力 メール

年齢と共に根気薄くなり
強い意志があっても
少しも進まない現象に飽きそうになる。
すると「飽きることは 成長が止まったからだ」と
息子がコンビニで見つけた「ニーチェの言葉」が届き
進まないことに頼ろうとする意志を
見透かすように 人生の師からは
「志を持っている間は 不思議に個人も会社も
神から支えられます。個人の思いの時は人間のものさし
社会性を持てばほとけのものさしです。」と個人の域を出ることを
確認するかのような強いメッセージが届きます。
すべての現象は自らの意識の反映としつつも
心の響きは今生ではいのちの糧でもあります。
野生のヒヨドリのヒナが自分の手のひらでいのちを
遠ざけて行ったことに臆面もなく人前で泣く感性に響き
人生の師ともいえる父親を身近に見ながら今生を生きる
友人からのメールに涙するのです。
そしてその友人からいただいた 15年ぶりに目にした「青春」が
今後の行く末にどんなに力になるのかを 確認させていただいた
8月5日という日でした。
         サミュエル・ウルマンの詩 「青春」
  青春とは人生の一時期のことではなく心のあり方のことだ。
  若くあるためには、創造力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、
  安易(やすき)に就こうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない。
  人間は年齢(とし)を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである。
  歳月は人間の皮膚に皺を刻むが情熱の消失は心に皺を作る。
  悩みや疑い・不安や恐怖・失望、これらのものこそ若さを消滅させ、
  雲ひとつない空のような心をだいなしにしてしまう元凶である。
  六十歳になろうと十六歳であろうと人間は、驚きへの憧憬・夜空に輝く星座の
  煌きにも似た事象や思想に対する敬愛・何かに挑戦する心・子供のような探究心・
  人生の喜びとそれに対する興味を変わらず胸に抱くことができる。
  人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。
  自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる。
  希望ある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。
  自然や神仏や他者から、美しさや喜び・勇気や力などを感じ取ることができる限り、
  その人は若いのだ。
  感性を失い、心が皮肉に被われ、嘆きや悲しみに閉ざされる時、
人間は真に老いるの である。
  そのような人は神のあわれみを乞うしかない。

黎明の時

「新エネルギー革命へ」
木を切り、畑をつくった場へ、太陽や風のエネルギーが注ぎ 作物という果実を得たのが人類の第一の革命でした。木を切る道具を作る知恵がエネルギ丨革命を生みました。
そして蒸気機関が単一の製造物を、たくさん作ることに手を貸してくれて、産業が大発展したのが、産業革命でした。
その、動力機関の燃料は木、石炭、水力、石油、核と変遷して現在に至っています。
日本という国は、文明国家の中では、産業革命の恩恵にほとんど最後にあずかった国です。
 

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祈りの果てに

年の暮れ 激変するこの国のさまざまな人間模様が
毎日のようにニュースとして耳や目に入ってきます。
病弱な奥様を介護する生活の果てに
奥様との心中を決意し 奥様が亡くなり
自分のみ 生かされた61歳の男性の話が
今朝の新聞にありました。
奥様の首を絞めるときの 「行くよ・・・・」という おそらく
かすかなつぶやきに 思わず落涙しました。
先に逝った高校生だったご長男のところへ行こうと奥様を説得したのでした。
生活が苦しく もう葬式代しか残されていない
経済状態によって 心中を選んだ誇り高き人は
生活保護を受けることも 介護の制度にたよることも
しないで 自立して生きられない自分達の身上によって
死を選んだのでした。
「出来る事 考えられること 全てをやりきったのち
努力のはてに切羽詰まり最後は 祈るしかないという世界
そこまで行った人のみが ある日 ふと 明るい扉の前に
居ることに気付きます。」
城山だよりの坂田先生のこの言葉は 絶望のふちに立ちながらも
なお 希望をみつけることを忘れない人にのみ与えられる栄光かも
知れません。
高速道路のサービスエリア 障害者専用の駐車場に
目をやれば かなりの高齢者であるご主人が 奥さまを
車椅子に乗せるところでした。
こうした老々介護の実態はますます広がりをみせていくことでしょう。
自宅の東となりの タバコやのおばあちゃんは 長く一人で
暮らしてみえました。ネコ四匹と一緒です。
朝 閉じられたシャッターのむこうで ネコをしかりつける しっかりとした声が
聞こえなくなりました。その声が今日もお元気 という印でした
おばあちゃんは 介護施設へと移りました。
残されたネコは ご親戚に移されました。
うち一匹のネコはその前にヒモをちぎって 逃げました。
誰もいない お隣さんとの細い隙間に ときどき顔を出します。
ヒモは首に少しついたままです。
掃き掃除するこちらの姿を見つけると 寄ってきて「ニャー~~」
まるで 「おばあちゃんは どこへ行ったの?」と
尋ねているかのようです。
はがき祭りで初めてお会いして はがき交歓が続く
写真家のWさんから ブータン旅行を告げるはがきが届きました。
ブータンは国民総生産ならぬ「国民総幸福量」が国家指針の
敬虔な仏教国にして国王制度の国です。
「ブータンは2004年12月に禁煙国になっています。
国全体禁煙とは凄いですネ。また首都には信号機がないようです。・・・・」
こんなことが書いてありました。
一人や二人では生きていけないご老人を
国民全体で見る やさしさをみんなが持ちたいと願います。
そんな国づくりを これからはなさなくてはと強く念じました。
12月は速いです。

