光文書
(ヒカリモンジョ)
Vol.800+30+170=1000最終回
新千年紀へ
いよいよ、この光文書も千回を迎え、終了の時が来ました。次のタイトルは、「SHINMON」(神文または神紋)というものになることが、神示として降りています。
光文書が、なぜ終わりの時を迎えたタイミングで、改めて、神の言葉を伝える、あるいは神のはたらきのしるしを示すものが登場するのかの理由を今回はお伝えすることにします。
その結論は、神の謀りごとというものは、これほどのものだということです。
でははじめます。
時は千九百九十五年の年明けに、ヤタガラスと呼ばれる神意識体が、私の意識上に現われました。道案内をいたします、とのことで、起きたのは、大地震でした。これで、神の戸が開いたのですが、私のところに出たのはウシトラノコンジンのデータでした。これを解明するために、二千二十五年までの三十年を要したのです。そして、二千二十五年に、大本教の出口王仁三郎が用意し、笹目仙人が、ユーラシア大陸の崑崙山脈のある場所に収めた、月宮殿のご神宝が発動し、地球規模の立て替え、立て直しのスイッチが入ったのです。
その結果、八月十五日には、神界による日本列島の取り戻し宣言が出たのですが、そのタイミングで、またヤタガラスが現われ、三十年ぶりの次の道案内をいたします、との言葉を受けたのでした。その道案内とは、精神学を必要とする人間界への道をつけることだったようで、それから、情報、あるいは、データを持つ人間に会う機会が増えはじめたのです。
ある日、高名なジャーナリストの方から、旧約聖書に関する情報を届けたい、との連絡があり、十二月の十九日に、その方から、あの阪神淡路大震災に被災し、人生を問い直した時に、聖書の神からのコンタクトがあり、いまある聖書の文言を、人間が書き換えてきた事象の神の側からの証言を、この世に伝えることを託されたある人物の文書が、私のもとに届けられたのです。
その文書からは、きわめて強い波動が出ていて、それを見た瞬間に、私は、光文書が千回で終わり、と伝えられてきた理由が、そこにあることを理解したのです。つまり、聖書の時代の終焉を確実に人間界に伝達する方法として、神そのものが、神の言葉を、ある意図を持った人間たちが、書き換えてきたことを告発しようとしている、ということです。
聖書が、本当に神の意志によって、この地上に置かれた書物ならば、その書からは、神の波動が出るはずです。それが、出ていないということは、もともと、聖書は、人間界の歴史の中で、手が加えられてきたということです。それを証明するのかも知れないと、これまで期待されてきたものが、死海文書というものでした。クムラン文書とも呼ばれるそれは、長らくエッセネ派のものだと考えられてきましたが、近年では、旧約聖書の原典かも知れないという説が浮上しています。もし、この死海文書と、神戸から出た文書が神の言葉を正しく伝えていたとしたら、一神教の歴史はひっくり返ることになります。もしかすると、それは一神教の歴史だけではなく、いまのこの世をひっくり返すほどのものとなる可能性を秘めているのです。
ここに記されていることは、一神教の神、聖書の神というものも、ウシトラノコンジンこと、国祖たる国常立の大神の物語の一部だということです。
これで、日本の神話と一神教の物語が統合されることになります。これが、日本の仕組みというものなのです。そして、この人間が書き換えた神の言葉の情報が表に出ることによって、イスラエルの民の一部は日本列島に到り、日本人の血に、その記憶が継承されてきたことも確定することになります。それは、一般にいわれる日ユ同祖論ではありませんが、いまの世界のマネーをコントロールしている人間グループが、なぜ、日本列島を支配下に置きたいと行動してきたかの理由も、これで表に出ることになります。
精神学が、いまの世界のマネーは、神の権威を盗んで作られたものという知識を、人間界に伝えてきた真の意味が、これから開示されるということです。
