先の水耕栽培の実験ではいろんなことがわかりました。
まず水耕栽培の水に空気振動圧をかけていますが、
その振動圧の高さに比例して生育のスピードが速いこと。
それから上からの光の種類(光の振動)によって
レタスの色目ややはり生育スピードが異なること。
振動圧がレタスの電子を活発化しまた光子も
同じように活発化して、レタスの生育を促進します。
空気も光も振動です。
何らかの圧が物質を作り出す元となることを
ずっと検証してまいりました。
そしてその最大の圧は意識であることも。
では「瞑想」のように瞑目しながら何も意識しないことは
人間にどのような影響があるのでしょうか。
もちろん眠っているときは何も意識していないと思いがちです。
でもほんとうに眠っているときは何も意識していないのでしょうか。
それでは眠っていさえすれば「瞑想」と同じ効果があるのでしょうか。
古来多くの人々が「瞑想」をしてきた意味が消えてしまいそうです。
おそらく眠っていても意識はあるように感じられます。
ただ横になって眠っていることで、物質的にはアースされた
状態となり、滞りが無くなることでしょう。
ですから眠るのは椅子で眠ったりせずに横になって眠ることが
大切といわれるようです。
ここでは人間の意識はずっと止まらないことに
なってしまいます。
そこで地球上の人間が常に意識していることは無限の
多さであり、無限の圧といってもいいでしょう。
無限の無限の意識圧です。
それが寝ても醒めても連続しています。
その無限の意識圧を現実化する膨大な接着剤の
光はどこから来ているのでしょうか。
「意識を起こして 意識せず」
起きていても眠っていても意識を起こしているのならば、
意識をしないことは逆に意識を起こしているときにしか
できないようです。
これが古来「瞑想」が重要とされてきた理由でしょうか。
もし「意識を起こして 意識せず」ができたならば光の元、一元の本源に
自分がそのままになることができるのかもしれません。
というよりも、もともとそうであったとの深い感慨を得るのでしょうか。
「瞑想」でふるさとへどうぞ。
そして「万事如意」の世界観を達成なさってください。
無限宇宙は無限意識そして無限のバイブレーションに満ちています。
突然の理解
以前に聞いた言葉でその時には理解できなかった言葉。
そのような言葉がなんでもないときに突然に理解に
いたる不思議な感覚があります。
「人生とは心をきれいにすること」
「仕事は掃除すること。掃除だけしていればいいです。」
「自然は陰陽の法則ですが、人間だけは類友です。」
人間の中の見えない心は現象を通じて理解できます。
最近よく言われる言葉は
性格は顔に、感情は声に、本音は仕草に、美意識はつめに
などなど出るといわれています。
見えない意識が現象に現れます。
最近のテレビは知識のオンパレードです。
らしいです。
糸川先生は「無知は罪」といわれました。
でも同時に世界中を旅し、世界中に友達ができ、
どんなことでも知っているはずの先生はご自分のことを
「自分の知っていることは0に等しい。」といわれたようです。
先生の「無知は罪」の「知」とは何でしょうか。
私達の思い込み、経済や知識偏重の心がその真の「知」に
大きな壁を立ててしまっているのかもしれません。
ご縁がつなぐ人生
昨年5月の森信三先生供養塔建立の集いの日から
ご縁が繋がったKさんは森先生のお弟子さんのお一人でした。
旧知の友人内田さんからKさんのことは随分以前にお聞きしていました。
あの日からおはがきのやりとりをさせていただいて
日にちが過ぎてまいりました。
Kさんのことは2006年の伊路波村の記事で
「吉和だより」に感動して、書かせていただいてました。
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さらに2005年にも、森先生の三人のお弟子さんのことを
文章にさせていただきました。
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人を見ぬく天才といわれた故森 信三先生。
坂田道信さんに「あんたははがき書くといいよ」とおっしゃった。
言われた坂田さんは以来、はがき道を歩むことになる。
四日市読書会で坂田さんを生涯の師と心にきめている
内田富朗さんが今朝、偉人の涙について語った。
内田さんが尊敬する坂田さんの心の友である川原作太郎さん。
川原さんは尾道に住んでみえる。
その川原さんを最近訪ねた時に内田さんは彼にこんな話を聴いた。
坂田さんとのはじめての出逢い日。川原さんは当時神戸に居を
構える森先生をはじめて訪ねたのだった。森先生の本の一節に
感動した川原さんは神戸の森邸を捜す。ようやくにして家を
捜し当て、玄関を入る。森先生がお迎えし、川原さんの
顔を見た時「ここにもいたよ」とたまたま森邸を訪問していた
坂田さんと森先生の押しかけ書生をしていた、寺田一清さんに
森先生はおっしゃったそうである。
三人を前にさまざまな会話の途中、森先生の口をついた
言葉。「人間は道を求め実践を繰り返しやがて生を終える時が
近づくと、天と繋がることが出来るんだ。」そう言って、森先生は
