黎明の時

「新エネルギー革命へ」
木を切り、畑をつくった場へ、太陽や風のエネルギーが注ぎ 作物という果実を得たのが人類の第一の革命でした。木を切る道具を作る知恵がエネルギ丨革命を生みました。
そして蒸気機関が単一の製造物を、たくさん作ることに手を貸してくれて、産業が大発展したのが、産業革命でした。
その、動力機関の燃料は木、石炭、水力、石油、核と変遷して現在に至っています。
日本という国は、文明国家の中では、産業革命の恩恵にほとんど最後にあずかった国です。
 

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祈りの果てに

年の暮れ 激変するこの国のさまざまな人間模様が
毎日のようにニュースとして耳や目に入ってきます。
病弱な奥様を介護する生活の果てに
奥様との心中を決意し 奥様が亡くなり
自分のみ 生かされた61歳の男性の話が
今朝の新聞にありました。
奥様の首を絞めるときの 「行くよ・・・・」という おそらく
かすかなつぶやきに 思わず落涙しました。
先に逝った高校生だったご長男のところへ行こうと奥様を説得したのでした。
生活が苦しく もう葬式代しか残されていない
経済状態によって 心中を選んだ誇り高き人は
生活保護を受けることも 介護の制度にたよることも
しないで 自立して生きられない自分達の身上によって
死を選んだのでした。
「出来る事 考えられること 全てをやりきったのち
努力のはてに切羽詰まり最後は 祈るしかないという世界
そこまで行った人のみが ある日 ふと 明るい扉の前に
居ることに気付きます。」
城山だよりの坂田先生のこの言葉は 絶望のふちに立ちながらも
なお 希望をみつけることを忘れない人にのみ与えられる栄光かも
知れません。
高速道路のサービスエリア 障害者専用の駐車場に
目をやれば かなりの高齢者であるご主人が 奥さまを
車椅子に乗せるところでした。
こうした老々介護の実態はますます広がりをみせていくことでしょう。
自宅の東となりの タバコやのおばあちゃんは 長く一人で
暮らしてみえました。ネコ四匹と一緒です。
朝 閉じられたシャッターのむこうで ネコをしかりつける しっかりとした声が
聞こえなくなりました。その声が今日もお元気 という印でした
おばあちゃんは 介護施設へと移りました。
残されたネコは ご親戚に移されました。
うち一匹のネコはその前にヒモをちぎって 逃げました。
誰もいない お隣さんとの細い隙間に ときどき顔を出します。
ヒモは首に少しついたままです。
掃き掃除するこちらの姿を見つけると 寄ってきて「ニャー~~」
まるで 「おばあちゃんは どこへ行ったの?」と
尋ねているかのようです。
はがき祭りで初めてお会いして はがき交歓が続く
写真家のWさんから ブータン旅行を告げるはがきが届きました。
ブータンは国民総生産ならぬ「国民総幸福量」が国家指針の
敬虔な仏教国にして国王制度の国です。
「ブータンは2004年12月に禁煙国になっています。
国全体禁煙とは凄いですネ。また首都には信号機がないようです。・・・・」
こんなことが書いてありました。
一人や二人では生きていけないご老人を
国民全体で見る やさしさをみんなが持ちたいと願います。
そんな国づくりを これからはなさなくてはと強く念じました。
12月は速いです。

いつしか

「お父さんが 坂田さんにものすごい影響を与えたと
書いてありましたが 詳しく教えてください。」
長い間の友人の後藤さんは ある月刊誌の記事を手に持ちながら 
ハガキ道の坂田先生に質問しました。
初めての名古屋での「ハガキ祭り」の前夜祭 気晴亭さんでのことです。
「それはねーーー」坂田さんはいつもの調子で語り始めました。
「まかないがねー 別だったんです。5回も結婚したんです。
それでもねえーー なまんだぶつ なまんだぶつって言ってたんだよねーー。」
いささか酔った私の目から 静かにですが激しく
涙が流れていました。
この お話で。?
わかりません。
どうなっているのか。
友人が長く ヨーロッパにみえて「日本に出張します」とメールが来ました。
そして クラウンさんで飲みました。
「日本へ出張ですか。?」と私。(笑)
なじみの仲居さんが おっしゃるようにいただきました。
アルコールに弱い 四日市のUさんはいつものようにこっくりさんです。
ヨーロッパから出張中のOさんは 目の前で突然慟哭されました。
Oさんはとても純粋なのです。その純粋さと現実の大きな差が
慟哭の理由でしょうか。
そんな話の内容ではないのです。
Oさんが さらに好ましい男にみえました。
いつしか年は過ぎて みんな同じように細胞が年齢を体験します。
おじいちゃんは すこししっかりした頭で 「90までは生きるぞ!」って宣言しました。
「だめ! 100まで僕は160までだから!。」って言いました。
今 88歳です。
感激の体験 今会う人の素晴らしさ。
黄色だけれど黄色ではない 透明な黄色の光に満たされて
私たちは生かされているのでしょうか。
いつも一緒の家族には もう会えないとよく言われます。
だからこそ今一緒の体験を大切にしたいと・・・・
そう思うのです。

