いのちの実相 7

商工会議所主催のN塾が終了し、そのOB会が発足しました。
ある日のその会合の後、世話人のKさんと友人のIさんと共に
居酒屋にいました。そこでの会話の中で、私は世話人のKさんに
このように言いました。
「人間ってなんでしょうか。本当のことってなんでしょうか。
わからないから知りたい、学びたいと思っています。」
酔っていました。
それまでの私とはまったく異なり、すべてに積極的で
気が向いたことならなんでもやりたい、頼まれたことは
「はい喜んで!」に変わっていたのです。
Kさんは「そうか、そんなら今度おもしろい会合があるので
そこにいりゃ~」と名古屋弁でこたえました。
なんでも拒否しなくなっていたので、二つ返事でした。
ワクワクしていました。

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いのちの実相 5

娘の発病がきっかけとなり、 それまでの人生に疑問を感じた私に届いた
勉強会の誘いのままに申し込みをしました。
生き方、経営の仕方が知りたい。
どうして普通に生きていて、娘があのような病になってしまうのか。
なぜそれが私たちの娘なのか。
私は4人の子供たちに勉強を、しなさいと言ったことは一度も
ありません。また学校の通知表を持ってきた時は、成績のことには
一切触れず、通知表の後ろの先生の文章を読み、何かみんなのために
できたことや、すこしでも成長したことを大げさにほめました。
それが本音でしたから。
気がつけば、母が私にしていたようにしていたのでした。

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いのちの実相 4

「30歳くらいになれば落ち着きますよ。」
大学病院の先生は言いました。
30歳まで13年・・・・・・長いなあ。が正直な思いです。
それから後、2006年のあのできごとが起きるまでの14年間に
娘は13回もの入退院を繰り返します。
ほぼ一年に一度の入院生活を1~2ヶ月送りました。
それでもなお主に娘の係りは家内でした。
私は避けるかのように、娘のことから逃げていました。
入院が近くなる前は決まって眠れなくなり、精神が高揚し
わけのわからない言葉を繰り返します。
もう 人間を超えた姿を見て理解できない不安と
逃げ場のない絶望感に満ちていました。
それでも入院中にたまに家に戻る家庭外泊が
赦されたときは、いつも緩やかな症状に戻っていて
希望の光が差しました。

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いのちの実相  3

旧サッポロビールの工場跡地(現在のイオン)近くに
JR中央線が通っていて、大きな道路に鉄橋がかかっています。
今から50数年前は、まだその橋脚に人が上っていけました。
小学生である私たちは、近くの鶴舞公園での遊びの行き帰りにその橋脚に
よじ登っては飛び降りたりして肝試ししました。
どうしてだかわかりませんが、そんなある日、サッポロビールの
長い長い塀を見て思ったのです。
「城のような家を建てる」
小さな子供の夢だったのかもしれません。
自宅は子供が増えて、家が手狭になったので、お風呂や部屋を改装して
まだ2~3年しかたっていなかったのですが、家を壊してビルを
建てるんだと、突然に強く思いました。
恐る恐るですが父に相談したら「それはいい!」でした。
男二人の同意は強いエネルギーとなり、女性群は仕方ない感じでした。
1987年に貸し事務所用と自宅用のビルが完成しました。
8階建ての8階の自宅ベランダからの町の眺めを見下ろしたとき
突然に「これが城?」とビルは小さいけれど幼い頃の夢が蘇り、
達成感に満たされました。とても幸せでした。
私が39歳、娘は中学校に入学する年齢となっていました。
そしてその5年後、17歳の正月に娘は発病したのでした。

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いのちの実相  1

長女Sが今年6月18日の夜に息を引き取って、今生の人の一生を閉じました。
この世では40歳少し足らずの人生でした。
世に言う77日を8月6日に終えて忌明けとなりました。
彼女のことや自分のこと、また小さな時からのできごとを
すべてに差し支えのないことだけ(笑)を少しずつお話させていただきたく思います。
といっても 目に見えて感じることはすべては私のことかもしれませんが。
またただ今までの現実の人生で起きたことをお伝えすることで、
私の感じる「いのちの実相」を少しでもお伝えできればとても嬉しいです。
このブログは公開をしていないので、このブログを訪問くださる250名ほどの
お方たちと、私の人生を共有させていただくことをお許しください。
人ならば、誰でもその人しか体験できない、たった一つの人生を
送ることになります。あたりまえのことですが、 その人生の中でどうして自分だけ?と
思うようなことがらがどなたにでもあることでしょう。
娘は高校2年生の冬に精神が不調になりました。
わかったその日その時がその後の私の人生の大きな転換点となりました。
それは久しぶりの私の実家の親戚との旅行中にわかりました。
愛知県三河蒲郡にある竹島をみんなで歩いて一周したあと
浮かない表情の娘に大丈夫?と声をかけました。
「お父さん 私きのうもぜんぜん眠ってないし、3日間まったく
眠ってないの。景色がぜんぶ灰色に見えてちっともきれいじゃないの。」
と訴えてきました。
異常と直感しました。
そして長い長い幻の旅が始まりました。
娘が亡くなったことで、今の私の心に、長い間疑問であった「いのちの実相」に
ついての確信が生まれました。
その確信は娘がくれたプレゼントとなりました。
娘への感謝をこめて、ものがたります。

