この道へ その4 「高度情報科学セミナー」

大阪の駅から徒歩15分くらいにあるビルに
全国から毎週土日に多くの人々が集ってきていた。
「マルチメディアインフォメーションセミナー」と題うった
セミナーを受講。

それまでの自分の育った環境やめざした実業家としての
考え方に大きな影響を与える内容のセミナーだった。

土木技術者として、そして金属建築材料の製造販売者として
携わった業務や得た知識や人脈とは異なったものを体験する。
大きな視点が欠けていて、利益優先の小さな自分が
いかに無知であるか。
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この道へ その5 「ネットを基盤に」

こうして書かせていただくと、なんだか「人間とは何か」からは
しだいに遠く離れて行ったかに感じるかもしれないけれど、
そうでもない。
現実からそんなに離れることを望まず、
常に地に足をつけて歩まなければと自戒しきりだったから、
あまりに怪しいものからは遠ざかってはいたけれど、
平成5年から続いている会はいまだに参加させて
いただいている。
それは「冠之会」という。
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この道へ その6 「DDNとありがとうおじさん」

同志で作りあげる自前のインターネット電話局網が
もろくも崩れ去ったあとは、動物占いやグルメナビの組織から
お話が持ち上がったが、いずれもその気がでない。

ただ農協の特販部のような会社からの紹介があった
突然変異のクロレラ「桃太郎」だけはモノとして
取り扱わせていただいた最初となった。
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この道へ その7 「時が来た」

活動はS先生やAおじさんの影響か、多くの参加者を
巻き込んでいったのだが、活動の中心となる電話事業
そのものに魅力がなくなってしまった。

魅力といっても経済的な成功の魅力なのだが、
そのようなことは初めから眼中にはない。
経済ならば本業に力を注げばよいのだから。
いよいよ実際に放送局への道を模索する「時が来た」と感じた。
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この道へ 最終項 8~戻れない現実

 人々がブログを通じて個性の光を耀かせていく時代に
入った。

多くの方が発信を続けている。
さまざまな個性がさまざまに絡み合う。
仮想社会で知り合い、現実でも出会う機会が増える。
望めば。

ネットワークと個性の光の組み合わせがこれから何かを
生み出していくのかも知れない。

だが価値観はそれぞれに異なるもの。
だからこそ一人の個性に人は群がる。
個性は光であり、その人の体験のすべてを巻き込む
自分像そのものかも知れない。
すなわち「フィルター」。
一人ひとりはネットワークの中心にちがいない。

だがフィルターが異種だと、ネットワークは玉石混交になる。(玉石にもまたフィルターあり)
それでもただあるネットワークにフィルターは要らない。

縁が縁をよぶネットはただ変化を表示するネットでいいのだろう。
フィルターはあくまで自分。

自分フィルターの変化も知る手段があれば、
「一体全体」が完成するネットができる。

そして縁のネットはその細胞が変化し転換していくのだろうか。
大きな輪の中に自分を投げ入れその中で
さまざまな興味を満たすこともいいだろう。

ちいさな波紋からあるままに広がるネットもいいだろう。
どこにいても一人の個性は光を放っている。

そしてフィルターもまた変化をする。
小さくても変化するネットが向かう道だろうか。

やろうとしたことだけは残像として長くあることでしょう。

「人間って何だ」は永遠の問い。

それに答えようとしてくれた数々の体験。
上海「玉仏寺」、徳島「剣山」、秋田「十和田神社」、ボリビア「ティアワナコ遺跡」、
能登「モーセの墓」、神戸三田の「鏑射寺」、イスラエル「ネボ山」、
インドの「凌寿山」などでの霊的体験。

「この世とは」の答えに導く不思議現象。
ふしぎの小島さん、あんでるせんの久村俊英さん、マジシャンセロとヒロの
未知能力の数々。

そして「時間と空間」はエネルギーにすぎないことをも教えてくれた。
さまざまな出来事や人様が自分の人生を構成してくれた。
ありがとうおじさんや故津留晃一さんそして七田さんは
明確に答えた。

「この世には一人しか存在しないってこと」

さびしく思うか思わないかはあなた様の思念どうり。
「この道へ」はここで終わります。

ひとつひとつを語ればあまりにやかましい。(笑)

現実の人間の大多数の幸せ感を求めて生きることには
決して「戻れない」けれど、ただ今ある目の前のできごとを大切に、
すべて否定せずに生かされることを念願しています。

おつきあいに感謝しています。

ありがとうございます