この道へ その6 「DDNとありがとうおじさん」

同志で作りあげる自前のインターネット電話局網が
もろくも崩れ去ったあとは、動物占いやグルメナビの組織から
お話が持ち上がったが、いずれもその気がでない。

ただ農協の特販部のような会社からの紹介があった
突然変異のクロレラ「桃太郎」だけはモノとして
取り扱わせていただいた最初となった。

そして現在でもその出荷数量は増え続けている。
今話題のチェルノブイリでの被災者にも
無償提供され、白血病の治癒にめざましい効果をしめした。
だがモノは放送局設立という目的のための小さな手段でしかない。
多くの方が喜んで続けることができて、
しかもネットそのものが構築できるようなものはないのだろうか。
模索は続く。
そしてDDNにであうのである。

DDNは日本情報科学時代にも話はお聞きしたことはあった。
だが興味なく、同じようなインターネット電話局網のみを模索する
事業体だとの認識しかなかった。
けれども参加してみえる人たちの顔ぶれが異色だった。
DDNはネットワーク販売だ。
ネットワーク販売が何かしらあわないので、
躊躇した。

最終的に事業主体の本人さんに確認をした。
「ネットワーク販売は続けるつもりですか。?」
答えは「やめません。」だった。
考えに考えた。
もう失敗は許されない。
でも放送局への夢は繋がる。
ネットワーク販売でもテレコムあいちを中心におけばいい。
みんなの活動がみんなのところ(全体)に影響すればいいんだから。
そんなふうに考えた。
肩を押したのは、結局は参加されている人々の
顔ぶれだったのだ。
S先生、古くからの友人YさんそしてAおじさんーー。

それからは風の吹くままに活動をした。
中部地方のあちらこちらの縁ある人たちを訪ねた。
だが世の中はインターネット電話からIP電話へと通信がシフト
していったのだった。フュージョンの出現は予想されていた。

まさに音声通信はただのおまけ、データ通信時代の本格的な
幕開けとなったのだ。

DDNはフュージョンと提携の選択肢をとる。
いよいよ組織や事業体はコンテンツ重視へと
スタンスを変えなくてはならない時がきていた。
またしても電話局で基盤を固めるという構想は
崩れ去っていったのだった。
つづく・・・