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いのちの実相 2

アルバイトは二つでした。
はじめは雪印ローリーの配達。
それをやめたら次はM新聞の配達でした。
ふたつのアルバイト中にとても心に残る思い出があります。
ひとつはローリーの配達で初めて一人で配達した朝の
できごとで店主の方の広いお心を感じました。
初めての日、ローリーを積んで少し自転車で行ったところで
転んでしまって、ローリーがグシャグシャになったのです。
店主の方が、泣きながら店に戻った私に最初にかけた言葉が
「まーちゃん 大丈夫だったか?怪我しなかったか?」だったのです。
もうひとつは新聞配達のお客様に受けたご恩です。
小さな心使いが人の心をやさしくさせることを知りました。
何より新聞配達を終えたある日の事故が一番の印象です。
いつものように松坂屋から家へのゆるやかな坂道を、
仕事を終えた軽やかな気持ちで自転車で下っていました。

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霊性の旅  1  始まり

よく聞かれることがあります。
「いつ頃からそんなような考え方になったんですか。?
何かきっかけってあったんですか。?」
そんなに不思議なんでしょうか。
40歳で小さな建材販売の会社の代表になって、
どんな人でも成功しただろうといわれるバブル期の
絶頂期を体験しました。
まさに血がにじむような忙しさを味わいました。
そして縁のある社員さんたちと喜びを
共有しました。
今考えてみますと、もしあのままずっとこの国が
幻のような繁栄を続けていたら、この肉体は
今頃はボロボロで、今回の人生を終えていたのかもしれないと、
おぼろげに感じさせます。
何がきっかけとなったのか。
それは娘の心の病と言っていいと思います。
今年三回忌を迎えますが、今でももちろん何度か
この幻の世に登場して語りかけてきます。
「お父さん ありがとね・・・・。私ねお父さんのこと・・・・」
「もう疲れた・・・・・」
亡くなる数日前の二人だけのときの会話・・・。
思い出すといつも泣けてきます。
夜の冬の空に輝く月や金星を見ながら、
こちらもお礼を言っています。
おまえがいなかったら、もう今回は終わっていたのだから、
おまえのおかげで生かされているよと、御礼するのです。
「人間は何のために生きているんだろう。」
大きな疑問が、層の異なった人生へと導きました。
潜在能力の開発セミナーももちろん影響を与えました。
そのセミナー受講のおかげで「積極」が一番大切と腑に落ちました。
自分のそれまでにこびりついた固い硬い自我が少しずつ
粉砕されていきました。
不思議な絵を描く方がいる。と大先輩から紹介されて
その層の異なる人生は回り始めました。
「天にありては 白々の雪 中空にありては瑞雲のくも
地天にありては 身を立てる」
いまだに身は立ってはいませんが、確かにこの世に生まれさせて
いただいて、もっともわくわくする今生の役目を言い当てられました。
御天画と呼ばれる絵と文字をおろされるNご夫妻でした。
その絵に剣山が描かれていました。
「剣山」は四国の山です。「失われたアーク」の伝説で有名です。
それでもその頃そのような知識も体験もまったくなかったので、
「何故剣山ですか。?」と思わずたずねてしまいました。
Nさんの御返事は「いずれわかりますから。」だけです。
そして今生のわくわくする御役目は「タグボート」です。
ようするに港に入った大きな船を案内する「水先案内人」です。
ワクワクする人やことを、他の方に案内する役。
平成5年  1993年 この名古屋のあたりでも
今の草分けのような動きが出ていました。
儲かることには前に出るが、儲からないことには後ずさり。
当時こんな日本人が多い中で、人間の真の生き方を求める
人々が講演会を開催し、多くの方が次第に目を開かれていったのです。
お天画を書いていただいたことをきっかけに
目前の現実がめまぐるしい動きを見せていきました。
そしてさまざまな新しいお人に出会うことになります。
一番新しい個人御天画
天画160217.jpg
個人の意識にあるものが絵に投影されます。
結局は個人の意識が最大のエネルギーで
実現の母でもあります。
混沌とした時代に、個人の行動を促す強い確信を
得させ、背中を押してくださるかのような絵でもあります。

新エネルギー革命

「新エネルギー革命へ」
木を切り、畑をつくった場へ、太陽や風のエネルギ丨が注ぎ 作物という果実を得たのが人類の第一の革命でした。木を切る道具を作る知恵がエネルギ丨革命を生みました。
そして蒸気機関が単一の製造物を、たくさん作ることに手を貸してくれて、産業が大発展したのが、産業革命でした。
その、動力機関の燃料は木、石炭、水力、石油、核と変遷して現在に至っています。
日本という国は、文明国家の中では、産業革命の恩恵にほとんど最後にあずかった国です。
明治という時、この国にガス灯がともり、機関車が走り、電話が鳴り、それは文明開化のさきがけの時代でした。
その後、時代は大正、昭和へと移り、二つの原子爆弾が国土に炸裂しました。世界中で唯一の被爆国となりました。その国に世界で二例目の原子力発電所がもたらされ、現在では五十五基という世界一多くの数の原発をもっているのも日本です。まことに不思議なことに感じられます。
人類は二度のエネルギ丨革命を経て現在に至りました。
石炭、石油を燃やすこと、ダム建設や莫大なエネルギ丨を生む原子力発電所、そして最近の太陽光発電や風力発電。
大きな視点でみますと、すべてがエネルギ丨を得るために燃やし爆発させて、自然のバランスを壊してしまうものでしょうか。

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