天降る光 吹き上がる光
天照る光 虹 12月5日 名古屋 中川区
再生大和 霞の中にて活動する
冠之会 平成30年1月20日(土)
午後6時から 山善ビル2階
なとねとは
左絵 五色の糸巻き 心の御柱 内宮 外宮のよりしろ中心柱
天皇の背の高さ 下部に護符 ろう(有龍)ー兼有する。
いとめ
すじめの
かたしめし
ひたり
みながれ
みきに
ふたながれ
きはく
せきおふ
あおのしょふ
出雲から伊勢の大神楽へと導かれた12月の始め。空を見上げれば輝く日(太陽)です。
不思議なことが三つありました。
輝く太陽です。
ベランダで椅子に腰掛けながら美しく輝く太陽を撮影しようとしました。おそらくめがねをかけた方なら誰でもが体験していることでしょうけれどこの日はなんだか不思議な感じを受けました。めがねをはずせばもちろんわかりません。
めがねをかけて太陽の方向に身体を向けます。そして視線を正面から少しずつ上の太陽の方向に上げていきます。
そうすると太陽からの真っ直ぐな一筋の光が自分のハートに注がれていることを感じます。まさに真っ直ぐな一筋の光が太陽から自分だけに注がれていて、太陽と自分がつながっているような感覚が溢れてきます。
当たり前の 普通のことかもしれませんが。
2016年6月19日に池の浄化に着手しました
熱田神宮では今秋まっさかりです。
池の水面にたくさんの枯葉が雪のように
サラサラと落ちていきます。
でもおかげさまか、その枯葉の水面での動きが
池の水が循環していることを証しました。
三台のジェットポンプがエアドリームの空気を
吸引して、池の水を活発にしています。
枯葉による有機の泥は年々多くなり、池の水に混ざるので
池の鯉や亀は喜んでいますが、池に集まる人々にとっては
水の透明度という点では少し物足りないようです。
お茶屋さんの女性にお聞きしましたら、夏でも池の匂いは
しなくなったとのことでした。
18ヶ月の浄化の実験は一応の終了をみました。
担当の方の熱意が新たなる工夫を生み出しました。
唯一の緋鯉に子供が誕生したのか
小さな緋鯉が挨拶しに来たかのように
近くに寄ってきました。
池はすばらしい方向に向かうことでしょう。
「受容」の幅について、先生と生徒の真理探究について、
「受容」の幅の差が、関係を継続させると書きました。
敵さえも「受容」したイエスについては、すべての人との
「受容」の幅の差(ギャップ)が詰まることがないので
イエスに多くの人々が2000年もの間惹かれているのです。
それはお釈迦様も空海も道元も親鸞も日蓮も
宮沢賢治も良寛もその他の偉人達も同じように
人々を長い間ひきつけてやまない理由です。
「受容」の大きさが、人々を大きくひきつけるエネルギーとなっ ています。
「受容」すれば「0」になるからです。
すべてを「受容」すれば完全となり イエスになります。
逆に「0」になれないので人間として生まれたともいえるのでしょうか。
「0」になれない理由は「分離感」にあります。
「分離感」を無くすことが、すべてを「受容」することになるようです。
私達の感知する現実世界は一体全体でひとつの
生命であることはよく耳にします。
そのことと、意識はエネルギーであり光子でもあることの
証明が科学的になされました。
いつも暮れになりますと送られてくる風天さんの
冊子にその記述を見ることができましたので
掲載させていただきました。
すべてのモノはかかわりあって存在していることの証明が
上の項目でなされています。
そして意識はバイオフォトンという光子であることも。
光子ですから意識を向ければ(意識をすれば)電子が
動きます。そして思ったとおりになります。
「意識すればそこに量子が偏在する。
意識は光子(バイオフォトン)で エネルギー、 波であり物質(粒)である。
人は自分の見ているものすべてに影響を与え変化させる。
何かを見るだけでその何かの分子を変え、原子を変え
エネルギーを変えるほどの力を発している。
素粒子は人間が意識していないときは波(エネルギー)で
人間が意識したときだけ粒(物質)になっている」
真理法則の科学的証明です。
現実はよいわるいを抜きにして幻想の世界なのでしょうか。