それから・・・・

15年前 「情報革命」の世が来るとのお話を
聞く前から その日をドキドキワクワク待ちわびていた
自分がいた。
そしてそのお話は ドキワクどおりのお話だった。
その後数年を経過し それなりにワクワクすることを
 また道を歩んできた。
けれども 本当のものを見つけることはなかった。
4年前 「情報革命」の延長線上にそれが目の前に現れても 半信半疑。
そのまま 空のことのようにやり過ごした一年間がある。
そして 足元をしかっりと見つめなおし 家庭に関わる3年を過ごす。
その間に たくさんのご縁は 薄れていった。
今残るご縁は この映像に必要なものばかりだ。
当たり前のことだけれど。
そして新しいお人とのご縁が広がりつつある。
閉じては またもひとつ開く人生のドアのよう。
もう本当にダメか と頭を下げ恥をかきなんとか
永らえた絆も わからない未来への希望の糸でしかない。
しかもその糸を繋ぐものは 富というものではない。
はかない糸にしがみつくのは何故と 自らに問うてみる。
それは 自分の背負った捨てきれないかすかなボタンなのだ。
そして 他の人がなんと言おうとも離さない業なのか。
あきらめかけた時に サーッと大きな布が拾い上げてくれる。
そう三年前のように。
「死ななくて良かった」ただただそう思う。
そしてまだわからないのかと 試し続けるかのような大きな
意思の存在を感じさせることが頻発している。
明けの夜 明けの世がくるのか。
私の映像は何を結ぶのだろうか。
還暦後の映画は まったくそれまでのそれと異なる展開となってきた。
ありがとうございました。

循環

今日も家の前の道路と歩道の境に 小さなミミズの死骸が
たくさん見受けられました。
都会のほんのわずかな植え込みの土に発生するミミズです。
一匹のミミズの死骸にたくさんの細かなアリがたむろしていました。
なんだかちりとりに掃きこんでしまうのも悲しく思いまして
死骸とアリをそのままにしておきました。
小さなミミズを狙って きっと小鳥や鳩やカラスさえも食べ物に
してるのでしょう。
「ミミズはなんで生きているの。?」
悲しくなって下を向いてほうきの先を見る目が
潤んできます。
私もミミズなんだろうか。
ゆるやかな坂道の東方面をやや見上げますと
秋のきれいなお日様が 私をそして世界を照らしています。
あまりの輝きは 景色の境をなくしてしまいます。
みな一体。
今日もあることに感謝して いつも朝にお会いする
通勤の方のお姿に 今日も元気でお会いできたことを
また心の中で感謝するのです。

感じるということ

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木曽駒カルパ前の道路で(プライナス提供)
月曜日 埼玉の友人から電話がありました。
「明日そちらに行きたいんですが。」友人。
「大丈夫ですか。?よかったらこちらから出向きますよ。」私。
「たまには出かけないと カラダが腐っちゃいますから うかがいます。」
それで本日火曜日の12時30分に お二人で到着されました。
それから いつもご訪問時にご馳走になる うなぎさんの
意趣返しです。
名古屋名物 蓬莱軒の「ひつまぶし」をいざ!。
勇躍 熱田神宮のおみせへ直行しました。
ところがこの日は本店だけの営業でした。
支店の前で やはりがっくりの見知らぬ女性を車にお誘いして
本店へ。 東京からの女性でした。
本店到着 一時間待ち。
女性達は「待ちます」とそこでお別れ。(笑)
私達は 予定どおり(?) 二番目のおみせへ。
社員さんに教えていただいた東別院近くの「うな富士」さんに到着。
すぐに座れました。
なんてったって 「ひつまぶし」。
埼玉からのおふたりは 大満足です。
意趣返し成功!。
今度は普通のうな重をと 次への期待をつなぎました。(笑)
それからコーヒー「かこ」さんへ。
今回の名古屋訪問目的の重要事項は「かこ」さんでした。
「かこ」さんの波をしっかりつかんで 3時間の滞在ですぐに戻られました。
何かを感じ 積極的に動く。
そこには6時間の運転と 3時間の滞在後また6時間の運転という
強行軍という常識では考えられない行動を生む強さがあります。
「天は能動 地は受動」
感じるということが動かす原動力であり
行動を起こすことの大切さを思い出させました。
何かが動く9月を互いに確認できた火曜日でした。
ご縁に感謝いたします。

