真理の光 その5 バイブレーション

いままでのことを少しまとめてみました。
この現実界はすべては空からなりたっています。
それはプラスとマイナス。
それをくっつけて物質化しているのが光子のようです。
プラスの数とマイナスの数で物質に名前をつけいています。
最小が水素。
形を現すのが電子マイナスで電子マイナスを動かしているのがプラスです。
電子が集まってながれることを電流といいます。
ですから現実界はすべてが電気といえますし、
すべてが光だともいえますし、
すべては微生物(プラスとマイナスの集まったもの)だともいえます。
物質になんらかの圧力がかかります。
そうすると物質が不安定になり、電子が飛び出したり
物質の内部の電子が不安定になります。
それが安定状態に戻ろうとするエネルギーが働きます。
そうして電子や光子が物質に作用します。
原子転換と呼ばれることもこのようにしておきるようです。
また物質のきめや振動が(バイブレーション)がこまかくなり
物質が活性化することもおきます。
物質への圧力はどのようなものがあるのでしょうか。
何より最大の圧力は意識です。(意識圧)
水では衝撃圧。(マナウオーター)
水や空気での振動圧。(バンブー、エアキューブ)
土壌の微生物を増やす土圧。(酵素微生物アグアなど)
水などの液体の微生物振動圧。(VH100,アグアドリンク)
そして電圧のかかった場所へ置く場合の電界圧。(エアキューブ)
全部圧エネルギーと物質の因果で成り立っています。
しかもたった一つの真理です。
家の犬が 寝室で寝ています。
犬は自然体で電界によるエネルギーを察知しています。
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この世は万物のバイブレーションに満ちています。
未知の光電子や磁界が生み出す永久性はいったいどのような
ものなのでしょうか。
その謎解きのときが迫っています。

真理の光 その3 自然界の法則 思ったとおりになるとは

人間は思ったとおりになる、それは真理の法則。
このことの
ひとつの仮説を立てました。
「原因なき 原因」 
科学者が物事を研究し尽くすとき、
いつも小さな単位の電子や陽子や中性子や光子(フォトン)が
どこから生まれたのかに行き当たります。
それは不明なのです。
だから因果の法則である、自然界の法則もただ一つ
現実界を見せている元の最小の単位である素粒子なども
何故できたのかがわからないようです。
科学の難しい話ではなく。
この現実界の成立している原因であるもとの
小さな単位の発生の理由がわからないので
「神」とも「原因なき原因」ともいわれるのです。
それはともかく物質になんらかの力が働くとき
電子(-)が動いて光子(フォトン)を呼び込むと
聞きました。
そして電子があるべき位置に戻ろうとすると光子が
飛び出て光るとも。
光子が電子を固まらせて物質にさせる大きな役割を
持ってることも。
電子の形は不明とされています。
それは電子の周りにはさまざまな振動数をもつ
さまざまな光子がびっしりと雲のように存在して
電子を隠していることによるようです。
このように、
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原子核と電子である原子が光子の働きをえて
さまざまな万物に形を作っています。
もとは原子ひとつからです。
「原因なき原因」の原子は宇宙のあらゆるところに遍満しています。
それがあることで固まって宇宙にある星ぼしになりました。
そして生命体が生まれ、人類が生まれました。
光子は電波であり磁波であり粒であって、
電子のながれである電気の力を伝播します。
光子といっても見える可視光線だけではなく、
無限の異なった振動数を持って電子の周りを覆っています。

