求する必要があるでしょうか?

 台所のごみを棄てるのに、その中身が何であるか
調べたり分析したりする必要は少しもない。

同様に、自己を知ろうとする者には、意識の
構成要素の数を数えたりその性質を
調べたりする必要はない。

彼がしなくてはならないことは、
自分が覆い隠しているすべてのものを、
構成要素などというものともどもに
ぬぐい去ることである。
世界はひとつの夢のようなものと
見なされるべきである。

「市丸海軍少将の手紙」 奥の院通信から R3 11/21

https://okunoin.fc2.net/blog-entry-761.html

先の大戦で、硫黄島最後の突撃に当たって、市丸利之介中将(戦死で中将に昇進)は、先頭将校の腹に、ルーズベルト大統領宛の手紙を巻かせた。どんなに出血しても、血がにじんで読めなくなるようなことのないように、しっかり油紙に包んで、腹に堅く巻かせた。
 幸い、この手紙はアメリカに届いて、数日後にはニューヨークタイムズに掲載された。記事は日本を揶揄する内容になっていたようであるが、とにかく全文が掲載されたという。ということは、ルーズベルト大統領も読んだはずである(彼はこの直後、4月12日に死去している)。この手紙の中に、日本人のこの大戦に対する思いは完璧に表現されている。長くて昔の文章であるから、少々読みづらいかも知れないが、一読をお願いしたい。(若干注釈を加えた)。
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「日本は誰と戦ったのか」奥の院通信から R3 11/22

https://okunoin.fc2.net/blog-entry-762.html

昭和12年(1937年)10月5日、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は、シカゴで有名な隔離演説(防疫演説ともいった)を行った。この年は支那大陸で、日本人並びに日本軍が、支那国民党蒋介石軍並びに支那共産党の8路軍の、連続テロ事件に悩まされ、遂に支那事変が起きた年である。
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2524「 神さまと繋がること」2021.11.22 自分で自分を自分するから

https://tenmei999.blogspot.com/2021/11/2524-20211122.html

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年11月16日の記事を紹介します。

「神さまと繋がること」

この夜明け前の一番暗い時、ヨハネの黙示録の中で示されている第7のラッパの音が鳴り響く世の中で生きていて一番心強いことは、やはり神様とともに生きることではないでしょうか。

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ラマナ・マハリシの教え「私は誰か」 20 神および師は、魂の・・・

20・神および師は、真の解脱をもたらす
ことはできないのでしょうか?

 神および師は、ただ解脱への道を示すだけだろう。
神やグルは、自分で弟子を解脱の境地へ
連れてゆきはしない。

神とグルが別のものではないということは
真実である。

虎の顎にくわえられた獲物に逃れるすべが
ないように、グルの慈愛深い目の内に
入った者は、グルによって救われ、
見棄てられることはないだろう。

けれどもひとりひとりは、神あるいはグルに
よって示された道を自分自身の努力で追究し、
やがて解脱を得ねばならない。

人はただ自分自身の知識の目によってのみ、
自分自身を知ることができる。

他者の目によってではない。
ラーマ神がラーマ神であることを知るために、
鏡の助けを借りる必要があるだろうか。