それから・・・・

15年前 「情報革命」の世が来るとのお話を
聞く前から その日をドキドキワクワク待ちわびていた
自分がいた。
そしてそのお話は ドキワクどおりのお話だった。
その後数年を経過し それなりにワクワクすることを
 また道を歩んできた。
けれども 本当のものを見つけることはなかった。
4年前 「情報革命」の延長線上にそれが目の前に現れても 半信半疑。
そのまま 空のことのようにやり過ごした一年間がある。
そして 足元をしかっりと見つめなおし 家庭に関わる3年を過ごす。
その間に たくさんのご縁は 薄れていった。
今残るご縁は この映像に必要なものばかりだ。
当たり前のことだけれど。
そして新しいお人とのご縁が広がりつつある。
閉じては またもひとつ開く人生のドアのよう。
もう本当にダメか と頭を下げ恥をかきなんとか
永らえた絆も わからない未来への希望の糸でしかない。
しかもその糸を繋ぐものは 富というものではない。
はかない糸にしがみつくのは何故と 自らに問うてみる。
それは 自分の背負った捨てきれないかすかなボタンなのだ。
そして 他の人がなんと言おうとも離さない業なのか。
あきらめかけた時に サーッと大きな布が拾い上げてくれる。
そう三年前のように。
「死ななくて良かった」ただただそう思う。
そしてまだわからないのかと 試し続けるかのような大きな
意思の存在を感じさせることが頻発している。
明けの夜 明けの世がくるのか。
私の映像は何を結ぶのだろうか。
還暦後の映画は まったくそれまでのそれと異なる展開となってきた。
ありがとうございました。

循環

今日も家の前の道路と歩道の境に 小さなミミズの死骸が
たくさん見受けられました。
都会のほんのわずかな植え込みの土に発生するミミズです。
一匹のミミズの死骸にたくさんの細かなアリがたむろしていました。
なんだかちりとりに掃きこんでしまうのも悲しく思いまして
死骸とアリをそのままにしておきました。
小さなミミズを狙って きっと小鳥や鳩やカラスさえも食べ物に
してるのでしょう。
「ミミズはなんで生きているの。?」
悲しくなって下を向いてほうきの先を見る目が
潤んできます。
私もミミズなんだろうか。
ゆるやかな坂道の東方面をやや見上げますと
秋のきれいなお日様が 私をそして世界を照らしています。
あまりの輝きは 景色の境をなくしてしまいます。
みな一体。
今日もあることに感謝して いつも朝にお会いする
通勤の方のお姿に 今日も元気でお会いできたことを
また心の中で感謝するのです。

感じるということ

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木曽駒カルパ前の道路で(プライナス提供)
月曜日 埼玉の友人から電話がありました。
「明日そちらに行きたいんですが。」友人。
「大丈夫ですか。?よかったらこちらから出向きますよ。」私。
「たまには出かけないと カラダが腐っちゃいますから うかがいます。」
それで本日火曜日の12時30分に お二人で到着されました。
それから いつもご訪問時にご馳走になる うなぎさんの
意趣返しです。
名古屋名物 蓬莱軒の「ひつまぶし」をいざ!。
勇躍 熱田神宮のおみせへ直行しました。
ところがこの日は本店だけの営業でした。
支店の前で やはりがっくりの見知らぬ女性を車にお誘いして
本店へ。 東京からの女性でした。
本店到着 一時間待ち。
女性達は「待ちます」とそこでお別れ。(笑)
私達は 予定どおり(?) 二番目のおみせへ。
社員さんに教えていただいた東別院近くの「うな富士」さんに到着。
すぐに座れました。
なんてったって 「ひつまぶし」。
埼玉からのおふたりは 大満足です。
意趣返し成功!。
今度は普通のうな重をと 次への期待をつなぎました。(笑)
それからコーヒー「かこ」さんへ。
今回の名古屋訪問目的の重要事項は「かこ」さんでした。
「かこ」さんの波をしっかりつかんで 3時間の滞在ですぐに戻られました。
何かを感じ 積極的に動く。
そこには6時間の運転と 3時間の滞在後また6時間の運転という
強行軍という常識では考えられない行動を生む強さがあります。
「天は能動 地は受動」
感じるということが動かす原動力であり
行動を起こすことの大切さを思い出させました。
何かが動く9月を互いに確認できた火曜日でした。
ご縁に感謝いたします。

