四日市での「読書会」終了後のお別れ。
O先生は車が見えなくなるまで見送ってくださった。
私は種田山頭火のことばを思い出していた。
俳人山頭火は松山の友人大山ご夫妻の家へ
いつもふらっと顔をだした。
旅にでるとたえず行方しれず。
たまに旅先からはがきをくれた山頭火。
忘れたころにまたふらっと大山邸に顔をだす
山頭火であった。連絡は勿論なしに。
そんな山頭火が現れると、大山さんは貧しい中でも
できるだけ、山頭火の好物の豆腐と酒を用意した。
大山さんは不思議におもう山頭火のくせにきずく。
それは別れの日、旅立つ山頭火が、見送る大山ご夫妻を
いつでも一度も振り返ろうとはしないことだった。
いくどもそんなことがあった。
ある日の別れの朝、大山さんは山頭火に尋ねた。
「山頭火さん、あなたはいつでも別れのとき
私たちのことを振り返ろうとしない。
また今度いつ会えるかわからないのに、
水臭いじゃないか。」
山頭火はこたえた。
「旅をしているといろんなことがあります。
ある晩、橋の下で寝たことがある。
その夜大水がでて寝ている間に流されてしまった。
必死で葦にしがみついていのちは助かった。
大山さんにも今日お別れしたら、もう再び会えないかもしれない
とおもうと、悲しくて、振り返ることができんのです。」
人との出会いをこんなにも真剣に思う山頭火。
私たちは今別れたらもう二度と会えないかもしれないと
思って人に接しているだろうか。
「しぐるるや
死なないでいる」
手を振るOさんの暖かさに、山頭火をみた。