いのちの言葉 9/1

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<写真>16年8月8日 ありがとうございます護摩 西村雅秀さんホームから
最近流行のウエブログ、通称ブログ。
多くのプロバイダーが顧客の便利ツールと
して提供をしている。
要するに毎日の日記が主体の個人の
簡単ホームページ作成ツールのこと。
これを利用して多くの方が自分発信している。


アメリカ9.11から始まったといわれる、消息さがしの
テロ事件後のネットから派生したこのブログは、
いまや誰でもが自分のホームページを簡単に
作成できる安価な道具へと進化した。
気に入った記事にコメントをつけ、他のホームへの
リンクを知らせるトラックバックという機能は情報の無限の広がりの
可能性を予感させる。
だがおよそは名を名乗らず、日記の内容も
それだけに自慰的なものがほとんどだ。
およそ予想されていた、情報時代の周辺ツールの開発度は
確実に高くなってきた。デジカメ、携帯カメラ、携帯受発信、
スキャナー、デジタルビデオ、デジタルレコーダーなどなど。
これらを駆使して情報を加工し、発信し受信する。
作業が簡単になり、テレビのチャンネルを換えるがごとく
誰でもができるようになったとき、何かが起きると
ずっと言われてきた。
マスメデイアの影響は依然として大きい。
テレビショピングや「思いっきりーーー」とかいう
番組では世の中の物の動きが変わるほどの
影響があると聞いた。
だがこのマスメデイアさえ無力化させるものの出現。?
個人の時代。
個性の時代。
みんなの時代。
企業ではもっとも多くの情報を握る者が
リーダーと言われてきた。
しかしこんな時代では情報をいかにして得るかの
方法と、人間としての意識の高さがリーダーの
大切な資質となるのかもしれない。
企業においては企業内の情報受発信が
頻繁に行なわれ、企業という、ひとつの
生命体のエネルギーが維持されていく。
そして情報の共有化はドンドン進み、
あるべき方向への収束は高まる。
万人の方向から逸脱していく者は、
告発、無視、不服従といった現象で
はじかれていくのだろうか。
企業には共通の方向性をもつ企業の
ネットがまず存在し、その中に個が存在する。
だがしかし一般の個の集合である宇宙では
共通の方向性を持つネットはバラバラだ。
意識と意識だけで繋がりあうには、人間はまだ
そこまで進化してはいない。
平和を願いながらも、やむなく殺戮を重ねる人。
愛をうたいながら、ねたんだり、裏切ったりは
日常のこと。
人間を離れられないのだ。
だから来たのだ。
共通の意識のネットの中で、人々は「いのちの言葉」を
かわしあえるのだろうか。言葉はこだまし共鳴し共振し
多くの波を起こすのだろうか。
目指した世界はなんなのだろう。
目の前の現象の世界が常に幸せの世界で
ありますように。ただそれだけが願いであり、祈りであったのです。
ネットは進化し続ける。
退化も進化もどちらも変化。
変化をやむことがなければそれでいいのかもしれない。
ひとびとの言葉が響きあう場。
本当の声。
素直な心。
いのちの発露。
「しあわせでしたーー」が
ずっと連続する今の祈念。
ありがとうございます