奥の院通信から R4 1/19 「クリスマス・お正月」

https://okunoin.fc2.net/blog-entry-821.html

 クリスマスもお正月も過ぎ、世の中は普通の生活に戻ったとところである(コロナ騒ぎだけが残ったが)。しかし、アメリカではクリスマスを祝うと言うことがだんだんなくなり、ハッピー・ホリデイと言うのだそうである。個人ではクリスマスの飾り付けをし、伝統に基づいてクリスマスを祝うが、公共の場では、クリスマスツリーもなくなったと聞く。

 クリスマスを祝うのではなく、休みを祝うと言うことでハッピー、つまりそこからキリスト教色を抜くのである。普通の日曜日と同じにする。そこから宗教色を抜き、無機質な行事とするのである。
 そうであれば、止めてしまえば良いではないかと思うが、それには抵抗が大きいと判断し、先ず行事としては残すが、その行事の物語性を除去するのである。

 全く同じことが日本でも多々ある。そのうちの一つが国旗掲揚・国歌斉唱である。祭日のことを旗日という。つまり、祭日は日本の天皇に繋がるものばかりであるが、その意義を消してしまうために、国旗掲揚は止めさせた。祭日に国旗を掲げる家はほとんどない。

 また、最近ではお正月の飾り付けも余り見なくなった。日本ではクリスマス・ツリーはあるが、お正月の門松はほとんどなくなった。アメリカでクリスマス・ツリーがなくなれば、そのうち日本でもこれはなくなっていくのであろうか。

 面白いのは、アメリカで左派の者が市など地方公共団体の長になると、それまでのクリスマス・パレードなどはなくなるという。市がお金を出すのであるから、無色でなければならない、多数の者が少数の者に押しつけてはいけない、という理屈である。多様性が重要だ、グローバルだと叫ぶ。

 左派、左翼、社会主義者、共産主義者、リベラリストと言った種族は、ユダヤ人に賛同する者たちである。社会主義、共産主義はユダヤ人が作り出した。彼らがメディアを支配しているので、こうした風潮を作り上げ、それを発展させる。彼ら自身が少数派であるから、多数派の者たちが行うことには一々文句を付け、止めさせていく。

 彼らは決して黙ってはいない。郷に入って郷に従わない。従うのではなく、そのうち、郷そのものを壊していくのである。その地域の文化を破壊する。その上、彼らは連帯しているので、一つを壊し終わると、それを伝播させ、その国の文化全体を破壊する。

 そもそも、彼らユダヤ人は自分たちだけが人間で、他はゴイム(豚・獣)という考えであるから、人間でもないゴイムに文化などあろう筈はないと考える。あると言うなら壊してしまえとなる。破壊し尽くす。全て一色にして管理し易いようにする。目的地が人間牧場であり、収容所列島である。そんなところには文化はない。

 日本の国旗廃止も、戦後直ぐにやって来た占領軍が廃止させた。彼らの幹部は共産主義者であり、ユダヤ人であった。彼らは先ず、日本の伝統行事を止めさせ、クリスマスを大々的に持ち込んだ。そして今では、本家本元のアメリカでクリスマスを捨てさせたので、そのうち日本でもなくなっていくものと思われる。

 また、日本ではお祭りが次第に廃れていく。人間は必ず死ぬから、その需要に応えることで、お寺は栄えるが、人間の本質を支える神を祀る神社は、次第に少なくなっていく。神社にお参りに行く人は減る。そうして、神、魂というものが認識されなくなっていき、心が次第に無機質になり、自ら人間性を喪失していく。

 口では、個性だ、社会だ、多様性だ、インターナショナルだ、グローバルだと言うが、単なる言葉遊びをさせられ、神、魂という本質を次第に捨てていくのであろう。一方でクリスマスを止めさせ、神の多様性を強調しておきながら、その同じ口が、「強制はよくない」と叫んで、宗教行事を止めさせる。公的行事の時に国歌斉唱をさせない。

 宮中祭祀に文句を付けるが、とんでもないことである。その延長線上で「村の鎮守の神様の今日は目出度い御祭日」と歌ってどこが悪いというのであろうか。これが文化の始まりというものであろうに。愚かなことである。