プライナス 進め!

Kさん、IさんやAさんの多大なご援助、
そしてなきバラさんのなくなる直前の援助を
いただいて、プライナスはここまで来ました。
そしてまったくボランティアで動いてくださる
スタッフの人たち、いつもいつもライブに
駆けつけてくださる、心あたたまる人たち、
遠くで祈ってくださる多くの人たち、
みなさんのおかげでプライナスはまだ
元気に活動を続けさせていただいてます。
「やさいのうた」が大方の人々に
うけがいいようなので、マスコミでも大きく
取り扱っていただいるようです。
ほんとに歌いたいことや、伝えたいことは
これからしだいに、すこしずつ多くの方に
届くことでしょう。
経済的な基盤を整えて、プライナスがんばれ。!
バラさんきっと喜んでるよ。
バラさんにもご報告です。

すべてのものは

「原子もチリもそして広大無辺な宇宙でさえも、
本源の光の小さな現われにすぎない。」
宇宙もという言葉に、少し正気を覚えて、
もしかして、ありがたい体験のお人かもと
思ってしまいます。
そんな方におあいしまして、
今年の新たなる始まりを予感させて
いただいてます。
昨年の2月から私の道は大きく変化しました。
足元を見るようにと、大いなる光が呼びかけて
いるかのようでした。
そして身を、精神をつくして、そのように
生かせていただきました。

“すべてのものは” の続きを読む

めぐる縁

36年ぶりのお声が電話口のむこうから
聞こえてきた。
若々しい、相変わらずのやさしいお声。
はずむように36年の時が過ぎた。
学生時代の同じ研究室の2年先輩のAさんだった。
新聞で名古屋市近郊の地方都市の
市長選立候補者をなにげなく見た。
そこに今日の電話の主が写っていた。
驚きと、喜びと、なつかしさとが入り混じった。
翌日、会社のその市から30年間通って
見える同志に、その方のことをたずねた。
よく知ってみえて、2度ビックリ。
「今晩立会い演説会なんですよ。」と言っていた。
そして今日、会社に電話があった。
毎年賀状だけはかかさずに届いていた。
そこには「今年こそ会おうね」で36年が過ぎた。
ひとつの縁が一気に行動にうつる。
社員さんが演説会場でAさんに話しかけた。
ビックリのご縁にAさんも驚いて、お電話を
くださったのだった。
劣等性の同級生が研究室に3人いた。
そのすべてをやさしく導いてくださった兄貴分の先輩3人組。
そのリーダー格がAさん。
研究が遅くなると家が近いこともあって、
気軽にマイカーに乗せて、送ってくださった。
ほんとうのところは姉のことが気になっていたようだったけれど・・。(笑)
一生一緒ですよと言って、仕事を始めた会社の同志と
36年前の先輩は繋がっていた。
どんな人も大切な人。
特に人生で出会う人はそうだと、
強く確認させていただいた、嬉しい日。
当選してもしなくても、Aさんは変わらない。
今年はきっとなつかしい劣等性3人組と
先生と先輩3人組は一堂に会することだろう。
ご縁ありがとうございます。

巡る

昨日、映画「不都合な真実」を見た。
想いだした。
その昔になってしまった高木善之さんの
環境に関する多くのお話を拝聴する機会を
持った日々のこと。
それでも、次第に環境をウンヌンする
傲慢さにウンザリしてしまったじぶんの心を知った。

“巡る” の続きを読む

感ずるところ

多くの人々が絶賛する映画を
見ても、感じないことが多い。
それなのになんでもない映画に訳もなく感じてしまうこともある。
人様と話していてもそう、何か知らないけれど
ウルウルするときがある。
話す前に分かっていること。?
普遍的なことについて、
話し合わなくてもわかってしまうことって
あるようだ。
それはただ普遍的だ、ってことに
感じていて、話の内容ではない。
同じように、心が動いてしまうウルウルは
情けなく思ってしまう。
そのポイントが残されているんだから。
まだだ・・・。
「生きるとは 輝くことか 花の薹(とう)」
シャンソン歌手の堀田さちこさんのリサイタルの
2007年のキャッチフレーズだ。
いつもニコニコの堀田さん。
この薹(とう)の字が分からなくて
調べたら、ふきのとうのとうに同じみたい。
茎からでた若い花の茎という説明があった。
生きることは 輝くことか・・・・。
いつまでも分からないで死んでいくんだろうか・・・。

そういうこと

お正月の賀状。
僕は「男もつらいよ」に感激した。
女も男も辛いよ。
女は、男は辛いよではないのだ。
ただそれだけで秀逸だ、今年の賀状の。
この方は奥さんの辛さをしっているから、
男のオレだって辛いんだよって言いたかったのだろうか。
同じように、おまえはオレはじゃなくて、
おまえもオレもだったらとてもやさしい。
区別のない社会を作っているあなたに
カンパイだよ。
今年、というより今からカンパイだよ。

元旦

町内の名物男が天国に召されてから、
一年半が過ぎて、すぐ裏の白龍神社で
行われていた、大晦日のもちつきが
2年続けてなくなった。
それでも新年を迎えた神社には
多くの人々が詰め掛けていた。
日本人らしいというのだろうか、
狭い拝殿前に順序良く整列して、
順番を待っている。
ここは水商売の神様。
日頃も多くのその道の方が
参拝に訪れている。
今年は始まりの気がしてならない。
政治も経済も虚構の構図を脱して
本物の構築が始まる年なのかも知れない。
だからあらゆる分野で今まで力のあった方たちが
力を失い、コツコツ真実を行ってきた人々が
表舞台に押し出されるような感じがする。
その前に、おそらく大きなショックはまぬがれないのだろう。
10年前よりはるかに多くの人々が、たくさんの
基本的な矛盾に気付き始めている。
だがそれをどのようなカタチで実践するのかが
わからない。
わかった人々はすでにはじめているのだろうか。
霊性にいたり、言葉を大切にし、人間の本質に
なんとか迫ろうとする人々も多い。
意識が現実を創り出すことは誰にもあきらかとなった。
作り出した現実を判断せずに認める必要も知った。
天は一瞬の時間差なく多くを与えるように
なったのだろうか、あまりに現実化が早い。
そして人間の気は増幅され、他の人間への
影響は強力になった気さえする。
2007年、さてまだ勝ち負けを続けるのか、
それともいのちの叫びに正直に生きるのか。
もう始まってしまっている。