ラマナ・マハルシとの対話(TALKS)より 30 真我は・・

質問者

真我は「聞く者、考える者、知る者」などと描写されますが、その後で再び「聞く者ではなく、考える者ではなく、知る者でもない」と描写されます。
そうなのでしょうか?

マハルシ

その通りです。
一般の人は知性(ヴィジニャーナマヤ・コーシャ)の中に変化が現れたときに自分自身に気づきます。そのような変化は現れては消え去る一時的なものです。それゆえ、知性(ヴィージニャーナマヤ)は鞘(さや・コーシャ)と呼ばれるのです。
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2517「浦島太郎と黄泉の国」2021.11.15 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年11月09日の記事を紹介します。

「浦島太郎と黄泉の国」

今日は珍しい切り口で神の国と、人間の世界について書きたいと思います。

春日大社の元宮司、神道の最上階(浄階)まで行かれた葉室頼昭さんのお言葉を基にご紹介します。

日本神道では

神さまや先祖の皆さんがいらっしゃる国を、「黄泉の国」(よみのくに)

そして私たちが肉体を持って生きているこの世界を「現世」(うつしよ)

と呼びます。
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2516「秦唐衆」(ヤタガラス)とDS「清和会」2021.11.14 自分で自分を自分するから

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今回は「宇宙の中心で、愛を叫ぶ」さんの2021年11月9日の記事を紹介します。

https://ameblo.jp/riyanmichaki/

「秦唐衆」(ヤタガラス)とDS「清和会」

こんにちは。澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。

今回もブログインタビュー、早速、本題に入らせていただきます。

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ラマナ・マハルシとの対話より 31ー1 「シーヴァ・ナディとは・・」

1939年1月23日~28日 対話616(59才)

質問者

シーヴァ・ナディとは実体があるものなのでしょうか?それとも想像の産物なのでしょうか?
(シーヴァ・ナディ 個人の魂の霊的な神経経路)

マハルシ

ヨーギーたちはジーヴァ・ナディー、アートマ・ナディー、パラー・ナディーと呼ばれるナディー(霊的な神経経路)が存在すると言っています。「ウパニシャド」はそこから幾千ものナディーが派生するセンターがあると述べています。ある人はそのようなセンターは脳に位置すると言い、別の人は別のセンターに位置すると言います。
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ラマナ・マハルシとの対話より 31ー2 

つづき

今もなお内在する潜在的傾向がサマーディの静寂を妨げないようにするには、生来のヴァーサナーを根絶しなければならないのです。そのためヨーギーはクンダリーニーを(スシュムナーの延長でしかない)ジーヴァー・ナディーと呼ばれる経路を通してサハスラーラーからハートへと降ろします。このようにスシュムナーは曲線を描きます。それは太陽神経叢から始まり、脊椎を通って脳に昇りつめ、そこから曲がって降りて行き、ハートの中に到達するのです。ヨーギーがハートに達したとき、サマーディは永久的なものになります。これでハートこそが最終センターであることが理解できるでしょう。
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2515「神さまの微笑み」2021.11.13 自分で自分を自分するから

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 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年11月08日の記事を紹介します。

「神さまの微笑み」

縄文の昔から、日本人は、全ての中に神様を見出してきました。

私も、特定の宗教には入っていませんが神様の存在を確信しています。

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