お盆が過ぎて

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お盆が過ぎました。
雨上がりのお墓 土が軟らかくて 草も簡単に
取れました。
帰省中の末娘と歌姫とおばあちゃんと私が 御先祖さんに感謝しました。
中日新聞の小さなトピックス欄に 今年も綾渡の平勝寺で
行われた 無言の盆送りの様子が写真入りで紹介されていました。
また内山興正和尚さまのことを 思い出しました。
平勝寺のご住職の師です。
そしてその佐藤住職様は 町内の自宅のすぐ北に住んでみえたのでした。
そこは旅館だったのですが、出家されてご住職になられました。
「あなたがよべば 私がこたえる 
それは 私がわたしにこたえるのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
昨日 新しい青い保険証が みなさんに配布されました。
裏には 臓器の提供に関する同意の問い。
何かゾッとした人もいたようです。
次々に人が亡くなります。
お若い方も 年を経られた方も。
有名無名を問わず 幾人もの方が亡くなりました。
「人は病で死ぬのではない・・・・・・」
この言葉が 身体を抜けると 
臓器提供の無意味が 確信に変わります。
迷った心を 澄ませるようです。
ほんとに 待ちわびる方もあるのだろうけれど。
そんな方には すみません。
亡くなった 知花さん、七田さん、杉山さん・・・・・。
人生のある部分で 親しくご縁をいただいた皆さんに
なんと 応えましょう。
「私は 私で 私らしく」
プライナスの演奏がまた頭を駆け抜けます。
「私は 私で 私らしく 生きてくと決めた」
みなさん 笑っているのでしょうか。

