光文書 (ヒカリモンジョ) Vol.800+30+150 気は波動ということ

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光文書
(ヒカリモンジョ)

Vol.800+30+150
気は波動ということ
この二千二十五年の八月十五日に、日本列島は、本来あるべき姿に戻るための波動を発しはじめました。この波動を、かつて、このクニの民は神気と呼びました。それが失われてから、八十年の歳月が流れて、かつて、神や神々が約束した、ミクニやミロクの世という新しい時代への扉が、この列島からはじまることになります。
それは、一神教の文化圏ではなく、日本文明と呼ばれるべきこの列島からはじまることになります。
ここで、次の時代を理解するための重要な言葉を、お伝えするタイミングが来ました。

それは、「はじめに言葉ありき」という言葉の重要性です。そして、この宇宙は、「光あれ」という言葉ではじまったということが事実であったという人間の認識です。
そして、人類が、次のステージに移行するための知識として、最も重要なものが、日本語でいうとことの「気」とは、「波動」であるということです。
かつて、日本では、目には見えないけれど、存在すると感じられるものを「気」という言葉で現わしていました。
神社に行けば「神気」を感じ、悪行をなす人間には「邪気」を、あやしいものに「妖気」を、死者の世界には「霊気」を、というように、エネルギーの存在を、「気配」として感じ取っていたのです。
この「気」という日本語に、ひとつの認識の方法として、人間が出している波動を、「気」と「念」と「呪」に分け、この世に存在する領域にある波動を「想」(神界)、「霊」(霊界)、「魔」(魔界)という六種があることを、はじめて教えたのが精神学というものです。そこには、精神界というものが、最低でも三層の構造を持っているという知識もあったのです。
人間界は、この三層構造の精神界に対応して、存在しており、それぞれの波動領域で、人間は生きているというのが、この世の波動的実相なのです。

そして、いまの人間の世界は、魔界の波動に満たされていて、魔力を手にしたものたちが、この世の富を独占するという世になったということです。これが末法の世、または、最後の審判の世で、それが完成し、次のステージに移る波動的変化を、日本列島が、この八月十五日からはじめたと考えてください。この変化の用意として、精神学協会には、この日本で「気」と呼ばれていた波動を、現代の科学的知に対応した百十二種類の波動の名称が伝達され、その波動を発生させるツールが授けられ、今日まで、その実証がくり返されてきました。
ここで、精神学というものが、日本でムスビの神として知られるシラヤマヒメから、紙のオフダに、神気を宿すノウハウを、私が授けられたところに、出発点があるということが重要な意味があることになります。日本神界が、精神学というものをこの世に生み出すために、このクニの歴史があったことを、証明するシルシが、この波動の附与能力を、私に授けたという、神界の意志がそこに示されているのです。ここで、開示されているのは、神界という場が波動的に存在し、神や神々という意識体は、人間のような身体は持たないものの、波動として存在するということです。
これが、精神界が日本では、かくり世と呼ばれ、現実界が、うつし世と呼ばれてきた理由です。つまり、波動的なエネルギーの世界で起きたことが、人間の生きている世界では、物質的な現実となるという精神界の伝達です。そこには、意識というものは波動的エネルギーであり、そのエネルギーは、アインシュタインのE=MC2の法則によって、物質と時間を生むという科学に対応する知識が含まれているということです。
つまり、いままで「気」という言葉でしか表現できなかった各種の波動を、科学的言語によって、その機能を特定できるようになったということです。
人間の意識、あるいは脳内宇宙というものは、言葉がないと、それを認識の対象とすることはできません。神の「はじめに言葉があった」ことに対応して、現実や事象が生じたのに対し、人間の科学の進歩は、未知の領域に言葉をあてはめて、その世界を拡大してきたという歩みを考えてみてください。
いま、人知が、地球の外の世界に向かうとするならば、それに対応する言葉の基盤が必要になります。その出発のために、各種の波動の知識があるということです。これが、日本語は神界語だということの証明になります。
神界語ということは、宇宙語であるということなのです。
神紀五年(二千二十五年)八月二十一日 積哲夫 記