断酒

今年のお客さまとの集いを四月にクラウンホテルで
開催した。
懇親会でお客さまにお酒を注ぎまわった時、
ずいぶんとお客さまが年を取られたと感じた。
歯がほとんど抜け落ちてない方。
この方は、こちらより年齢がお若いはず。
それと社員さんにも一人、同じように
歯がなくて入れないままの方がいる。
いずれもお酒のみ。?
毎月一度、歯の点検とお掃除に歯医者さんに
通っている。
8年ほど前、イスラエルに旅立つ直前に、
下の前歯がグラっと傾いた。
夜食に入ったラーメン店で、かみ違えたから。
それで急ぎ歯医者さんにいって
応急処置をしていただいた。
その歯は8年たって、まだ大丈夫。
歯医者さんが驚いている。

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代表選手

誰でもが三千世界の代表選手なんですから、
なるべくいのちが沸き立つような毎日が
望ましいですね。
からだもこころもいのちも、みんなみんな
よろこんでいる状態の継続。
生まれさせていただいたほんとうの理由から、
遠くにいればいるだけ、
世の中でいう苦難困難が激しいと聞きました。
不安は怒りのもとですか。?
怒りがだめと感じたら、
不安を消しましょう。
不安は執着だから、
執着を消すといううことでしょうか。
だけれども手ごわい執着は
現実世界ではいっぱいあって、
てぐすね引いて待ってます。(笑)
どこから消せますか。?
名誉、財、嫉妬、本能・・・・?
自らに語りかける月曜日。

戦争

きっと戦争なんて永久になくならない。
そんなふうに思いはするけれど、
戦争の体験に接する時、
人間のあまりにも深い業に
人類の悲しさを見てしまう。
映画「夕凪の街 桜の国」を観た。
ひとつの映画の中にふたつの時代がある、
戦中世代と戦後世代。
親父が戦争を語ることはない。
どこの親でもそうであるように、
何故か戦争を語らない。
まるで人間をあきらめているかのよう。
変な言い方だけれど。
最終のできごと、広島と長崎での。
そのことはこの8月、毎年人々の
記憶を呼び覚ます。
落としたアメリカは日本での原爆の
犠牲者の倍の人々が放射能の犠牲に
なったと聞く。
被害、加害の不思議。
長い間広島に行く機会がなくて、
初めて原爆記念館を訪ねたのは
8年ほど前になるだろうか。
不思議に静かな広島の街。
街を流れる川。
とても長い時間を館内ですごすことは
できなかったのを覚えている。
その後、広島の人たちと縁が繋がった。
物凄い情景、物凄い体験は
人間をそれだけ強くするものなのだろうか。
広島の人たちに、大きな愛と、寛容を見る。
そして同時に強さを。
子供達にも見てもらいたい「夕凪の街 桜の国」。
桜の国。
散っては、根の養分となって重ねていく歴史。
いさぎよい桜。
武士。
特攻。
まだ続くのか、人類の業。
まだ続けるのか支配、被支配。
真実を知るときがきているのだろうか。

全部許せたら

目の前で起きること、
それから人づてに聞いたことも、
(不確かだけど)
全部許せたら、
もうここにはいません。
存在する理由は、
全部は許せないから。(笑)
人間で生きててよかった。
許せない数だけの人生。
ちょっとおもしろい。

わからないことの数々

今までの人生で
わからないことって多かった。
でも、あとで思ったら、すこしの学びが
すべてのことは必要だったと思わせてくれる。
ただ学びを越えて、わからないことはある。
それを追い求めてどうなるんだろうとは、
思ってしまう。
わからないことを体験できる場所は
ミステリーで刺激的だ。
だから人はそんな場所の体験にあこがれる。
また多くの人との出会いも同じ。
感動、変化、愛、寛容・・・。
そしてそれも人生では必要なこと。
そう今までに習ったすべてを総動員しても
わからないことがある。
それは人さまざまかもしれないし、
種類も、多さも人によって異なるもの。
そのために生きて生きたのだろうか。
それぞれのそれぞれを知るために。
その総和が、きっと今。
そして一瞬の先も、今。
あんまりにも孤独だ。
何万人と一緒に歩こうとも、
あんまりにも孤独だ。
そして孤独を孤独と感じないほど
絶対的な孤独だ。
あんまりにも。

何故?

14-5年ほど前、急にいろんな人の
お話をお聴きする,講演会を開催したくなった。
ちょうどその時、機会が与えられた。
9-10年前、また急に日本や世界のさまざまな
聖地に行きたくなった。
ご縁の方々と旅をした。
2-3年前もうどこにも行きたくなくなった。
そして講演会もしたくなくなった。
それで活動を中止した。
誰が決めたわけでもない。
なぜかその時期にそう思った。
何故その時そう思ったのかは
わからない。
でもなんだか説明のつく本にであった。
きっと人々には理解されることはないだろう。
それでいい。
もうすぐ・・・・。
何故だかばくぜんと、2008年が気になる。