すさまじいばかりの闇の言葉

ものすごくおとなしかった方が
年齢なのか 病なのかで
ころっと変わって多弁になることも
あることわかりました。
そのような人の言葉は 人間の心の「闇」から
速射砲のように発する「攻撃」の言葉のように
思えます。そしてとどまることをしらない。
そんな場面に居合わせていただいた
私もまた 同じような心を持ち合わせて
いることに感じ入ります。
日ごろ温厚な方たちでさえ 自分の心の「闇」の
部分をえぐり出されるかのような 「口撃」の
言葉にたいして 物凄い怒りが発現されました。
あんなに温厚だった多くの人々でさえ と
人間の心の奥底に潜む「闇」の物凄さと
かってなかったような 今年(い年)最後のできごとは
い年全体のすさまじさを象徴したできごとであるかのように
感じさせていただきました。
オワリの始めとしたいものです。
あけまして おめでとうございます。
今年も無事に明けています。
☆11日 冠之会 熱田さん正式参拝ご参加の皆様へ
 服装はスーツまたはジャケット ツーピースなど
 ご勘案ください。(衣冠正しく)

人間としてのお試し

これ以上は いくらなんでもないだろうと
ほとんど最後の洗礼とも 思われたできごとを
体験させていただいてから もう2年が過ぎようと
しています。
だが数々の試練は まだ私を許しては
いませんでした。
自分に最も近い人には 無償の愛を
発現できても 他人様にはどうですか。?
そのように 呼びかけるかのような お試しは
続いています。
ほんとに 生きていても価値のある人間で
あるのかを 試されているかのようです。
そしておそらくは 今回生の目標を達成するが
為の準備というかハードルを 意識の問題として
 させていただいているかのようなことがまだ続きそうです。
そんな資格があるのか 土壇場で逃げ出さないか
心が四苦八苦の課題に犯されてしまわないか。
お前はほんとうなのか・・・・。
あまりの愛の薄さに いつも愕然とする人生です。
どんなことでも 「いらっしゃいませ!」 の人生でありたいと願います。

ブログは一人新聞

ブログは「ひとり新聞」のようなものだなあ・・・。
きのう床に入ってそのことにきづいた。
もしかすると読者が一人(自分)だけかも知れない
ほんとの「ひとり新聞」。(笑)
もちろん無料だけど ブログに来てくださる読者の方は
みえないだけに 新聞の読者ということになる。
この世に数知れないほど存在するブログ
その中から 訪問いただけるご縁ってどんなだろう。
感謝が 吹き上がった。

いらないものを捨ててゆくと

あれはこうして
これはこうして
こんな時はこの方法で
あそこが悪かったら ここで治すことを教えて
これがおいしいし 健康にいいし
からだにいい洗剤とか 悪い洗剤とか
よい化粧品とか 悪い化粧品とか
玄米とか 肉食とか
養殖とか 天然とか
農薬とか無農薬とか
西洋医学とか東洋医学とか
スピリチュアルとかフィジカルとか
とにかく全部 ほかして
目の前のことを いつも喜んで やって
水と空気とすこしの食べ物と
雨の降らない家と
寒くない服とが あって
助け合う家族と
挨拶しあう 会社仲間と
なるべく高く買ってくださる お客様と(笑)
黙っていても一緒にいたい友達が少しいれば
そんなふうな人生が いいです。

ほんとは無料

水 空気 エネルギー
生かされることに 基本的に必要なものは
みな ほんとは無料。
キレイな水 きれいな空気 を得ようとすると有料。
エネルギーたるや インフラをがっちり握った人々が
50年を超えて 供給してきた。
そして今 情報の世界では そのインフラを握った人々の
線や無線の供給で 通信費は莫大な額となった。
しかしこの通信費なるものも テレパシー能力が
人間に開花すれば 無料となる。(笑)
そして人間の目指す方向がかわれば なおそのことは加速する。
太陽や 空気や海や 供給してくださる自然から
エネルギーをいただければ これは無料。
もともと支配が生み出した現実は
消えてゆく姿だろうか。
土地持ちの家庭に生まれた人は
生まれたてから 生きる条件が整っている。
何も持たない家に生まれた人は
土地や家をもつことだけに人生の大半をかける。
持たなくても 維持することだけにと言ってもいいかもしれない。
働き続ける宿命を背負う。
そしてなるべく他人との関わりの少ない人生を選択する。
消耗を防ぐため。?
人間は一人では生きられない。
寄り添って 群れあって生きる動物だ。
そして人との接触によって 変化を生み出し
創造と実践の喜びを知る。
変化と感動は 生きる糧。
慈悲喜捨は生きるエネルギー。
そして 感謝はすべて。

