朝霧高原のログハウスに二日間いた。
その間、雨がほとんど降っていた。
富士山からの風が雨を斜めにする。
雨の音が心地よいことがわかる。
風、雨、鳥の声しかといっていいほどの静寂。
自然じゃない音は、石油のボイラー音と
時を知らせる村の拡声器からの音楽のみ。
ささやくような声が、みんな聞こえる。
ふだんの声がどんなに大きいのかわかる。
きっと会話の声が小さいだけで、
おだやかな生活が得られるのかも知れない。
自宅はと言えば、
都市高速道の自動車の走行音が
一日中聞こえる。
夏はクーラーを入れないので、少し開けた窓からの音は物凄い。
けれど慣れってもっと凄くて、
騒音が気にならなくなってしまう。
ログハウスでの静寂はほんとに嬉しい。
普段から静かなところで暮らす方にとっては、
信じられないだろうけれど。
静寂はご馳走だとしみじみ思う。
音にもエネルギーがあるのだろうから、
ずっと無意識に聞いている音から
どんな影響を受けているのだろう。
そして無音からは何を受けるのだろう。
たまに・・・
おととい、ひさしぶりに飲み会に参加。
経営者のみなさんのお話を聴いて、
たまには現実もいいなあと思う。(笑)
こちらから出る言葉も確認できた。
ちょっと気になる男性がいて、
だいたい一月に一度お話を聴きに出かける。
この前は3人で聞くところが、
一人が急にこられなくなって、
二人で聞いた。
あとで大須へ行って、お食事した。
お目当ての「健福」さんが、27日まで
お休みで、万松寺通りを西へ抜けた。
何年ぶりかのこと。
若者と外国の人たちが目に付いた。
また次のお目当てのところ「御幸亭」さんが
まだ開店前。
それで「キッチン ニュートーキョー」へ。
お食事をご一緒していただいた方は
もう9年ほど前にあって以来の知人だけれど、
二人だけでのお食事は始めて。
子どもさんは、おなかの中にみえるころから
知っている。(笑)
やっぱり二人だけでの話しや時間は
貴重だと気づかせていただく。
不思議な方と思っていたけれど、
やっぱり見ている・・・人だった。
ケイタイが鳴って、兄が名古屋駅に到着するので、
大須でお別れした。
これから以後、ともに学べることは幸いと感じた。
名古屋駅で兄と会った。
「楽天」さんで二度目の夕食。(笑)
二年ぶりだろうか。
今年で66歳。
「あいさつ回りだけで半年かかるわ。」と笑う。
それから自分の働いている今度の職場の
優秀性を難しい言葉で続ける。
久々に兄貴らしさに触れる。
幼いとき、ともに言い知れぬ苦労をした二人だ。
父親代わりの兄貴の背中は丸く、
大変な思いをたくさんしょって・・・と、
後姿を見送る。
ありがとうお兄ちゃん。
たまに・・・の多かった一日。
たまにが、いいようです。
戦いが始まっている・・・
あの激しいと・・感じた8月が過ぎて、
早くも9月も20日過ぎとなった。
9月9日重陽の節句は16菊花紋の
皇室のイメージがある。
皇室さえもが週刊誌沙汰になるような
たくさんの問題を抱えているように思える。
この9月になってもなんだか激流はやみそうもない。
政治、経済、国民や世界の人々の
生活もまったく同じ激流の中。
需給のバランス、エネルギーの確保、金融問題、
世界均衡、テロ、宗教戦争各分野での最終かにも
思われる戦いは始まってしまっている感がつよい。
多くの家庭の中も、会社の中も同じなのだろうか。
何が残り、どんな方向に向かうのだろう。
若者たちを導く指針も少なく、生きる活力さえ
失いつつある若者を多く見かける。
人間が動物以下のような行動をとる事件の数々。
新聞は読まず、テレビは見ず、静かに座る時なのだろうか。
恐ろしいような電話が会社にあったり、
強い静寂の日々もある。
今こそ光の軍団が行動する時なのかも知れない。
9月11日
記憶に深く残る9月11日という日。
あの衝撃的なできごとが起きた日、
ちょうど北陸から帰名するために、
北陸高速道路を走って、
あるサービスエリアに降りた時、テレビで見た。
そしてたしか再び高速道路に戻った時に、
横浜の友人から、事件の感想を聞かれる
ケイタイが鳴った。
そして答えた、「デキレース」というような言葉が
でた気がする。
そして数年がすぎた現在、そのことが