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何のために・・・

長い間の疑問。
自分は何のために人としてここに来たのだろうか。
生まれて、いろんなこと覚えて喜び。
学業の高い低いで喜んだり悲しんだり。
入学の喜び。
別れの悲しみ。
恋愛の切なさと喜び。
就職の喜びと戸惑い。
独立の生計への不安。
結婚。
子供の生誕の喜び。
または子供がいない寂しさ。
同僚との共同作業。
達成の満足感。
安定の満足。
子供の成長。
友人との刺激しあい。
新たなことへの挑戦。
気付きの感激と感動。
真理への実践。
でもなんで人間として固まって、それぞれが
異なる体験をして、さまざまな意識を抱く。
そしてまた人間としての固まりが解けて
空に還って行く。
なんのために。
新聞の囲み記事で、25年来の友人の帰天を
知った。
いなくなった友人にあててはがきを書いた。
「よくやったね・・・・    またあおうね。」
たくさんの子供さん、たくさんのお孫さんに囲まれて、
人のために黙って尽くし続けたお人でした。
ありがとうございます。
菩薩様に一杯ありがとうございます。

Oさんへのメール

0 様
あすぱら今年も届きました。
いつもいつもありがとうございます。
この土曜日には名古屋キャッスルで森信三先生の
供養塔の集いがありました。
名古屋の緑区に森信三先生の供養塔が建立されました。
坂田先生ご夫妻の呼びかけとご尽力によりました。
墓地に建ちました。
このことでは賛否両論があったようですが、
思い出すことが供養であれば名古屋の地に建立されたことは
思い出す機会が多くなって、ありがたいことと感じます。
坂田先生は「1000年に一度の事業」といわれました。
坂田先生とともに森先生の三人のお弟子さんのおひとりである
川原様にもお会いできました。
魂のこもった坂田先生や川原様のご挨拶の響きに、
もう私には残っていないかと思っていた涙が溢れました。
森信三先生の言葉群です。
すでにご存知とは思いますが。
☆「人生二度なし」 
☆再建の三大原則 時を守り 場を清め 礼を正す
☆逆境は神の恩寵的試練なり
☆一眼は遠く歴史の彼方へ他の一眼は脚下の実践へ
☆教育とは流水に文字を書くような果かない業である
  だがそれを厳壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ
☆人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える
   しかも一瞬早すぎず一瞬遅すぎない時に
しつけの三原則
☆朝の挨拶をする子に
☆「ハイ」とはっきり返事できる子に
☆席を立ったら必ずイスをいれ
  ハキモノを脱いだら必ずそろえる子に
腰骨を立てる(身心相即の原理)
☆性根の入った子にするには、「腰骨を立てる」
久しぶりに性根が座りました。
まことにまじめな人たちの集いでした。
ありがとうございます。
                   Y

真理の光 その1  すべては光

平成5年ですから、今から24年前の11月、
広島のお寺にいました。
そこですでに故人となられたKさんの小太鼓の
響きにふれました。
そのときのKさんのお写真です。

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広島の方々に大変にお世話になりました。
実はその日は仙台からも大阪や名古屋からも
たくさんの方々が集まりました。
今年三月からのものすごいスピードでの出来事が
コレまで生かされてきて不明だったことへの
理解を深めてくれました。
「すべては光」
その日お寺の和尚さんからお聞きしたこの言葉はなんとなく理解しながらも不明でした。
光がすべてなら、元である神様も光、そしてその子でもある
人間も光、そして万物もまた光ですので、すべてがひとつであるのに
異ならないのです。
もしそのときの体験記事をお読みになりたい方は
こちらからどうぞ

今年の3月3日岡山にいました。
テネモスのKさんからのお誘いで、震災から加速した
オフグリッド(送電線網に寄らない、すなわち自前の電気)の
電気で自宅をまかなっている方たちの家を訪問させて
いただきました。
ただそれだけだったら、そうかで終わっていました。
でもそれだけではありませんでした。
岡山市内でのお寺で、その日集った人々に加えて
新しい技術で自前の電気を確保しようとする提案が
ありました。
そこからさらなる旅が始まりました。
「すべては光」の真の理解への旅でした。
今朝のお日様です。