ボロボロと涙をこぼされた。
現代の偉人といってもいい3人のご縁の方たちを前に
森先生は魂の邂逅(かいこう)を現世で得られたいのちの
ふるえを臆面もなく現したのだろうか。
素晴らしい方たちとの出逢い、それが今生でかなうことが
できる幸いは計り知れない。
そんな友人をもつことができた幸せをかみしめるだけで
ありがたい自分が いる。
ありがとうございます。
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心を揺さぶることにであった証を自分のブログの中に
みつけることができてなつかしく思い出しました。
年齢を経てさまざまなことから次第に自由になり
こだわりが少なくなった頃こそ、世の実相(人生の真理)について
深く求めるチャンスといわれます。
この世的なことに魂を奪われ、身体や経済的な不安感が
おそうのもまた歳を経てからです。
何も知らず、何も求めずこの世をさるのもまた一つの生き方。
ですがせっかくのチャンスを無にせず、少しでもこの世の
実相について求める心が続けば、きっと心の病や身体の病からも
開放されるのかも知れません。
精神の年齢を感じさせない坂田先生やKさんです。
「人生とは 心をきれいにすることです。」
坂田先生の金きり声が聞こえてまいります。
あなたは 私を 忘れない
Kさんからのおはがきにこの言葉がありました。
お彼岸の日。
「小さく醜い 吾なれど
私があなたを 忘れても
あなたは 私を忘れない
・・・・・・・・・・・・・・・・・」
実の父と同じ家で眠った経験のない私は
離婚することもなく一人で四人の子供を育てた
母親の大きなそして懸命な心に育てられました。
そんな母親も父親も今はなく、ただ父との高校生の頃の
わずかな外部での共同作業の思い出と母のやさしい心の印象しか
残っていません。
幼い頃は友達の環境を見るにつけ、どうして
こんな家に生まれてきたんだろうと、つらかったことばかり
覚えています。
33年前63歳で逝った母、
その数年後に逝った父でした。
片親の思い出のみが強い私に転機が訪れたのが
25年前でした。
この世にあるうちは決して仲がよいといえなかった二人。
イメージの中でその二人が雲の上に乗って
仲良く並んで笑顔でいました。
そして私に手を振りながら、二人の雲は天上遠く去っていきました。
その時に思いました。
自分の人生できつい役をしてくださった父。
怒ることを見たことがないやさしい母。
その二人はすべて自分のためにいてくださったことを
心にしみて思ったのです。
長い長い間の 心のしこりがポロリととれた瞬間でした。
両親ありて吾がある。
この当たり前のご恩を忘れがちなのが 子供です。
でも子供が親のことを忘れていても 親は決して子供のことを
忘れはしない。
人の親となってやっとそのことがわかりました。
「私が あなたを 忘れても
あなたは 私を 忘れない」
すべての人は すでに赦されてここにある。
ご恩の中にすべての人は 生かされてあります。
感謝でいっぱいになりました。
はがき一枚が語るもの
平成6年ですから、23年前広島の坂田先生に
始めてお会いいたしました。
「はがき道に生きる」という講演をお願いしたと記憶しています。
異業種交流会のご縁が広がった結果のできごとでした。
坂田先生は森信三先生を師と仰ぎ、森先生の直言で
「複写はがき」を書き始めました。
そしてその行為をし続けることで何かが起きることを
講演を通じて伝え続けて見えます。
「はがきを書けば運命が変わります。
何が変わるかは書けばわかります。」
講演に触発されてはがきを書き始める方が増えてきました。
速い方は3年もかからずに1万通を超えるはがきを
書かれています。
こちらは23年もかかってまだ一万通にも達していませんが。
今年5月、坂田先生が発起人でこの名古屋の地に
森信三先生の供養塔が建立されました。
そしてその記念の日、名古屋のホテルでアルコール抜きで
自然食のランチの食事会が行われました。
その会合には森信三先生のゆかりの方がたくさん集まりました。
森先生の3賢弟と、よくお人が語るお弟子さんは坂田先生
広島のKさんそして本の出版が得意なTさんです。
坂田先生のかなきり声がランチの会場に響きました。
なつかしいお声でした。
供養塔を白いタオルで磨きながら森先生を偲ばれていた
Kさんもご挨拶をされました。
ほんとうに短い挨拶が、もう忘れかけていた涙を呼びました。
あまりにも恐れ多いそのKさんにはがきをお書きすることも
なぜかできずにいました。
名刺の交換はさせていただいてました。
「ご縁に合掌いたします。
人の世が うれしいのも
苦しいのも 人間関係に
あると思われます。
出逢うお方 菩薩さまです。
ありがとうございました!!」
一枚のおはがきが届きました。
その文字構成 バランスそれは詩であり絵でもありました。
その同じ5月の末からおはがきの交流が始まりました。
12枚の交流のおはがきがこの8月までに続いています。
一番新しい8月19日の
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人は赦されてこそ 生きているのだと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
