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FBI長官(アメリカ連邦捜査局長官)と言えば誰しも、泣く子も黙るエドガー・フーバーを思い出すに違いない。彼は1924年に弱冠29歳でこの職に就いてから、第二次世界大戦をはさんで1972年に死去するまで、48年間、この職を務めた。第30代クーリッジ大統領から、第37代ニクソン大統領まで、8人の大統領に仕えたのである。
その後,2013年にジェームス・コミーが第7代長官に付いた。彼も53歳と比較的若くしてこの職に就いた。しかし、彼は4年後の2017年5月、トランプ前大統領に解任された(60歳)。辞任に追い込まれたのではなく、解任されている。彼は、フーバー初代長官のイメージがあり、FBI長官の職は、時の大統領より重い職であると思っていたのかも知れない。そして彼はその後、翌年2018年4月にFBI長官時代の回顧録を出版した。
ところが、彼は回顧録を出版したあと軍に拘束され、グアンタナモで軍事裁判を受けることになった。そして、審理の結果、殺人罪、反逆罪で死刑判決を受けた。この間の審理の経緯はここでは省略する。彼の刑の執行が、ギロチンで断首刑であった。ギロチンによる断頭刑など、フランス革命でルイ16世を始めとするフランス人首脳が殺害されたことしか思わないが、ここで久し振りに出てきたのには驚かされた。
ジェームス・コミー前FBI長官はギロチンの刃がその首を断ったことで、心臓が止まる自然死を迎えた。6月4日に死刑判決が出され、7月4日の独立記念日かその前に刑の執行が行われると発表されていた。そして、6月28日月曜日、海軍法務局長ハンニック中将が刑の執行前の短い儀式に参加し、2人の制服MPがコミーの首を切断台に乗せた。ハンニック中将が自分でレバーを引くと、14フィート(4メートル強)の高さから88ポンドの刃が落下した。首は籠に落下し、どこかに持ち去られた。
ギロチンに向かう途上、コミーは足をバタバタさせ、「おお神よ、殺さないでください。悪いことはしていません。命令に従っただけなのです。子供(6人)がいます。死にたくありません。これが正義でしょうか」と叫んだという。
ハンニック中将は「貴方は何度も(司法)取引する機会があった。もう遅い。」と。
MPが動かないように押さえる。両手はイーグル形に伸ばされる。手枷足枷が締められ、固定された。そして刃が落ちた。
ハンニック中将は、のちに少人数の集まりを前にして言った。
「彼には、この運命を避ける機会は何度もあったのに、全て拒絶したのだ。きょう、正義はなされた」と呟いたのである。
コミーにはFBI長官という職に対する過信があったのかも知れない。司法取引のすすめを何度も受けているのである。しかし、彼は自分の立場の方が偉いと思い込んで、このような事態になることを、想像もしてなかったのかも知れない。それだけ、フーバー初代長官の存在が大きい。そのためか、フーバーは回顧録を出し、それがベストセラー、ロングセラーになったので、コミーも彼に倣って回顧録を出したのかも知れない。
フーバーの存在感が大きいのは、あくまでも奥の院・ディープステート(DSら)が、彼を彼ら(DSら)の都合で使っていたに過ぎない、と言うことまでは気付いていなかったのかも知れない。若しそうであるとしたら、彼の思い上がりはどうしようもない所に来ていたのであろう。
そういえば、ヒラリーも拘束されてグアンタナモに収容されている間、常に「今に仲間が連れに来る」と言い続けていた。コミーも同じ思いで、確信を持っていたから、司法取引には応じなかったのであろう。
DSらと米軍の「奇妙な戦争」は続いている。コミーの刑の執行が行われたと言うことは、この戦局では米軍側が善戦している。ただ、彼ら(DS)はコミーなど捨てればいいことで、大した問題ではないのかも知れない。大統領職ですら、彼らにとっては大した存在ではないのであるから、それは当然のことである。
フーバー長官が半世紀近くもその職にあり、多くの政治家、官僚をその職から葬ってきたからと言って、彼にその力があったのではなく、あくまでも奥の院・ディープステートが彼を使っていたに過ぎないと言うことには、誰しも気付かないのであろう。それだけ、半世紀という期間は重いものがある。フーバーは彼らのために、それだけ忠実に働いたと言うことでもある。