いつしか

「お父さんが 坂田さんにものすごい影響を与えたと
書いてありましたが 詳しく教えてください。」
長い間の友人の後藤さんは ある月刊誌の記事を手に持ちながら 
ハガキ道の坂田先生に質問しました。
初めての名古屋での「ハガキ祭り」の前夜祭 気晴亭さんでのことです。
「それはねーーー」坂田さんはいつもの調子で語り始めました。
「まかないがねー 別だったんです。5回も結婚したんです。
それでもねえーー なまんだぶつ なまんだぶつって言ってたんだよねーー。」
いささか酔った私の目から 静かにですが激しく
涙が流れていました。
この お話で。?
わかりません。
どうなっているのか。
友人が長く ヨーロッパにみえて「日本に出張します」とメールが来ました。
そして クラウンさんで飲みました。
「日本へ出張ですか。?」と私。(笑)
なじみの仲居さんが おっしゃるようにいただきました。
アルコールに弱い 四日市のUさんはいつものようにこっくりさんです。
ヨーロッパから出張中のOさんは 目の前で突然慟哭されました。
Oさんはとても純粋なのです。その純粋さと現実の大きな差が
慟哭の理由でしょうか。
そんな話の内容ではないのです。
Oさんが さらに好ましい男にみえました。
いつしか年は過ぎて みんな同じように細胞が年齢を体験します。
おじいちゃんは すこししっかりした頭で 「90までは生きるぞ!」って宣言しました。
「だめ! 100まで僕は160までだから!。」って言いました。
今 88歳です。
感激の体験 今会う人の素晴らしさ。
黄色だけれど黄色ではない 透明な黄色の光に満たされて
私たちは生かされているのでしょうか。
いつも一緒の家族には もう会えないとよく言われます。
だからこそ今一緒の体験を大切にしたいと・・・・
そう思うのです。

それから・・・・

15年前 「情報革命」の世が来るとのお話を
聞く前から その日をドキドキワクワク待ちわびていた
自分がいた。
そしてそのお話は ドキワクどおりのお話だった。
その後数年を経過し それなりにワクワクすることを
 また道を歩んできた。
けれども 本当のものを見つけることはなかった。
4年前 「情報革命」の延長線上にそれが目の前に現れても 半信半疑。
そのまま 空のことのようにやり過ごした一年間がある。
そして 足元をしかっりと見つめなおし 家庭に関わる3年を過ごす。
その間に たくさんのご縁は 薄れていった。
今残るご縁は この映像に必要なものばかりだ。
当たり前のことだけれど。
そして新しいお人とのご縁が広がりつつある。
閉じては またもひとつ開く人生のドアのよう。
もう本当にダメか と頭を下げ恥をかきなんとか
永らえた絆も わからない未来への希望の糸でしかない。
しかもその糸を繋ぐものは 富というものではない。
はかない糸にしがみつくのは何故と 自らに問うてみる。
それは 自分の背負った捨てきれないかすかなボタンなのだ。
そして 他の人がなんと言おうとも離さない業なのか。
あきらめかけた時に サーッと大きな布が拾い上げてくれる。
そう三年前のように。
「死ななくて良かった」ただただそう思う。
そしてまだわからないのかと 試し続けるかのような大きな
意思の存在を感じさせることが頻発している。
明けの夜 明けの世がくるのか。
私の映像は何を結ぶのだろうか。
還暦後の映画は まったくそれまでのそれと異なる展開となってきた。
ありがとうございました。

