本当のことを 感じたり聞いたりすると
いのちが 震えます。
それは誰の口からでも どんな出来事からでも一緒です。
木の花の リーダーが語った 覚醒後の現実との調整のできごと。
「富士へ行く。何もかもいらない。すべてあなたにあげる でも
私と 私の考えはあげられない。」
今は共に住む奥様との過去の会話。
奥様をおそったその後のことがら。
お聞きする 私のいのちを 奥様の悲しみが通過します。
人間は繋がっている。 解るまで何度も教えられます。
2月2日 午前1時30分 時を同じにして起きてしまった
家内と長女と 二女と私。
「お父さん 今日籍を入れます。長い間ありがとう。」
「お母さん ここまで育ててもらって 本当にありがとう。」
「お姉ちゃん 心配しないでね。 私はいつまでもずっと
お姉ちゃんの妹だから。」
彼女がおととしの正月だったか
熱田にある喫茶店でのバイトを終えての
帰り道に 空から聞いた声
天体フォルクローレ
私のこころの中にある光が 海と踊る
あの日 ふたりが夢 見たもの
夜更けに 空が言った
『この中で みえるものは
ずっと 美しいものだから
いま 言うことを 心に留めて
きっと 忘れないように』 と。
『愛を奏でることが あなたの生きるしるし』
思い通りにならないことも
環境をのろうことも
人を苦しませ悲しませる出来事も
もう二度と立ち上がれないほどの衝撃の事件も
みんな美しいことだから
あなたの成長を願う大きな意志がなすことだから。
平穏無事な人生や
億万長者で何不自由のない楽な環境では
あなたは ちっとも成長しないから
あなたにだけ差し上げた 大きなプレゼント。
愛が 全てに遍満しています。
平成23年 辛卯の年 おめでとうございます
逆転 開門 花開く年になりました。
おめでとうございます。
今年もよろしくご厚誼ください。
☆慈藹塾読書会
平成23年1月15日(土)
場所 サンコム
午前7時30分~
☆冠之会
平成23年1月17日(月)
場所 熱田神宮 「龍影閣」
午後6時30分~
参加費 1500円
人間とは・・・・
どうしても お会いしたい気持ちになった方がいる。
「イエスの少年時代」の訳者 山本貞彰さんだ。
大先輩 80歳。
でもとてもそうは見えない。
友人と共に あるヒーリングスペースでおあいできた。
「お名前は・・・、 何をしていらっしゃいますか。?
年齢は? どんなきっかけでお越しですか。?」
ゆったりと質問されるお声は とても80歳には思えない。
腰もしゃきり。
「10時30分から お話をさせていただきますので
しばらくお待ちください。」
10時30分になった。
愛知県近郊や滋賀、京都などからの7-8名の方が
1時間の講演を拝聴する。
あるハガキから
うちの父も 海軍の食事係りだったとか。
でも 戦争のことを一切口にしません。
だから 質問もしません。
さまざまな 戦争だったんですね。
加藤さんのおとうさん 晩年もお店に出られて
お客様のお茶を 追い注ぎしてみえました。
ありがとうございました。
力 メール
年齢と共に根気薄くなり
強い意志があっても
少しも進まない現象に飽きそうになる。
すると「飽きることは 成長が止まったからだ」と
息子がコンビニで見つけた「ニーチェの言葉」が届き
進まないことに頼ろうとする意志を
見透かすように 人生の師からは
「志を持っている間は 不思議に個人も会社も
神から支えられます。個人の思いの時は人間のものさし
社会性を持てばほとけのものさしです。」と個人の域を出ることを
確認するかのような強いメッセージが届きます。
すべての現象は自らの意識の反映としつつも
心の響きは今生ではいのちの糧でもあります。
野生のヒヨドリのヒナが自分の手のひらでいのちを
遠ざけて行ったことに臆面もなく人前で泣く感性に響き
人生の師ともいえる父親を身近に見ながら今生を生きる
友人からのメールに涙するのです。
そしてその友人からいただいた 15年ぶりに目にした「青春」が
今後の行く末にどんなに力になるのかを 確認させていただいた
8月5日という日でした。
サミュエル・ウルマンの詩 「青春」
青春とは人生の一時期のことではなく心のあり方のことだ。
若くあるためには、創造力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、
安易(やすき)に就こうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない。
人間は年齢(とし)を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである。
歳月は人間の皮膚に皺を刻むが情熱の消失は心に皺を作る。
悩みや疑い・不安や恐怖・失望、これらのものこそ若さを消滅させ、
雲ひとつない空のような心をだいなしにしてしまう元凶である。
六十歳になろうと十六歳であろうと人間は、驚きへの憧憬・夜空に輝く星座の
煌きにも似た事象や思想に対する敬愛・何かに挑戦する心・子供のような探究心・
人生の喜びとそれに対する興味を変わらず胸に抱くことができる。
人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。
自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる。