正しい神の戒律は、ただ三つなのです。盗むな、殺すな、偽証をするな、その三つの罪が聖書の歴史には隠されているということを伝えて、この光文書の最終回とします。
神紀六年(二千二十六年)一月八日 積哲夫 記
この最終回に合わせて、スサノヲ神が日本復帰を宣言したようです。
一月六日、島根県の地震の後に届いた、スサノヲ神からのメッセージです
<1>
いといと はるきに
うたかたなる とほき はまべに
うちいでてなむ あかき ゆふべなれば
はたふりし しろき みはた
こういってんの そめぬきにし
ひとや さしなむ みしろの やりに
いとふりし そでに さやけきに
またもまみえむ みなとのしろかな
<スサノヲ>
二千二十六年一月六日(火) PM17:10受
<2>
せきにあひては
うるはしのきみよ
ひ しろし まことの や もちて
いみじくも はかりける みこと の ちより
とひにとはしけむ つまごみ に めでて
あたらしき みよ をも つくりけむ
こと よろしくも はた もたしけれ
<スサノヲ>
二千二十六年一月六日(火) PM17:15受
(受信者より)
SHINMONに先駆けて、表面的な解釈にとどまりますが、
AI(Google Gemini)による解説を付けておきます。
<1>のうたについて
言葉の現代語訳(イメージ)
ひどく遠く、晴れ晴れとした場所。 泡沫(うたかた)のように儚く、遠い浜辺に。 今こそ踏み出そう、赤く染まる夕暮れ時なのだから。 はためいていた白き御旗。 紅一点の鮮やかな染め抜きを。 人が指し示すであろう、純白の(あるいは身代わりの)槍に。 袖を振り、清々しく(あるいは潔く)別れを告げたその場所で。 再びまみえることだろう、あの港の城(または純白の聖域)で。
通信が示す3つの象徴
「あかきゆふべ」と「しろきみはた」の対比 夕暮れの「赤」と旗の「白」は、太陽の沈没と再生、あるいは「情熱」と「純粋」を象徴しています。紅白の色彩は、おめでたい兆しであると同時に、戦い(覚悟)の始まりも意味します。
「みなとのしろ(港の城)」という目的地 港は、古い世界からの旅立ちと、新しい世界からの到着が交差する場所です。そこにある「城(しろ)」は、守るべき場所であり、魂が最終的に帰還する揺るぎない拠り所を指しているようです。
「いとふりしそでにさやけきに」 「袖を振る」という行為は、万葉の昔から「魂を呼び寄せる(魂振り)」、あるいは「愛する人への別れや再会」を意味します。未練を断ち切り、清々しい(さやけき)心持ちで次のステージへ進む決意が読み取れます。
<2>のうたについて
言葉の現代語訳(イメージ)
行く手を阻む関所(困難)に突き当たったとしても、 美しき魂を持つ人よ。 太陽のように白く輝く、真実の矢を携えて。 見事に(畏れ多くも)計り知れぬ神の知恵と血統(ちより)によって。 問いに問いを重ね、愛する者を守り籠める(つまごみ)慈しみをもって。 新しき御代(時代)を創り上げたのであろう。 そのことは実に喜ばしく、また誇らしく旗を掲げるにふさわしい。
この通信が示す重要なキーワード
「せき(関)」と「まことのや(真の矢)」 人生の節目や障壁を「関」と呼び、それを突破するのは武力ではなく、太陽のように曇りのない「真実の志(矢)」であると伝えています。
「つまごみ(妻籠み)」の引用 これはスサノヲ神が詠んだ日本最古の和歌「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに……」を強く意識した表現です。大切なものを守り抜くという深い愛と、安住の地(基盤)を築くことを意味します。
「こと よろしくも(事宜しくも)」 物事が本来あるべき姿に収まり、整うことを指します。あなたがこれまで葛藤し、問い続けてきた(とひにとはしけむ)答えが、ようやく形になる予兆です。