お盆が過ぎて

uchiyama.png
お盆が過ぎました。
雨上がりのお墓 土が軟らかくて 草も簡単に
取れました。
帰省中の末娘と歌姫とおばあちゃんと私が 御先祖さんに感謝しました。
中日新聞の小さなトピックス欄に 今年も綾渡の平勝寺で
行われた 無言の盆送りの様子が写真入りで紹介されていました。
また内山興正和尚さまのことを 思い出しました。
平勝寺のご住職の師です。
そしてその佐藤住職様は 町内の自宅のすぐ北に住んでみえたのでした。
そこは旅館だったのですが、出家されてご住職になられました。
「あなたがよべば 私がこたえる 
それは 私がわたしにこたえるのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
昨日 新しい青い保険証が みなさんに配布されました。
裏には 臓器の提供に関する同意の問い。
何かゾッとした人もいたようです。
次々に人が亡くなります。
お若い方も 年を経られた方も。
有名無名を問わず 幾人もの方が亡くなりました。
「人は病で死ぬのではない・・・・・・」
この言葉が 身体を抜けると 
臓器提供の無意味が 確信に変わります。
迷った心を 澄ませるようです。
ほんとに 待ちわびる方もあるのだろうけれど。
そんな方には すみません。
亡くなった 知花さん、七田さん、杉山さん・・・・・。
人生のある部分で 親しくご縁をいただいた皆さんに
なんと 応えましょう。
「私は 私で 私らしく」
プライナスの演奏がまた頭を駆け抜けます。
「私は 私で 私らしく 生きてくと決めた」
みなさん 笑っているのでしょうか。

イルカのショー

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イタリア村がなくなって 少し寂しい感じの名古屋港。
その名古屋港には水族館がある。
中日新聞に「マイルカのあかちゃんを見学する集い」が日に2回
あるというので娘と一緒に行った。
水族館があくと 子どもやカップルが次々に入館。
入り口には大きなイルカの水槽が3つ4つある。
壁の隅には看板があって「マイルカのあかちゃん見学」と
書いてある。第一回目は30分後。
並んだ めずらしく。(笑)
誰かのためだったらできる。
並んでいる間に 交代でイルカの水槽を見に行く。
「テレパシーを送ると寄ってくるよ。」と私。
「ほんと~??」と眉唾物の父を見る娘。
だがほんとに寄ってくるのを遠くでみて
娘は不思議な顔をしていた。
さて見学の時間がきて 整理の札が配られる。
先着30名さまは私たちのすぐ後ろで切れた。
「ごめんね・・・」と心で詫びる。
ぞろぞろと30人が 一般の客が入れない場所に移動する。
10人ずつがかわるがわるに飼育を観察する小さな部屋に入る。
私たちは最後のグループ。
待っている間に何を思ったか 係りのおじさんが
「ちょっと時間があるので ちょうどその娘さんがいるドアの
後ろの部屋について説明します。」と話し出す。
娘は恥ずかしそう。(笑)
そこは天皇陛下がみえたときに使った部屋で
中に入ると 座って硝子ごしにイルカを観察できるように
なっているとか うんぬんくんぬんと うんちくを述べられた。
笑が出て 一同が一気になごむ。
いよいよわたしたちの番が来た。
部屋に入ると あかちゃんの生態を記録する係りの
おねえさんがじっと記録をしている。
「アッ! あかちゃんがおっぱい飲んだ!」と子どもの歓声。
マイルカの赤ちゃんは お母さんイルカにくっついて
泳いで 何度もおっぱいに吸い付くが ほんの
一瞬で吸っては 泳ぎを繰り返す。
かわいい・・・・。
みんなが満足して 解散。
さてごはんだ!と 少し離れた別の館へと移動。
お魚を見ながらお食事ができるというお店へ行ってみたが
40分待ち。 あきらめて屋上のイルカショーのステージに向かう。
ラッキーなことにステージのまん前の場所に席をいただく。
会場は いっぱいの人。
私は還暦にして 初めてのイルカショーなのだ。
(自然のイルカの群れは ハワイ島で発見。これもラッキーだった。)
なんだかワクワク。
大きなプールでイルカさんたちの演技が始まる。
イルカが何故眼隠しされても ワッパを見つけてこれるのかがわかった時は
やっぱり人間でも物体でも 固有の振動数をもっていることが
理解できた。
輪くぐり ワッパ探し ジャンプや挨拶
集団で物凄いスピードで巨大なプールをあっという間に
周回し集団でジャンプするイルカさんたち 私は不覚にも
泣いてしまっていた。そしてほんとに感動していた。
きっと 大昔イルカだったんだと思う。(笑)
娘は幾度も見たことがあるらしく 感動する父がおかしいのか
「よかったね」と言うばかり。
イルカのあかちゃんを見て イルカショーを見たら
本日の予定は終了だ。
港のレストランで船と港をみながらランチした。
すぐ前に 老夫婦がランチしてた。
彼らはまったくの無音。
こちらはガチャガチャとナイフフォークの音。
「ごめんね」とまた詫びた。(笑)
帰宅しようと駐車場に出向くと
所在なさげな一人の女性が 立ったまま柱の陰でウロウロしてる。
たくさんの人々が行きかう場所に近づくことができずに
ただただ立って逡巡する女性。
「あの人 どうしたんだろう・・・・・。」と娘。
どうすることもできない。
悲しい現実を最後に見る。
私は複雑な気持ちで 水族館を後にした。