ラマナ・マハルシの教え「私は誰か」 17 すべては神のなせる・・・

17・すべては神のなせるわざではないのでしょうか?

 欲望も決意も努力もなしに太陽は昇る。
太陽に照らされて日長石は火を発し、
蓮の花は開き、水分は蒸発していく。
人々はおのおのそのなすべき仕事を
し終わったのちに休む。磁力が存在することに
よって磁石の針が動くように、個々人が三つの
(宇宙的)機能や五つの聖務に支配され、
それぞれのカルマに従って行為し、そののちに休む
ことができるのは、すべてただ神が存在するという
美徳によるものである。
神は意志を持たず、いかなるカルマも神に力を
及ぼすことはできない。
それは、世間の行為が太陽に影響力を持たないのと
同じであり、すべてに浸透しているエーテルという
実体に、他の四要素が損得勘定を及ぼすことが
できないのと同じである。

※三つの宇宙的機能

一般的なヒンドゥーのものの考え方によれば、
宇宙は創造神ブラフマーによって創り出され、
維持神ヴィッシュヌによって維持され
破壊神シヴァによって、破壊される。

※五つの聖務

ヒンドゥー教徒は、日々五つの義務を果たさなければ
ならない。1.ヴェーダの学習(ブラフマンへの供犠)、
2.水と食物を祖霊に献げる、3.ホーマと呼ばれる火を
神々に献げる、4.すべての生き物に食物を与える
バリ供養(鬼霊への供養)、5.来客をもてなす(人間への供犠)。
この五つを合わせて五大供犠と呼ぶ。