ビックリの日

今朝は38年ぶりに再会の
学生土木時代の先輩が 会社に訪ねてくださった。
お仕事の途中だからと小一時間で
お別れと成ったが あっという間のなつかしい
時間をいただいた。
すこしも変わらぬ方。
相変わらずのやさしさでいっぱいだった。
お昼になって 会議室で食事中のテレビジョンに
圧倒的なシェアをほこる 仕事に関わる最大の
薄板メーカーさんが 公正取引違反の疑いで
捜査とあって びっくりした。
私たちの仕事に直結している事柄なのだ。
パソコンを見れば ヤフーのニュースに
サンラワールドのM先生が 出資法違反の告発を
受けたとあった。
驚くような現実が目前に現れて
今までの時代からの変化への兆しを
感じている。
会社設立後30年目を向かへ 続けることの難しさと
変化することの大切さのふたつもまた
実感する 時を迎えた。
すべてのできごとに 「ありがたい」と祈りたい。

革新の世 コラボレーション

さまざまな世界で革新が進んでいるような気がしている。
それもテーブルの上で叫ぶ人々たちによらず
テーブルの下で上に出ることも望まず
粛々と信じる道を歩み続ける人々によって。
農 工 商の各分野で  士が一番遅れている感じ。(笑)
情報革命がもたらすものは 情報の伝達速度と
量と 人間が動く必要を最小限にすることだろうか。
ただ情報の質は 個人の資質と運命によることは
やはり 変わらない。
自分しだい。
すべては掌握されているのだから めったなことは
情報通信のネットワークの中では語れない。
どうでもいいことや 個人の日常のことや ロマンや芸術
経済なんかはいくらでもOKだけれど。
幾度も訪ねた 能登の「モーセの墓」や 富山大学学生寮の
近くにある皇祖皇体神宮の竹内文書 東北 戸来のキリストの墓
四国徳島の剣山 カゴメの唄 伊勢神宮参道の灯篭に刻まれるカゴメ紋
イスラエル エルサレム 天皇家とユダヤ王朝
奈良の石上神宮 三重の瀧原宮 そして伊勢神宮
過去の旅の一切が数珠に繋がれるかのように
輪になった 昨年の暮れ。
何ひとつ無駄はないけれど 知識や智慧をつけたとて
なんということもない。
行動がすべての変化を生む。
革新の人々による コラボレーション。
だから15年も動き回って 会ったんだ。
いよいよなんだ。
ほんとに「いのち」がかかるんだ。
覚悟した。
  

開けました

皆様 おめでとうございます。
予想に反して 一転快晴の元日です。
午前9時30分集合の 地元の元旦祭に出向くと
開始10時の準備はほとんど終了していました。
寒いお社で待つ事15分。
次々に詣でる氏子代表さんにご挨拶
と ある方がみえて席につくなり
三段飾りの 酒台が音をたてて崩れました。
ところがお酒は 一本もわれず
けが人はひとりもありません。
こちらは予期せぬできごと。
しかし そこは かんながらの氏子さんたち
なにごともなかったかのように 整然と処理をし
元旦祭は終わりました。
帰途 すでに初参り済みの白龍さんの前を
とおりましたら 女性宮司さんがなにやら
御手洗の儀式中。
新年のご挨拶とともに 無事な白龍さんの存続を
喜びました。
親子の宮司さんが 続いて亡くなられ
奥様があとを お継ぎになるこの白龍神社。
名物の大晦日のおもちつきも
それを取り仕切っていた名物男の人物の
ご逝去とともになくなりました。
新しい夜明けを 女性宮司さんとともに
感じさせていただきました。
なにやら波乱の幕開けでもありました。
ようこそ 新年。!