奥の院通信から R5 5/31 「ダイヤ首飾り事件」

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事件の首謀者はラ・モット夫人である。彼女は出自は明らかではないが、1780年ラ・モット伯爵と結婚し、ラ・モット伯爵夫人となった。

 話しはそれを少し溯るが、1769年、ルイ15世が、デュ・バリュー夫人(26歳)を紹介され、彼女を公妾とした。王は彼女のためにダイヤの首飾りを贈るべく、その作成を発注した。それは大小540個ものダイヤからなる、160万ルーブル(金塊1トン・100億円)と、とんでもない高価な首飾りであった。勿論、発注先はユダヤ商人である。

 ところが、1784年5月10日、ルイ15世が死去し、発注していた首飾りは宙に浮いてしまった。とんでもない高価な物で、引き取り手などない。
 
 ここにラ・モット伯爵夫人が登場した。彼女は1785年1月、ロアン枢機卿(51歳)にマリー・アントワネットの要望として、この首飾りの代理購入を持ち掛けるのである。彼女はロアン枢機卿がマリー・アントワネットに心を寄せていることを知っていたからである。

 彼女は前年1784年夏、娼婦のマリー・ニコル・ルゲイ・デシニーをマリー・アントワネットに仕立てさせて、枢機卿に会わせている。ある夜、枢機卿に会わせ、一夜を過ごさせ枢機卿の心を確認しているのである。

 すっかりその気になった枢機卿が出来上がった首飾りをマリー・アントワネットのところに届けさせた。ところが、当然のことながら、そんなものを発注した覚えはないと受け取りを拒否された。
 改めての購入も拒否した。こうしてラ・モット伯爵夫人の大掛かりな詐欺事件が発覚し、彼女は刑に服することになった。

 ところが、この事件は単なる詐欺事件では終わらなかった。この事件をメディアが取り上げ、フランス国中、連日大騒ぎになった。「マリー・アントワネットは放蕩女で、国家財政の厳しい折、極めて高価な首飾りを枢機卿にねだり、とんでもない女である」と大宣伝された。要するにマリー・アントワネットを誹謗中傷し、彼女を貶める材料として使ったのである。

 フランス国民にマリー・アントワネットを憎む気持ちを植え付けた。放蕩女で、国家のことを考えない、とんでもない浪費家であるという印象を作り上げた。勿論これが革命準備である。

 1784年、奥の院のヴァイスハウプトがフランス革命を起こすことを命じる。そして1785年にこのダイヤの首飾り事件が起きている。つまり、この事件は起きたのではなく、周到に準備して起こしたものであった。
 
 1789年5月5日、175年ぶりに三部会(聖職者・貴族・平民)を開催させる。そしてその後、6月17日、国民議会と称する集会を開催させ、6月20日には憲法作成までこの集会は終わらせないという「球戯場の誓い」をさせた。

 そしてこの年7月14日、バスチーユ牢獄を暴徒に襲撃させ、バスティーユ事件を起こさせた。一方、ダイヤの首飾り事件を起こしたデュ・バリュー夫人は1793年12月7日、ギロチン台の露と消えた。「用が済んだらさっさと消す」といういつもの奥の院のやり方である。
 因みに、ルイ16世はこの年1月21日に、妃のマリー・アントワネットもこの年10月16日にギロチンで殺害されている。大虐殺の嵐が吹き荒れた。

 フランス王国はこうして消えていった。奥の院・ディープステートが「世界の王国を全て潰す」というアジェンダのクライマックスなのである。これからロシア革命、第1次、第2次世界大戦と破竹の勢いでこのアジェンダは進んでいく。