再録 奇跡の道 その113~最後には一人ひとりが審判されるのか

「最後には一人ひとりが審判されるのか」

まさしく!その通りのようですね。

しかし、もはや恐れと結びつけなくなるときまで
それは訪れませんね。
誰もがそれを歓迎するようになるとき、それが彼に
与えられるのでしょうか。
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再録 奇跡の道 その114~どのように一日をすごすべきか

「どのように一日をすごすべきか」

目が覚めたあと、できる限り早いうちに静かな時間を持ち、
それがむつかしいと感じ始めた後も、1~2分は続けてみる。

その難しさは減少し、消えてしまうかもしれません。
もしそうならなければ、その時がやめるべきときかも。
夜の時間も同じです。

確信しているべきことは、成功は自分がもたらすのではなく、
自分がそれを呼び求めるときはいつでも、どこでも、
どんな状況でも、与えられるということです。

「どのように一日をすごすべきか」

森信三先生の言葉 15~われわれの命というものは、祖先以来・・

 われわれの命というものは、祖先以来無量の生命の重畳であり、その結果と申さねばなりません。実際わたくしたちが、針の先で突いて出る程度の血の中にも、実は過去無量世の祖先の血が圧縮せられて重畳しているわけであります。それ故このように考えて来ますと、わたくしどもは自分の生まれる以前の「業」を、わが身の内に宿しているということは、必ずしもこれを非科学的だとか、迷信といって片づけられないものがあるわけであります。

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 この「業」という考えは、われわれがこの人の世において受ける諸々の悩みや苦しみに対して、何とかして逃げようとか免れようと焦りもがくのではなくて、わが身の受けるべきものは、そのすべてを自業自得として受けるという態度であります。即ちこの態度は、悩みや苦しみを回避するというのでもなければ、さりとてまた単にそれに泣き溺れてしまうのでもありません。そうではなくて、自分の果たすべき「業」はそれを果たして了うまでは、どこまでもこれを甘受し受け容れて行くという態度であります。否、自己の果たすべき「業」はたとえ生涯をかけても、あくまでこれを果たして行こうとする雄々しい人生態度ともいえましょう。それは例えば柿の渋を抜くようなものです。つまりこの「業」という考えに立つ時わたくしたちは、いろいろな悩みや苦しみに出合う毎に、一歩一歩自分のアクが抜けていくのだと考えることが出来るのであります。

再録 奇跡の道 その115~魔術的想念にどう対処すべきか

「魔術的想念にどう対処すべきか」

このことについての最初の責任は、攻撃しないことですね。

もし一つの魔術的な考えが何らかの形の怒りを
呼ぶとしたら、罪を信じる信念を強めてしまって、
自分自身に有罪宣告をしたということにありますから。

そして、ゆううつ、苦痛、恐れ、災禍が自分のもとに
訪れることを自分で求めてしまったということですね。
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森信三先生の言葉 16~コトバを慎むということは、修養の・・

 コトバを慎むということは、修養の第一歩であると共に、また実にその終わりといってもよいでしょう。否、コトバを慎むということは、ある意味からは修養の極致といってもよいでしょう。さればこそ古人も「辞を修めることによって誠が立つ」といわれたゆえんであります。

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 人間の修養の眼目は、これを内面からいえば、「心を浄める」ということであり、これを現れた処から申せば、まずコトバを慎むということが、その中心を為すといってもよいでしょう。心を浄めるとは、すなわち誠ということでしょうが、しかもコトバを慎むということは、実はそのまま誠に到る道なのであります。

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 人間の人柄というものは、大体その人が、他人から呼ばれた際、この「ハイ」という返事の仕方一つで、大体の見当はつくと云えましょう。それと申すのも、その人の名前を呼ぶということが、その人の全人格に対する呼びかけであるように、これに対する「ハイ」という返事も、またなるほどコトバとしては、唯の一言ですが、これまた、全人格の発露でなくてはならぬからであります。

日本とユダヤのハーモニー 「天皇家とイスラエルの関係」 1

天皇家のルーツはユダヤ?
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 菊花紋章の由来と天皇家との関係 菊花紋章のルーツは古代西アジアの王家紋章か? 1

再録 奇跡の道 その116~訂正はどのようにして行われるのか

「訂正はどのようにして行われるのか」

実相は不変であって、魔術的想念は単なる幻想でしょうか。

主要な学びは、魔術的な想念に対して、まったく怒りを
抱かずに反応する方法を学ぶことですね。
怒りは、ただ「罪悪は実在する!」と金切り声を上げますね。
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森信三先生の言葉 17~人間は、現在自分の受けつつある不幸を、・・・

 人間は、現在自分の受けつつある不幸を、単に自分一人が嘗めさせられていると考えるか、それともこうした不幸によって、自分の甘え心を取り去るために神の深い計らいが働いていると気づくかにより、その人の一生にとって、実に大きな別れ目になると思うのであります。同時にまた人間は、現在自分の受けつつある不幸が、じつは神の深い御心だということが分かり出しますと、これまで自分ひとりが不幸に嘆き悲しんでいると考えていたのに、この広い世間には、自分と同様の悲しみを抱いている人や、さらにはより深い悲しみを持っている人の少なくないことが、次第に見えてくるのであります。

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人間の心の清らかさは、それが深まってきますと、ある意味では「報いを求めぬ心」ともなるようです。ところでこの「報いを求めぬ心」ということは、コトバで申せばただの一口ですみますが、なかなか至難なことであります。ではこの「報いを求めぬ」境涯に到るには、一体どうしたらよいかと申しますと、一つの方法は、全く人の知らない処で、なるべく多く善根を積む工夫をするということでしょう。