光文書
(ヒカリモンジョ)
Vol.800+30+166
日向の新しき光
この二千二十五年の十一月三十日に、私は熊本県の市房山神宮本宮に登り、新しい日向の光が立つことになりました。なぜ、日向の光が高千穂の峰ではなく、市房山に立ったのかは、日向とはもともと南九州だったことと、この地を支配した相良氏の七百年が、重要な意味を持っていたらしい、と推測することができます。これに、二千十六年四月十四日に起きた熊本地震、さらに二千二十年七月三日に発生した球磨川水害という天変地異が、日本列島の覚醒の信号であったという推論を重ねると、重大な結論が導かれることになります。
すでに報告したように、日高見の光の柱は、安達太良山に十月二十六日に立ちました。
日高見に光の柱が立って、それに呼応するように、日向にも光の柱が立つことで、日本列島では、古事記と日本書紀という歴史的な時空を終了し、新しい日の本たる準備が整ったことになるのです。
精神学の知識でいうと、聖書の時代の終焉と、記紀の時代の終焉は一対のもので、ここから、日本列島は、世界の日の本としての道を歩むことになります。
二千二十五年、大峠の予言は、日本列島を光の勢力が取り戻したことで、ここから先の世界の立て替え、立て直しのための用意を整えるためのものだったということもはっきりしました。
人間界に、ほとんどダメージのないこの変化こそ、大難を中難に、中難を小難にという働きをしてきた精神界の存在と、それを知り、この世の側でも動いたものたちの勝利ということです。
これによって、二千二十五年十二月一日以降の日本列島の波動は、明確に変化しつつあります。
これまで、普通の人間には届くことのなかった、精神界の情報が、列島全体がその波動を出しはじめることで、多くの日本人の意識にも登るようになるはずだ、と精神界は伝えています。そして、これは、日本が世界の日の本になるための新たな東征の準備でもあるということです。
これから、光は東に向かうことになります。すでに、その先達として、西南戦争で戦ったものたちが、アメリカのアーリントン墓地に行ったことは、この光文書でくり返しお伝えしてきましたが、これから、日本から発される光の情報は、いまの世界を支配しているマネーの秘密と神界の秘密を明らかにするものとなります。
聖書の時代が終わるということは、この聖書の問題点を現実化したこの世の歴史の作られ方と、マネーの支配の間にあった、ある種のエネルギーのことを人間が知るタイミングが来たということです。
この情報が人間に開示されるということは、なぜ、最後の審判というものが必要なのかの理由。つまり、いまの世界は、神のマネーを盗んだものたちが作った歴史であったことを、すべての民が知るためなのです。
日本は明治維新から、今日まで、その秘密を世界に知らしめるために、使われてきました。それを、神界は日本の仕組みと呼びましたが、その全体像は、人間が知っている神と呼ぶ意識体ですら知らぬものだったのです。
この原則を知らせるために、その日、その時は、神ですら知らぬ、とされたのですが、神もまたプロセスに過ぎないために、その全体像は知ることができないというところに、精神界の真実があるのです。この全体像が見えてくると、人間という存在が限りなく神に近いものであることが分るのです。
そして、私が、神を超えよ、仏を超えよ、といっている理由も分かります。
つまり、日本の仕組みとは、この宇宙の仕組みを知るところに、神知と人知を導くためにあったということです。その知こそが光なのです。
日本は光のもとなのです。
神紀五年(二千二十五年)十二月十一日 積哲夫 記
