光文書
(ヒカリモンジョ)
Vol.800+30+164
日清戦争前に似る日中間
チャイナの外交官の非礼にはじまり、台湾有事の問題の首相答弁に、反発した北京政府の反応に、日清戦争前の清国の行動が重なって見えています。
明治の日本は、清から見れば朝鮮半島の先にある小さな国で、当然、自分たちの方が、上だと信じて、そのように行動しました。その思いのシンボルが、ドイツで建造された二隻の戦艦で、その名を定遠、鎮遠といいます。
遠くの国を「定める」「鎮める」という名は、明確に日本を対象としたものでした。
経済成長に合わせて、急拡大した中国共産党の人民解放軍は、再び大国としての伝統的な行動様式に戻り、小日本に圧力をかける選択をしたようです。
敗戦後の日本のマスメディアは、日中国交回復後は、日中友好一色で、事実上、中国共産党の日本国民への洗脳工作を担う代理人という歴史を歩んできました。今回も、また同じような反応をマスメディアはしているように見えますが、一般の国民は、そのマスメディアの正体を知ってしまったので、共産党の中国が期待する反戦平和の党への支持が拡大することはありません。
すでに、日本人の潜在意識は、日本神界が、この二千二十五年の八月十五日に出した、日本取り戻し宣言を受け入れて、その方向に向いています。
これは、かつて、ニュースの商人ロイターというものが出て、生み出したマスメディアというものの歴史的役割の終了を意味しています。
それは、資本主義が生み出した一般の国民をコントロールする手段の喪失であり、同時に資本主義のアンチテーゼとして世に出た共産主義というもののプロパガンダ機関としての機能も失われたということです。
この資本主義や共産主義の終焉というものは、聖書の時代の終わりに対応する事象のひとつであり、ここから先は次の文明の出発点となるプログラムが発動することになります。
精神学は、その出発点となるのが日本であり、そこから最後の審判の時代がはじまることで、世界が変わるというプログラムが日本の仕組みというもので、それを、精神界が用意したことを人間の世に伝えてきました。
精神界の情報が、文字化され、それを読む人間の脳を経由して、人間の潜在意識、集合的無意識領域に影響を与えられるということを、この光文書は証明してきたのです。
それは別のいい方をすると、西洋文明の科学というものが目指した、神というものの存在証明を、日本語のルールの中で、現実化したということになります。
ここで、精神学が伝えている、日本人として生まれるものは、地球でのたましいの学びの最終段階に入ったものという知識を、改めて、人間の世に伝えなければなりません。最後の審判の段階に到ったたましいだけが、日本人の親のもとに、日本人として生まれるというルールが、この地球の精神界にはあったのです。それを無視して、労働力として他民族の移民を進めてきたことが何をもたらすか、これからの日本国、日本政府は、その責任を負うことになります。たぶん、これらのことも、日本列島をガイコクに差し出したことで予定されていたことなのでしょう。マスメディアが代弁する、いまの日本人の中にある日本を否定する思いの強さを増幅させる脳内宇宙の構造を変えるために、人間の脳の新皮質と旧皮質の関係を考えるという情報を精神界が伝えていることと、いまの日本人の変化は無関係ではないのです。
神紀五年(二千二十五年)十一月二十七日 積哲夫 記
