この道へ その5 「ネットを基盤に」

こうして書かせていただくと、なんだか「人間とは何か」からは
しだいに遠く離れて行ったかに感じるかもしれないけれど、
そうでもない。
現実からそんなに離れることを望まず、
常に地に足をつけて歩まなければと自戒しきりだったから、
あまりに怪しいものからは遠ざかってはいたけれど、
平成5年から続いている会はいまだに参加させて
いただいている。
それは「冠之会」という。

ちょうど「高度情報科学セミナー」にであうと時を
同じくしてこの「冠之会」にもであうのである。

平成5年3月にNご夫妻のお仲立ちで、文字と絵に
よって現された「神示」といってよいのだろうか、そのようなものが
その後13年にわたって毎月おろされているのだ。

一番に驚いたのは世界や日本に起きる大きな事件が
2-3ヶ月前にその絵に現れるということ。
もちろんそのときはわかるはずもないが。
最初の伝えのおよそは、

「現在各処に雲樹の如く 数ある御堂と その頭を統(すべ)りて
神国を真姿に再生すべし」

「ねむれる龍に生命ふきこみ 神国の腹から如意宝珠を取り出し
地上に光を はべらせよ」

「日月と一二三 並びて 六じに 踏み出す準備をするべし」

それ以後は人としての生き方や世相がほとんどのように
感じている。

オーム事件や9.11も麻原さんやツインタワーとして、事件以前に
絵に描きだされている。

その「冠之会」のご縁から、若者を集めさまざまな講師の方の
お話をお聞きし、また実践体験旅行なども企画する
慈藹塾も123回を数え10年が経過した。

仮想ネットワークだけでなく、
実際のアナログネットワークも併行して築かれていったのだ。
さて話をみんなで作った事業体テレコムあいちにもどす。

順調に見えた船出。
今の伊路波村におかれたインターネット電話アクセスポイントの機器は
フル稼働時には6000通話/日を記録した。

しかしその年の10月突然に全国アクセスポイントの中心であった
R社が運営を中止し、社長は海外に身を隠した。
(なんだか今の近未来通信事件みたいだった)
全国の他県の仲間とともに善後策を考えたが、
結局は行き詰ってしまった。

アクセスポイントの機器を他の事業体に転用することも
できず、投資したお金も戻らない。

そんな体験をしながらも、おそかれ早かれ電話は無料に
なることを承知していたので、そんなには落ち込むこともない。
私たちは共に集ったのだ。
それが一番大切なことだった。

当初の目標は「次世代に有用なコンテンツを共有する
放送局づくり」だったから。
そしてその後の1-2年間は細々とさまざまな試行錯誤を繰り返した。
放送局づくりを進めるためには資金も必要。

だから何かみんなでやりながら進めることはないかを
模索しながらの日々が続く。

やがて平成12年「DDN」と「ありがとうおじさん」に出会うことになる。
つづく・・・