イルカのショー

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イタリア村がなくなって 少し寂しい感じの名古屋港。
その名古屋港には水族館がある。
中日新聞に「マイルカのあかちゃんを見学する集い」が日に2回
あるというので娘と一緒に行った。
水族館があくと 子どもやカップルが次々に入館。
入り口には大きなイルカの水槽が3つ4つある。
壁の隅には看板があって「マイルカのあかちゃん見学」と
書いてある。第一回目は30分後。
並んだ めずらしく。(笑)
誰かのためだったらできる。
並んでいる間に 交代でイルカの水槽を見に行く。
「テレパシーを送ると寄ってくるよ。」と私。
「ほんと~??」と眉唾物の父を見る娘。
だがほんとに寄ってくるのを遠くでみて
娘は不思議な顔をしていた。
さて見学の時間がきて 整理の札が配られる。
先着30名さまは私たちのすぐ後ろで切れた。
「ごめんね・・・」と心で詫びる。
ぞろぞろと30人が 一般の客が入れない場所に移動する。
10人ずつがかわるがわるに飼育を観察する小さな部屋に入る。
私たちは最後のグループ。
待っている間に何を思ったか 係りのおじさんが
「ちょっと時間があるので ちょうどその娘さんがいるドアの
後ろの部屋について説明します。」と話し出す。
娘は恥ずかしそう。(笑)
そこは天皇陛下がみえたときに使った部屋で
中に入ると 座って硝子ごしにイルカを観察できるように
なっているとか うんぬんくんぬんと うんちくを述べられた。
笑が出て 一同が一気になごむ。
いよいよわたしたちの番が来た。
部屋に入ると あかちゃんの生態を記録する係りの
おねえさんがじっと記録をしている。
「アッ! あかちゃんがおっぱい飲んだ!」と子どもの歓声。
マイルカの赤ちゃんは お母さんイルカにくっついて
泳いで 何度もおっぱいに吸い付くが ほんの
一瞬で吸っては 泳ぎを繰り返す。
かわいい・・・・。
みんなが満足して 解散。
さてごはんだ!と 少し離れた別の館へと移動。
お魚を見ながらお食事ができるというお店へ行ってみたが
40分待ち。 あきらめて屋上のイルカショーのステージに向かう。
ラッキーなことにステージのまん前の場所に席をいただく。
会場は いっぱいの人。
私は還暦にして 初めてのイルカショーなのだ。
(自然のイルカの群れは ハワイ島で発見。これもラッキーだった。)
なんだかワクワク。
大きなプールでイルカさんたちの演技が始まる。
イルカが何故眼隠しされても ワッパを見つけてこれるのかがわかった時は
やっぱり人間でも物体でも 固有の振動数をもっていることが
理解できた。
輪くぐり ワッパ探し ジャンプや挨拶
集団で物凄いスピードで巨大なプールをあっという間に
周回し集団でジャンプするイルカさんたち 私は不覚にも
泣いてしまっていた。そしてほんとに感動していた。
きっと 大昔イルカだったんだと思う。(笑)
娘は幾度も見たことがあるらしく 感動する父がおかしいのか
「よかったね」と言うばかり。
イルカのあかちゃんを見て イルカショーを見たら
本日の予定は終了だ。
港のレストランで船と港をみながらランチした。
すぐ前に 老夫婦がランチしてた。
彼らはまったくの無音。
こちらはガチャガチャとナイフフォークの音。
「ごめんね」とまた詫びた。(笑)
帰宅しようと駐車場に出向くと
所在なさげな一人の女性が 立ったまま柱の陰でウロウロしてる。
たくさんの人々が行きかう場所に近づくことができずに
ただただ立って逡巡する女性。
「あの人 どうしたんだろう・・・・・。」と娘。
どうすることもできない。
悲しい現実を最後に見る。
私は複雑な気持ちで 水族館を後にした。