の文字が魂に響きました。
「赦せば赦される」
この真理の実践は人生上の最大テーマと思われました。
「自分が自分をまず赦す。そして相手を赦す。
なかったことにする。」
赦せば赦されて、なかったことになって生かされている。
赦せないことに逢うのが人生と、
わかったかのような気がしていた
小さな自分にとって、すでに赦されているから
生かされているのだと、言い知れぬ感謝が
湧き上がりました。
Kさんとのはがき交流は、人生の晩年の光となりました。
感謝でいっぱいです。
真理の光 その8 圧の差が変化の原点
ある夕方家内が言いました。
「この間テレビで ガイアの夜明けで なんだかテネモスさんと
同じように感じたから とっておいたの。」
いつもよくわかりませんが。
「ガイアの夜明け」というテレビ番組で
気になることをしていたので、それが何かテネモスさんと
関係がある気がしたので、録画しましたと、翻訳すれば
そういうことです。
「鮮度が一番!驚きの技術」
テレビ番組でその以前の録画は有料で見れますが
普段は家庭の録画かDVDにして身内に紹介するくらいのことです。
せっかくなので録画を見てみました。
魚をアメリカに空輸するとどうしても鮮度が落ちます。
それをなんとか鮮度をなるべく落とさずに空輸するには
どうすればいいかという技術のを開発したエバートロンという
名前の会社の製品の紹介でした。
(冷凍せずにデス)
ある箱の中に2時間くらい入れただけで、いつものように
空輸しても鮮度がほとんど落ちないままです。
そのある箱の空間にはAMバンドの周波数が流されるようです。
(空間の側には金属が貼ってあります)
真理の光 その7~Yさんへのメール
あんでるせんではさまざまなご体験
驚かれたことでしょう。
22年前から8回ほど訪問させていただいてます。
お人からの依頼とか、自分の道に迷いが出たときに
伺いました。
物質が変化することはなんとかその場のことですから
容認できますが、あなたさまのように時刻が逆転して
同じ絵と名前もわかってしまう不思議をどのように
理解したらよいのか、驚かれたことでしょう。
またあんでるせんでの物質がマスターの手元から消えて
遠方のその物質か持ち主しか知らない場所へと
瞬間移動することもどう理解したらよいのか、
いままでの知識や概念ではとても理解できないことでしょう。
時空があると考えると、時間は過去、今、未来へと
動いていくものと普通は思います。
また空間が実在してその空間を認識している
私達にとって空間を物質が移動することはとても
信じられないことと思われます。
塑性であるプラスティックやビンが曲がったり、ビンの口が
広がったりすること、紙幣の中を500円玉が直角に通っても
紙幣に破れたあとが残らないこと、500円玉にタバコが貫通し
抜いても穴がないこと、そしてマスターの口で堅い硬貨が
ちぎれて再び元に戻ること。
それらの不思議な現象の原因はただひとつ意識でしょうか。
「意識したとおりになる」
真理です。
この意識を現象化する、人間なら誰でもがもっている能力を
おそるべきスピードで体現している方がマスターです。
意識は最大の圧ですから。
時空については私達の知識を捨てなければ理解できません。
一点にすべてがあるともし思えたら時空の逆転は可能でしょうか。
未来が今にあるのですから。
そしていかなるものにも意志や意味があると考えることが
できたら物質のテレポーテーションも完成です。
目覚めた人は自らの身体もテレポーテーションするようです。
「人間に不可能はありません。
無限の能力をみんながもっているのですから。」
Eさんの言葉です。
不思議だなと思っても、理解できないなら認めることは難しいです。
でも見られたことは現象世界の現実です。
その理由が心からそして身にしみてわかったら、あらゆることは
輝いて見えることでしょう。
一体全体。
元一つの世界観です。
ありがとうございます。
キャッシュレス 時代
二人目の子供を産むために里帰りしていた
三女が品川に戻って行きました。
およそ一月の滞在でした。
その間にキッチリしている三女の真骨頂を
見ました。
なんでもネットやフェ….なんとかというキャッシュレスで
買い物をしてポイントを集めます。
そのポイントがよくたまるのです。
上手に生活しているなあと感心です。
名古屋に滞在中、三日に一度くらいヤマト便で届く
アマゾンの荷物を見ながら、彼女のことを
アマゾネス と呼ぶことにしました。
三女には言っていませんが…….。
そういえばスリランカに旅した際、その旅行手続きに
誰とも会話せずにメールだけで、そしてスマホだけで
スリランカの空港の入国審査まで行くことができたことを
思い出しました。
その入国ゲートでもパスポートを提示して、
係りの方に何もお話できないので、
ただニッコリとしていただけですが、行けといわれて
ありがとうと言ったのが、旅の手続き上での初めての会話でした。
キャッシュレス時代、会話レス時代と言われます。
とてもついていけない団塊の世代です。