希望ある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。
自然や神仏や他者から、美しさや喜び・勇気や力などを感じ取ることができる限り、
その人は若いのだ。
感性を失い、心が皮肉に被われ、嘆きや悲しみに閉ざされる時、
人間は真に老いるの である。
そのような人は神のあわれみを乞うしかない。
黎明の時
「新エネルギー革命へ」
木を切り、畑をつくった場へ、太陽や風のエネルギーが注ぎ 作物という果実を得たのが人類の第一の革命でした。木を切る道具を作る知恵がエネルギ丨革命を生みました。
そして蒸気機関が単一の製造物を、たくさん作ることに手を貸してくれて、産業が大発展したのが、産業革命でした。
その、動力機関の燃料は木、石炭、水力、石油、核と変遷して現在に至っています。
日本という国は、文明国家の中では、産業革命の恩恵にほとんど最後にあずかった国です。
祈りの果てに
年の暮れ 激変するこの国のさまざまな人間模様が
毎日のようにニュースとして耳や目に入ってきます。
病弱な奥様を介護する生活の果てに
奥様との心中を決意し 奥様が亡くなり
自分のみ 生かされた61歳の男性の話が
今朝の新聞にありました。
奥様の首を絞めるときの 「行くよ・・・・」という おそらく
かすかなつぶやきに 思わず落涙しました。
先に逝った高校生だったご長男のところへ行こうと奥様を説得したのでした。
生活が苦しく もう葬式代しか残されていない
経済状態によって 心中を選んだ誇り高き人は
生活保護を受けることも 介護の制度にたよることも
しないで 自立して生きられない自分達の身上によって
死を選んだのでした。
「出来る事 考えられること 全てをやりきったのち
努力のはてに切羽詰まり最後は 祈るしかないという世界
そこまで行った人のみが ある日 ふと 明るい扉の前に
居ることに気付きます。」
城山だよりの坂田先生のこの言葉は 絶望のふちに立ちながらも
なお 希望をみつけることを忘れない人にのみ与えられる栄光かも
知れません。
高速道路のサービスエリア 障害者専用の駐車場に
目をやれば かなりの高齢者であるご主人が 奥さまを
車椅子に乗せるところでした。
こうした老々介護の実態はますます広がりをみせていくことでしょう。
自宅の東となりの タバコやのおばあちゃんは 長く一人で
暮らしてみえました。ネコ四匹と一緒です。
朝 閉じられたシャッターのむこうで ネコをしかりつける しっかりとした声が
聞こえなくなりました。その声が今日もお元気 という印でした
おばあちゃんは 介護施設へと移りました。
残されたネコは ご親戚に移されました。
うち一匹のネコはその前にヒモをちぎって 逃げました。
誰もいない お隣さんとの細い隙間に ときどき顔を出します。
ヒモは首に少しついたままです。
掃き掃除するこちらの姿を見つけると 寄ってきて「ニャー~~」
まるで 「おばあちゃんは どこへ行ったの?」と
尋ねているかのようです。
はがき祭りで初めてお会いして はがき交歓が続く
写真家のWさんから ブータン旅行を告げるはがきが届きました。
ブータンは国民総生産ならぬ「国民総幸福量」が国家指針の
敬虔な仏教国にして国王制度の国です。
「ブータンは2004年12月に禁煙国になっています。
国全体禁煙とは凄いですネ。また首都には信号機がないようです。・・・・」
こんなことが書いてありました。
一人や二人では生きていけないご老人を
国民全体で見る やさしさをみんなが持ちたいと願います。
そんな国づくりを これからはなさなくてはと強く念じました。
12月は速いです。
いつしか
「お父さんが 坂田さんにものすごい影響を与えたと
書いてありましたが 詳しく教えてください。」
長い間の友人の後藤さんは ある月刊誌の記事を手に持ちながら
ハガキ道の坂田先生に質問しました。
初めての名古屋での「ハガキ祭り」の前夜祭 気晴亭さんでのことです。
「それはねーーー」坂田さんはいつもの調子で語り始めました。
「まかないがねー 別だったんです。5回も結婚したんです。
それでもねえーー なまんだぶつ なまんだぶつって言ってたんだよねーー。」
いささか酔った私の目から 静かにですが激しく
涙が流れていました。
この お話で。?
わかりません。
どうなっているのか。
友人が長く ヨーロッパにみえて「日本に出張します」とメールが来ました。
そして クラウンさんで飲みました。
「日本へ出張ですか。?」と私。(笑)
なじみの仲居さんが おっしゃるようにいただきました。
アルコールに弱い 四日市のUさんはいつものようにこっくりさんです。
ヨーロッパから出張中のOさんは 目の前で突然慟哭されました。
Oさんはとても純粋なのです。その純粋さと現実の大きな差が
慟哭の理由でしょうか。
そんな話の内容ではないのです。
Oさんが さらに好ましい男にみえました。
いつしか年は過ぎて みんな同じように細胞が年齢を体験します。
おじいちゃんは すこししっかりした頭で 「90までは生きるぞ!」って宣言しました。
「だめ! 100まで僕は160までだから!。」って言いました。
今 88歳です。
感激の体験 今会う人の素晴らしさ。
黄色だけれど黄色ではない 透明な黄色の光に満たされて
私たちは生かされているのでしょうか。
いつも一緒の家族には もう会えないとよく言われます。
だからこそ今一緒の体験を大切にしたいと・・・・
そう思うのです。