今 イスタンブールでの16年前のできごとを思い出している。
私たち ある鋼板メーカー主催の親睦海外旅行の
トルコーエジプトの旅の途中のできごとだった。
余裕の時代であった。
午後7時 イスタンブール発カイロ行きの搭乗アナウンスを
待っていたが なかなかにない。
遅れるのは 普通のことと諦めて 空港内のあちらこちらを
ウオッチングする。
出発予定時刻から2時間ほど過ぎた頃 ツアーコンダクターの男性が
しきりに30名を越える 仲間の旅行客の思い思いの居場所に
出むいて 説明を始めていた。
飛行機はどうやら 出発時刻を過ぎても出発しないで
チェックをしているらしいのだけれど その詳細は
伝えられていないとのこと。
しかたがないので 残された 日本 ヨーロッパ エジプト
韓国の旅行客は それぞれの時間を過ごした。
6時間を過ぎた頃 搭乗口で閉じられたドアを蹴飛ばす音。
韓国のツアコンさんだ。 なんだか激しい口調で 係りの人に
食ってかかっている。
そして 頭が沸騰するかのように 何度も搭乗口のドアを
蹴飛ばしている。
他の国の人々は? 欧米人は 知らぬ顔で本を読んでいるか
眠っている。 エジプト人は? 全てのことは 天の思し召しどうりか(笑)
無関心。 日本人は 集まって 誰を交渉の代表にするか話し合っている。(笑)
結局 7時間遅れても 出発できず その理由は左後部のドアが閉まらないという
しまらない話だった。
結局 翌日の同時刻に 24時間遅れで カイロに出発する
便を用意するといううことで 一行は航空機会社手配の
ホテルに一泊となった。
時刻はすでに午前2時となっていた。
近くのホテルには バスで15分後くらいに着いた。
各自 部屋に納まり シャワーを浴びて 終身は午前4時ごろ。
うつうつと眠ったと想ったら コーランの声が町中に響き
すぐにおきた 7時だっただろうか。
3時間睡眠。
それから朝食後 一行全員は ホテル一階ロビーの
片隅に集合した。
一行のリーダー(主催会社の社長さん)が すこし高くした
壇上にのって 皆さんに問いかけた。
「昨日は大変にご迷惑をおかけし お詫び申し上げます。
本日は 昨日と同じ時刻に 修理が済んだ同じ飛行機で
カイロに向かう予定です。
仮にカイロに飛ぶことになっても 今回の旅のメインである
るルクソールへの旅は 行くことができません。
カイロでの ピラミッド見学だけになります。
さて皆様にご相談です。
本日一日遅れで カイロに同じ飛行機で発つか
それとも カイロ行きを中止して このトルコで別の日程を
急遽考えて 実行するか そのことを皆様にご相談したい。
いかがでしょうか・・・・。」
いつもすこしファンキーで とてもこのような重要な話を
まじめに 毅然とした態度で話すことができるイメージがない
お若い社長さんだったと想っていたのに・・・。
見事な 態度だった。
さまざまな意見が お客様である旅人から出ていた。
「怖いから エジプトはもういいからやめよう。」
「せっかくここまできたのだから ピラミッドが観たい!」
「みんなの したいようでいいです。」
さまざまな 意見を様々に聞いた 社長さんは言った。
「わかりました。 みなさんにはさまざまなご意見を
いただきました。 ここで行くか行かないかのふたつに
決めることはできません。 ここは私の決断にお任せ
いただけるでしょうか。」
どちらかとも 決めることができないさまざまな群衆は
「それでいいよ! 任せた!」
と口々に叫んだ。
「それでは最終的な決断を申し上げます。
本日夜に エジプトに向けて出発させていただきます。
みなさんのご協力をお願いいたします。」
短いが 立派な決断だった。
エジプトを最後に私達の旅は無事終了した。
故障したその同じ飛行機が カイロに無事にランディングした
瞬間には 機内の全ての国の人々が 大拍手だった。
特に韓国の人々のそれが激しかったようだ。(笑)
帰国して 数ヵ月後 新聞で ルクソールでのテロ乱射事件で
日本の新婚さんが亡くなったことを知った。
なんだか自分たちのことのように ゾッとしたことを想い出す。
人生の中での 予期せぬ出来事があったとき
自分なら どのような決断をくだすのだろうか。
あの日の あのときの あの人物の姿と声を
今も思い出す。
なにせあの旅の というより 全ての旅のうちで 強烈な
印象を残した 出来事はそんなにはないのだから。
ただ 時代は過ぎ去り その会社は 今はもうない。