「癒されるためには患者が自分の心を変えなければ
ならないというのなら、神の教師は何をするのだろう。」
患者当人の心を当人に代わって変えられるだろうか。
当然にそれはできない。
「すでに自分の心を変えようとする意欲がある者に
対しては、神の教師の機能は、ただ彼らとともに
喜ぶだけである。」
彼らも彼と一緒に神の教師になったからですね。
“再録 奇跡の道 その107~癒されるためには患者が自分の心を・・” の続きを読む

再生大和 霞の中にて活動する
「癒されるためには患者が自分の心を変えなければ
ならないというのなら、神の教師は何をするのだろう。」
患者当人の心を当人に代わって変えられるだろうか。
当然にそれはできない。
「すでに自分の心を変えようとする意欲がある者に
対しては、神の教師の機能は、ただ彼らとともに
喜ぶだけである。」
彼らも彼と一緒に神の教師になったからですね。
“再録 奇跡の道 その107~癒されるためには患者が自分の心を・・” の続きを読む
「判断はどのようにして放棄されるのか」
判断というものも、世界によって全面的に誤解されている。
それは実際に叡智と混同され、真理の代替とされている。
この言葉の用い方によれば、ひとりの個人が「良い」判断と
「悪い」判断をすることができ、彼の教育は前者を強化し、
後者を最小限にすることを目指している。
“再録 奇跡の道 その108~判断はどのようにして放棄されるのか” の続きを読む
「どのようにすれば、この世界で平安が可能となるのか。」
世界のあり方は、事実であるにすぎない。
それが何であるべきかを、あなたが選ぶことはできない。
しかしそれをどのように見たいかは選択できる。
“再録 奇跡の道 その109~どのようにすれば、この世界で平安が可能となるのか” の続きを読む
「世界を救うためには、何人の神の教師が必要か」
この問いの答えは「ひとり」です。
なぜ多数という幻想が必要でしょうか。
その理由は単に幻想に惑わされている者にとって、
実相は理解できるものではないからですね。
“再録 奇跡の道 その110~世界を救うためには、何人の・・” の続きを読む
「犠牲の真の意味はなにか」
真理においては「犠牲」という言葉自体は
まったく無意味ですね。
それは一つのレッスン、そして幻想でしょうか。
実相においては学ぶべきことはひとつもない。
この世界が与えることのできるものは何もない
という事実を悟り、受け入れるには、多大な学びを
必要とするようですね。
そしてこの世界が定義する犠牲で、肉体に関連
しないものは皆無でしょうか。
“再録 奇跡の道 その111~犠牲の真の意味はなにか” の続きを読む
「肉体を通して楽しみを求めるなら、苦痛を
見出さずには済まない。肉体とは苦痛への招待」
おいしい食べ物、おいしいですよね。
快楽。快楽ですよね。
でもその果てに待っているのは苦痛ですと。
“再録 奇跡の道 その72~肉体を通して楽しみを・・” の続きを読む

「愛は愛だけに引き寄せられる」
愛は何の偏りもないので、偏りのない愛だけに
引き寄せられるのでしょうか。
また感謝も誰かに対する相手のある人間的な感謝でなく、
大いなるものに対する全的な感謝も同じかも知れません。
“再録 奇跡の道 その73~愛は愛だけに引き寄せられる” の続きを読む
このシリーズも73回目を終えています。
今まで使わせていただいた用語について、
すこし書かせていただきます。
よく使う言葉ですが、日本語ですので今まで通りに
意味を受け取りますと、すこし違和感があるかも
知れません。
そのため「奇跡のコース」での用語を
説明させてください。