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そして今朝の冴えた月です。

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日も月も晴れても雨でも曇ってもいつもあります。

この国のどこかに・・・・

この国のどこかに・・・・
ももえさんの歌の文句ではありませんが。
最近になって立て続けに映画を見ました。
自分で見たいと思った「君の名は」。
昔の同名映画は岸恵子さんと佐田啓二さんが主人公です。
小学校5年生のときにバスの中で生オケで
この主題歌「君の名は」をうたったほど好きな歌の題名でした。
でもこの映画の上映館はほとんど若い方ばかりで恥ずかし。
終わったら明るくなる前に先に出ようと思いました。
この映画には長く続く人間の「縁」を感じました。
一回だけでない人の生涯。
だから肉体は仮の宿で、意識だけがずっと継続することを
表現している映画と思います。
若い方や世界でも、そして韓国や中国でも話題になるはずです。
「今」お会いしているすべての人々との懐かしい縁を
大切にしたいと思わされます。
きっと涙された方もたくさんおありでしょう。
次は他の方に奨められて「この世界の片隅に」です。
もうボロボロでした。
何にこんなに感じたんでしょうか。
おばあさんが出てきてしゃべるだけでもういけません。
戦争中、戦後食べるものがなくて苦しいはずなのに、
家族はみんな愚痴も言わず食卓は笑いが絶えません。
あるものに感謝する、こんな大切なことが普通に
家族にある昔の情景です。
物質が大変に豊かになった戦後ですが、
このなんにでも感謝すると言う基本がだんだん遠くなっていました。
そして広島長崎の二つの激しい記憶さえも
遠くなってきていました。
6年前の福島。
原発の是非云々よりも何よりも、この国のどこかが
人の住めない場所になっている事実を改めて認識し思い出しました。
ふるさとに生まれ育ち、ふるさとを追われ戻れない。
福島の人たちの悲しみが迫ります。
そして逆に戦後復興した広島長崎の人々の、そしてこの国の人々の
底力をも感じました。
多くの方に、特に今苦しいであろう若い方々に
ぜひ見ていただきたい、勇気が出る、心があったかくなる
映画と思います。
そして最後に「沈黙」。
遠藤周作さんの原作です。
重い映画です。
信仰を捨てることを他が強いても、それは形では
できても心の中を変化させることはできません。
肉体的な苦しさよりも、他への思いやりによる苦しさに
絶えられず、形で信仰を否定した主人公ですが、結局は
何も変わらずに肉体の生涯を終えます。
限界のとき、いくら問い続けてもずっと黙ったままの神。
最後に少し軽いイエスが主人公の心に赦しを与えます。
自分が自分を赦した瞬間です。
自分の心にずっとあるどす黒さや弱さを見させてくれる映画です。
そしてどなたの中にでもある神性をもまた見せてくれると思うのです。

暮れのご挨拶

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いつもこの伊路波村を訪ねてくださるあなた様に暮れの感謝のご挨拶を申し上げます。
今年はとてもご縁の深かった飯島さんが天に戻られて、
肉体でのお出逢いはもうできなくなりました。
残されたものとしてわずかな力ですが、できることを
続けてまいりたいと強く思っております。
この年になると以前のように忘年会も少なくて、静かな
くれを迎えさせていただいております。
昨日は地元の氏子をさせていただいています神明社さんでの
不動様への恒例の感謝の集いがありました。
一年おきに取り替えます不動はたを先輩方とともに
交換しました。
この愛知はスサノウさんの神社である津島神社を元とする神明社さんが県内
全域に数多く存在しています。
地域の3つの山車の元社でもあります。
この神明社の参道の敷石にお不動さんの像が突然に
出現し、その敷石のお不動さんをおまつりすることにしたのです。
もう10年以上前の話です。
氏子の皆さんも年々年をへられて私が一番の若手といわれて
恥ずかしいです。この年で。(笑)
写真の犬は伊路波いちばのマスコット犬のポムちゃんです。
大好きなおにいちゃんにだかれて嬉しそうです。
娘の家から名古屋に預からせていただいてもう二年を
過ぎました。
散歩係の私が朝会社に出勤する時には、玄関でものすごい
勢いでほえまくります。
でもドアが閉まりますと、さっと何事もなかったかのように
室内に戻っていくようです。
ちゃっかりしたポーズ犬です。
犬はいつもワンワンとほえています。
「一つだ一つだ」とほえる犬はDOG。
逆から読みますとGODです。
やっぱり一つ一つと言い続ける神様ですね。
昨年の暮れ、導かれるように出かけた大阪でのご縁ある絵の
展覧会場で、入場される人すべてが以前のご縁を
思い出させてくれました。
そして続いて伺った東大寺ミュージアムの伎楽面に
時間も空間もなく距離もないことの確信をいただきます。
出会う人すべてに今生のご縁に感謝でいっぱいです。
ありがとうございます。