すべてはふしぎ

ー痴呆のお話ー
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15年前に共に学んだKさんから 同窓会の顚末記が届いた。
もう 幾年もの間 かかさず届けられた報告の手紙。
今回三重のSさんが話し手になられて 自身の介護経験を
つぶさに語られたようだった。
今回の顚末記は お茶目な報告者Kさんだが 泣き虫でもある彼女が
きっと泣きながら綴ったんだと思われた。
それは読ませていただきながら 幾度もこちらの胸に
迫るものがあったから。
最後に話し手のSさんから皆さんにと配布されたものが
この「手紙」という文章だったらしい。(勝手に転載です)
我が家でも88歳のおじいさんが 少し同じようなボケがあるので
家の女性群にケチョンケチョンに言われている。
いつかは行く道の 私にとっては他人ごとではないので
いつも おじいさんを女性群からかばうようにしてはいる。
でもいつも一緒にいる時間がずっと続く女性群にとっては
イライラすることが多いのだろうと同情してしまう。
そうそう気長に 何度同じことを聞いても 「そうだね そうだったんだね」と
応えることができる自分でありたいと 反省させられる「手紙」だった。
おじいちゃん ありがとう。
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ーケイタイさんは飛んだのかー
東京から戻って昨日は知人宅で 「バッカスの会」という
ともだちの集いで 素敵なお時間をいただいた。
その日のお昼 用事があって国立病院へ出向いたり
さまざまな用事をした。
集いに出かける前の夕刻 ケイタイがないことに
気づいた。 数年前東京での Xジャパンのトシさん関係の
コンサートでの客席で ケイタイをポロリとポケットから
落として すぐあとに気づいてみつけた経験以来のケイタイ騒動。
さて会社になく 家の中にもなく さては国立病院かなと
思って電話するが 落し物にもない。
なんとケイタイがないと言うことは気が落ち着かないこと
この上ないものだ。
心当たりを 現場に行って捜してみようと意を決して 玄関を出て
ふと下をみると 「あったーーー!!!」。
でもそこで落とすはずもない場所なのに。???
落としたとしたら ガチャン とか音がしてすぐに気づくはずなのに。
ほんとに不思議な気がして 長崎の「アンデルセン」での「時計」を
イメージしてしまったのです。(笑)
もし落としたのなら 一晩玄関にいたケイタイさんでした。
寒かったでしょう・・・・・。
もし飛んできてくれたとしても 「もっと大切にするように」と
ケイタイさんに言われているかのようでした。
ケイタイさんに感謝しました。
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ーピュアノニの驚きー
この頃 おなかがへこんで来て なんだか少しやせたような気がして
ケイタイ騒動のあと お風呂後計ったら 60.3キロ。(やせてる・・・)
やっぱり3キロ少し減っている。
急にやせるなんて またお試しだろうか・・・ なんて思ったりも
したのだが 思い返せば 「ピュアノニ」の成果かも。
朝50ミリリットルを一回で 1カ月が経過していた。
別に食欲は変化ないし 以前よりさらに元気だし・・
変な病気じゃないのだろうか と柄にもなくちょっと 不安。(笑)
だけど100-150近くあった血圧は 国立で83-132で
20近く下がったし。やっぱり「ピュアノニ」で 喜ぶべきことみたいと
思い直した。
今朝会社に来て ピュアノニ一杯で耳鳴りが極端に
小さくなった社員さんに質問してみた。
そしたら彼も 「体重が3キロ減って おなかがすくと
胃がキリキリしていたのまで なくなりました。」とのこと。
またもう一人のややメタ腹さんの社員さんも 4キロ
体重が減ったらしい。
やっぱり体を正常に戻してくれた ノニさんでした。
でも以前試したノニの時は なんともなかったんですから
本当に不思議なことです。
今 会社じゅう「ピュアノニ」ブームです。(笑)

静かに 生かせてくださるもの

音もなく いつもここにあるもの。
静かに 静かに 私たちを生かせて下さる
おおいなるもの。
語れば語るほど 遠くになるもの。
静かであれば また自我が限りなく 伏せてしまう。
世の中が 大混乱になった時
考えもつかぬ 新しい技術が現れて
私たちを 新しい時代へといざなう。
「産業革命」か「環業革命」かは知らないけれど
少なくとも ワットも石油も原子力も そばにいて
気持ちの良い人はいないだろう。
天の理にかなうものは いつも人の気持ちを
やさしくさせるもの。
言葉や 意識でもできるけれど
誰にでも どこででも共通の 大いなるもの。
私たちを 生かせて  しずかにあるもの。
近づいている・・・・・。
それは 私たちそのもの。

いろんなことがあるけれど・・・

5月6日 名古屋駅新幹線の改札口 少し掲げた左手が
末娘の挙げた左手のひらに触れた。
何か恥ずかしくて 改札まで先に。
実は 泣いていたから・・・。
4人の子どものうち 巣立ち第一号が末娘。
東京へ。
母親と 特に慕っていた兄とが見送りをした。
それからもう2週間が過ぎようとしている。
この9月が挙式となる予定。
5月9日 大阪と名古屋を行ったり来たり 夜も
眠らずに 新しいCDの製作のために走ったプライナスの
「呼吸」が世の中に飛び出た。
59「こきゅう」の日だった。
宇宙ができてからずっと続く 吸うことと吐くこと。
吸引と放出。
そのことの不思議が唄になった。
経済の変動がはっきりして
ウイルスが世の中に現れた。
ウイルスもあなただから
そんなに嫌がらないでと願う。
この時に たくさんのご縁とできごとが
物凄い波で押しかけるかのよう。
時代は またシステムは大きく変化しようとしている。
大丈夫。
いつだって ちゃんと あります。(笑)