いのちの刻印 R3 8/9

8月9日 この肉体が遣わされた日です。

この日はこの国の人々にとってはとても記憶に残る日。
長崎の原爆記念日です。

そして6日は広島のその日。

「ふるさとの街やかれ

身よりの骨うめし焼土(やけつち)に

今は白い花咲く

ああ許すまじ原爆を 三度許すまじ原爆を

われらの街に

・・・・・」

オリンピックの閉会は昨日8日でした。

心やさしき友が 最新のメールメッセージの
誕生日プレゼントをご縁の方々に呼びかけられ
今朝ビックリ嬉しいプレゼントをいただきました。

73年生かされてこんなうれしい日が来ようとは
生まれ出た日には何もわからぬ赤ちゃんだったのに・・。

今まで生かされた自分としての「らしさ」は
なんだろうといいますと、それは「平等感」でした。

ですが物質的なことで較べますと、生まれ出たその場所
家庭、環境などはすでに「平等」ではありません。
ただ生命の点でいいますと「平等」とはいえます。

生かされると言う一点では。

マクドナルドペインさんの本「解脱の真理」の冒頭では
この意味で深い言葉が交わされます。

ペインさんが夢の中で幾度もあったことのある
霊性の師であり友でもある方と、この現実の世界で
初めて出会うチベットの地での初めての会話。

ペインさんはうれしさのあまり、自分がその生涯で
あった数々の体験を一気に語ります。

医者であったペインさんは、その能力から世界中の
人々からお声がかかり、世界中を飛び回ります。
そして数々の学びをし、知識もとほうもなく
拡大していきます。

こんなこともしたし、あんなこともできたし、
色んな人に会って、多くのことも知った。
そして難病も治すことができるようになった。

その話を嬉しそうに黙って聴いていた
ペインさんの師はたった一言発します。

「君が知ったり、体験したりできることは
大したことじゃないんだよ・・」

ペインさんはただただ愕然とします。

そこから物語と霊性の旅は始まっていきます。

今朝みなさんからのメッセージを読ませていただきながら、
ある日の晩年の飯島さんとの会話を思い出していました。

新井宿で突然飯島さんが話しかけてきました。

「山田さんは、それを知っている」

「知りませんよ」

「いや知っている」

変な会話ですね。
そばにみえた人は何をしゃべっているのか?だったかも。

それからつい先週、豊田の奥の「渓流荘」というところに
品川から来た孫と西尾の孫たちと一緒に行きました。
「魚釣りがしたい!」と孫が言ったからです。

こちらには鮎を食べて酒が飲める楽しみがあります。
ちいさな生け簀で「マス釣り」の体験を楽しみました。

名古屋からの行きの運転はこちらが買ってでました。
帰りは飲んだくれて帰れるからです。(笑)
渓流沿いの川床のような場所で、たくさんアユ料理とか、釣ったマスとかを
いただき、竹の中に岩魚の骨酒の熱燗で上機嫌で帰途に。

帰路車中での会話。
まみちゃんはお父さんに質問します。

「この世界でどんなことが一番の喜び。?」

「この世界では味わうことができないものが一番かな。?
この世界のどんなものとも比べられないものだね。」

マミちゃんは変人だからきっとわかったのでしょう。

自分の中の人間は、お人から受けた優しい心を
魂から感じるとき、人間的な感動を共感します。
それは人間だからです。

人間でありながら人間が消えるとき
個が全体と共振する時
全体になりゆくときが常なる願いです。

それはいつもいつもなのかも知れませんが。

いつも旅の途中です。