食べない方たち

11月6日(日)、前日に久々に来名された仙台のOさんとの
ご縁から急に大阪に出向くことになりました。
はせくらみゆきさんが始めて主催となったフォーラムで
食べない人とか、ほとんど食べない人のお話や座談です。
はせくらみゆきさんの絵画の簡易展示場を拝見して会場へ
行きました。久々に講演会なるものに出向きますので
ちょっと恥ずかしい感じがしました。
森さんという女性のヒーラーの方はあまりにも有名です。
一日に青汁一杯だけです。
この青汁一杯もほんとうは要らないけれど、あまり何もなしでは
皆さんが不思議がるからといわれましたが、存在がすでに不思議です。
鍼灸師で5万人もの方を治療し、難しい病も治したそうです。
明るい女性という感じでした。
次は秋山弁護士さんです。
この方は水も食べ物も一切口にされません。
パレスチナに出向いたときに、いきなり8キロだか10キロだかの
マラソンに出場しないかと言われて、革靴で完走。
途中幾度も差し出される水に一切手を出さず。
それでも汗は出たとか。
不思議に思った人がどうして水もなしで大丈夫なんですか?
と質問しますと「フリーエネルギーを取り入れて水に変換しています。」
というお答えをされたよし。
このお二人で午前中は終了です。
午後はこれまた有名な滝沢泰平さんと主催のはせくらさんの
お話の予定がプログラムにありましたが、なぜだかお聞きする
気になれず新幹線で名古屋に戻りました。
久々のお人のお話。
Oさんに素敵なお時間をプレゼントされてありがたく感謝しました。
さてもし目の前の現実の方でお一人でもなにも食べずに
生活をされていらっしゃるのなら、はまりやすい自分は
すべての方が可能なことと確信します。
そうなるとよい水とか栄養のある食べ物とか、自然食とか
まったく無意味なことがこの世にはとても多いと感じさせます。
それでもさすがに空気は吸わないで生きている人はいないだろうと
誰でも思われることでしょう。
でもそんなことができそうな人がこの国にいらっしゃいますね。
まったく空気がないかどうかははっきりしませんが、インドでは
聖なるヨギとして名が知られている相川圭子さんです。
10回を超えてサマディー(聖なる儀式)をしてみえます。
女性ですからヨグマタと呼ばれています。
もちろん日本ではただ一人です。
そのサマディーでは3泊4日で地中の穴に入ります。
そしてその上部を覆い、土をかぶせます。
瞑目して4日目に自力で地上に上がれれば
聖人として認められます。
何万人もの人たちが一緒にその様子を見ています。
偏屈な自分はその穴の大きさ、成人女性の肺活量と
呼吸数などから本当にその穴倉で窒息しないだろうかの
計算もしたことがあります。
おそらく熊さんの冬眠のように生命維持力をかなり落とせば
不可能ではないとは思いました。
ですが普通の人間ではとても不可能です。
しかし一人でもできる人がいればそれは誰もができます。
したがって空気もまた人を生かすものではないかもしれないと
感じました。
それでは人を生かしている物質ってほんとうにあるんでしょうか。
それとも物質ってほんとうにあるんでしょうか。
不思議です。
忘れていました。
秋山さんの最後の言葉「ひとつひとつ丁寧に生きてください。」が
とても心に残っています。
いつも大雑把を選択しているだけに・・・・・。