GESARA法発動! 石川新一郎さんから
https://m.youtube.com/watch?v=r4nqvAiYqfo
神の使者から奇跡の道へ その82~神の強さを自らの内に・・・
「神の強さを自らの内に自覚している者たちは
戦いというものを考えることさえできない」
すぐ戦って勝とうとしてしまったり、
すぐに裁こうとしがちですね。
過ちも、善も悪も、正も邪もないのに。
信じられませんが、ほんとうは完全無欠であるすべての人は
そのようなことを考えますと、自分の完全無欠性を
失うだけですね。
戦って勝ち取れるものは、ただの肉体に関するものだけ。
自分が一切を持っていることを知っている者は、
制限することなど追及しないで、肉体が提供するものに
価値を見出すことはありえませんね。
父の目的を共有し、それを自分のものと知る者たちには
一体何が与えられているのでしょうか。
きっと彼らには何も不足していないし、いかなる
種類の悲しみも考えられないのでしょう。
そして彼らの愛する光のみが自覚され、愛のみが
彼らの上に輝く。
それが彼らの過去であり、現在であり、未来であり
このすべてが同一で、永遠に完全で、全一に共有されている。
さらに彼らは自分たちの幸福がどのような変化にも
みまわれないと知っているのでしょうか。
「神の強さを自らの内に自覚している者たちは
戦いというものを考えることさえできない」
テネモスミーティング名古屋 令和3年1月16日 ご報告 その2
Oさん(男性):すべてはエネルギーという視点で
ものを見るということを、他人に伝えていきたいと
思っている。
そうすると「自分の状態」がわかってくる。
マイナスとエネルギーがわかるようになってくる。
自分の中から変えていける。
食べ物も同じように選択確認できる。
何らかの方法で自分で調べることが可。
Oリングで調べて、よいか悪いかを判定できる。
見えないものの認識で自分と世界観が変わってくる。
Y:枕の位置は「東貧西寿南病北息」
西向きと北向きがいい。北枕の場合と
南枕の場合でOリング比較するとわかる。
また人が立っている周りを他の人が右向きに回ると
Oリングチェックで強くなり、左回りだと
弱くなる。
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つれづれ 令和三年 初春
初春の一月中旬のある日、
猿の惑星のようなこの国を歩いて、
東京に行きました。
テネモスさんの皆さんは明るい!。
大丈夫です。
「柊」(ひいらぎ)さんのお料理は相変わらず絶品です。
ラーメン、中華も作るとか。
夜は関東ではナンバーワンだと感じさせる
フランス料理のパリセチエムさんで宴会。
幸せ過ぎます。
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神の使者から奇跡の道へ その83~特別性とは、自分以外の・・
「特別性とは、自分以外のあらゆる人に対する
信頼の欠如である」
特別性と言えば、全ての人のこと。
全ての人を判断してしまう心は、
人に対する信頼の欠如。?
「小声でささやかれた気に入らない一言や、
都合の悪い状況や予期せぬ出来事だけで、
自分の世界が動転し、混沌の中に投げ込まれて
しまうほど、傷つきやすく、攻撃されやすい
存在はあなたではない」
真理はそんな脆弱ではありえませんね。
人の中のキリストは微動だにしないし、
彼は自分の愛するものを見て、
それが自分自身だと知っていますね。
そして地上のすべてのものについての
識別法となるのは、単に、
「それはなんのためなのか」という問いのようです。
全てのことやものは自分へのプレゼントだと
確信さえ出来れば。。
もうすぐ。
「特別性とは、自分以外のあらゆる人に対する
信頼の欠如である」
神の使者から奇跡の道へ その84~知覚とは、自分自身が・・
「知覚とは、自分自身がなりたいものや、
住みたい世界や、自分の心が充足し満足すると
思える状態についての選択」
結局、自分の心が望んでいる状態が今。?
え~~??!!
こんないやなことも。?
なのですが、そのいやなこと、いやな出会いも
実は自分のすがた映してくれる貴重な贈り物
なんでしょうか。?
ところが逆に自分が見ている世界から何らかの
満足を得られるという希望を、依然として
抱き続けているのなら、大変に奇妙なことでもあります。
何故なら、知覚の基本的な法則は、
「人は自分が見るものを喜ぶ。
人は喜ぶために見るからである。」
見るものに対して、苦しみと罪が喜びをもたらして
くれるとあなたが信じている間は、
あなたが見るべくそこに存在し続けるようです。
「あなたが神のための手段である。
あなたは神から分離してはおらず、
神の生命と別の生命をもっているのでもない。」
神我顕現の道が人生。?
「知覚とは、自分自身がなりたいものや、
住みたい世界や、自分の心が充足し満足すると
思える状態についての選択」
神の使者から奇跡の道へ その85~毎日毎分、刻一刻、あなたは・・
「毎日毎分、刻一刻、あなたは恐怖の時間が
愛の座を奪ったあの一瞬を再び生きている
だけである」
飯島さんはかって「みんな死んでいるようなものです」
といいながら「死はない」とも言われました。
死んでいるように生きているって
どんなことでしょうか。
「愛」の座を奪ったあの一瞬・・・。
そうですね「分離」したあの一瞬かも。
そして人生上で常に「分離」しがちな自分。
だから分離しているかぎりは真に生きているとは
いえず、「死んでいるようなもの」かもしれません。
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