真実であったかもしれないような、
さまざまな証拠が明らかにされようとしている。
人間の中には、過去や未来を含めての
すべてあるかのように感じる。
耳をすませば、誰の内にも・・・。
そして手の中に全宇宙が・・・。
でも人間させてもらってる、この世で。
たくさんの時間
何もしないと、いっぱい時間がある。
とくに土曜日、日曜日は。
家庭にいる時間が圧倒的に多くなって、
ひところの緊張も少し溶けかけている。
「星の王子さま」を読んだ。
テーブルに置いてあったから。
「うちにあったの知ってたのに、
もっと早く読めばよかった・・・。」と娘。
「ぜんぜんちがうの、小さい時読んだ感じと・・・。」と家内。
意味などなくて、解することなく、胸に迫る。
私たちの中の「星の王子さま」。
「富士は晴れたり・・・・」の不二も
私たちの中に。
それぞれの人生。
死後の世界も今に・・・。
光に満ちたら
今朝5時、ほんとに久しぶりに座った。
一時間が10分くらいに感じた。
嬉しい朝だった。
友だちは毎日40分、必ず座るといった。
凄いなあ・・・て思った。
阪神大震災からこっち、
ちっとも座っていない自分がいる。
でもこのごろなんだか、何かに
せかされているよう。
「やらなあかんよ・・・・・・」 (笑) って。
書くこと
書くことは修行かも。
毎日のように、ご訪問くださるあなたさまの心に
ポッと灯がともったら嬉しいから、
毎日書かせていただけたらと願います。
9年前に去った名古屋商工会議所若鯱会の
25周年記念講演会が、話題の「千の風になって」の
作曲、訳詩の新井満さんの講演会です。
「般若心経」や老子さんの「道」をわかりやすく
解説する新井さんは現代詩人のようです。
お墓になにもないと以前にしゃべったら、
間違いなく変人あつかいだったのに、
現在は多くの方の共感を呼んでいます。
しかも今から旅立つたくさんのご老人たちが共感を
している事実が興味深いのです。
長い間、お墓やお経、先祖供養で
成り立ってきたお寺さんたちも大切ですが、
何か人間の未知なることを示唆するできごとの
ように感じさせていただいてます。
以前読ませていただいて多くを教えて
いただいた、アレキシスカレルさんの
「人間この未知なるもの」というご本が
急に頭に浮かびました。
わたしたちはひとりでしょうか。
出逢いの時間
人は出会う。
当たり前だけれど。
そして物凄い影響を受ける人もいる。
小学校、中学校時代なんか、
素敵な字を黒板に書く先生の真似をして、
自分の字が変化していく。
そんなことが数回あって、自分の本当の字が
確立していった。
今も変化しているのだろうけれど。
人生に強い影響を与える人さまとの出逢い。
そんな出逢いこそ、今回の人生の醍醐味だろうか。
会っては去り、あっては去りの繰り返しもまた人生。
他人様の集合体がまるで私のよう。
どんな人に出会うのかは、どんな人間に
なるのだろうかと同じように思わせていただく。
なつかしい出逢いに、心ときめき、
そして別れがくる。
今度はいつの「今」に、その方に出会わせていただけるのだろう。
そんなふうに思うと「大切にしよう」と思わざるを得ない。
仕事の話だけれども、いつも迷うのは「顧客優先ばかり
していると会社はどうなるのだろう。」という問題。
このことは人生の生き方にも通ずることだろうけれど。
今朝、そのことに触れている文章にいきあたった。
「愛他論」パウロの行動原理だ。
「私は、誰に対しても自由な者だが、すべての人の
奴隷になった。できるだけ多くの人をえるためである。
ユダヤ人に対しては、ユダヤのようになった。
ユダヤ人をえるためにである。・・・・弱い人に対しては
弱い人のようになった。弱い人をえるためにである。
すべての人に対してすべてのものになった。
何とかして何人かでも救うためである。」
ここでの自由な人とは、自分を捨てて
相手の奴隷になることによって、すべてを
獲得できる人という意味のよう。
「奴隷になれ」なんていやだ、言うべきことは
言うべきだ、と聞こえそうだけれど、
結局すべてを許し、相手の奴隷になることは
深いところの己の真の自由であり、意志である
のかも知れない。
出会う人すべてが私なのだから。