循環

今日も家の前の道路と歩道の境に 小さなミミズの死骸が
たくさん見受けられました。
都会のほんのわずかな植え込みの土に発生するミミズです。
一匹のミミズの死骸にたくさんの細かなアリがたむろしていました。
なんだかちりとりに掃きこんでしまうのも悲しく思いまして
死骸とアリをそのままにしておきました。
小さなミミズを狙って きっと小鳥や鳩やカラスさえも食べ物に
してるのでしょう。
「ミミズはなんで生きているの。?」
悲しくなって下を向いてほうきの先を見る目が
潤んできます。
私もミミズなんだろうか。
ゆるやかな坂道の東方面をやや見上げますと
秋のきれいなお日様が 私をそして世界を照らしています。
あまりの輝きは 景色の境をなくしてしまいます。
みな一体。
今日もあることに感謝して いつも朝にお会いする
通勤の方のお姿に 今日も元気でお会いできたことを
また心の中で感謝するのです。

感じるということ

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木曽駒カルパ前の道路で(プライナス提供)
月曜日 埼玉の友人から電話がありました。
「明日そちらに行きたいんですが。」友人。
「大丈夫ですか。?よかったらこちらから出向きますよ。」私。
「たまには出かけないと カラダが腐っちゃいますから うかがいます。」
それで本日火曜日の12時30分に お二人で到着されました。
それから いつもご訪問時にご馳走になる うなぎさんの
意趣返しです。
名古屋名物 蓬莱軒の「ひつまぶし」をいざ!。
勇躍 熱田神宮のおみせへ直行しました。
ところがこの日は本店だけの営業でした。
支店の前で やはりがっくりの見知らぬ女性を車にお誘いして
本店へ。 東京からの女性でした。
本店到着 一時間待ち。
女性達は「待ちます」とそこでお別れ。(笑)
私達は 予定どおり(?) 二番目のおみせへ。
社員さんに教えていただいた東別院近くの「うな富士」さんに到着。
すぐに座れました。
なんてったって 「ひつまぶし」。
埼玉からのおふたりは 大満足です。
意趣返し成功!。
今度は普通のうな重をと 次への期待をつなぎました。(笑)
それからコーヒー「かこ」さんへ。
今回の名古屋訪問目的の重要事項は「かこ」さんでした。
「かこ」さんの波をしっかりつかんで 3時間の滞在ですぐに戻られました。
何かを感じ 積極的に動く。
そこには6時間の運転と 3時間の滞在後また6時間の運転という
強行軍という常識では考えられない行動を生む強さがあります。
「天は能動 地は受動」
感じるということが動かす原動力であり
行動を起こすことの大切さを思い出させました。
何かが動く9月を互いに確認できた火曜日でした。
ご縁に感謝いたします。

お盆が過ぎて

uchiyama.png
お盆が過ぎました。
雨上がりのお墓 土が軟らかくて 草も簡単に
取れました。
帰省中の末娘と歌姫とおばあちゃんと私が 御先祖さんに感謝しました。
中日新聞の小さなトピックス欄に 今年も綾渡の平勝寺で
行われた 無言の盆送りの様子が写真入りで紹介されていました。
また内山興正和尚さまのことを 思い出しました。
平勝寺のご住職の師です。
そしてその佐藤住職様は 町内の自宅のすぐ北に住んでみえたのでした。
そこは旅館だったのですが、出家されてご住職になられました。
「あなたがよべば 私がこたえる 
それは 私がわたしにこたえるのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
昨日 新しい青い保険証が みなさんに配布されました。
裏には 臓器の提供に関する同意の問い。
何かゾッとした人もいたようです。
次々に人が亡くなります。
お若い方も 年を経られた方も。
有名無名を問わず 幾人もの方が亡くなりました。
「人は病で死ぬのではない・・・・・・」
この言葉が 身体を抜けると 
臓器提供の無意味が 確信に変わります。
迷った心を 澄ませるようです。
ほんとに 待ちわびる方もあるのだろうけれど。
そんな方には すみません。
亡くなった 知花さん、七田さん、杉山さん・・・・・。
人生のある部分で 親しくご縁をいただいた皆さんに
なんと 応えましょう。
「私は 私で 私らしく」
プライナスの演奏がまた頭を駆け抜けます。
「私は 私で 私らしく 生きてくと決めた」
みなさん 笑っているのでしょうか。