「分離とは、ただ自分自身を知らないでいようという決断」
まさか他と分離していないことを信じる人が
幾人いるのか考えますと、この問題は
問題にもなりませんね。
普通は自分自身ってなんだろうとは
考えもしないからです。
本当の自分とは何かを探求している人にとっては
とても大切なこの「分離」に関することでしょうか。
もし初めから決して分離はなかったのだと
人生の目的をこの「分離感をなくすこと」に置く人には、
全ての関係でもある、特別な愛の関係は、
分離の中に愛を持ち込もうとする試みにすぎないと
すぐに気づくことでしょう。
その関係は自我がもっとも自慢とする贈り物であり、
自ら進んで罪悪感(分離感)を放棄するつもりの
ない者たちにとって、きわめて魅力のあるものでしょうか。
自我はすべての愛を特別なものと知覚するからのようです。
まだそのような関係を探し求めるということは、
あなたが自分自身を神ではなく自我と同一視している
しるしでもあるのでしょうか。
まさか自分が神だなんて。
というお声が聞こえてきそうです。
紙でも、髪でもないですね。(笑)
分離の象徴である肉体の持つ唯一の価値とは、
あなたが兄弟たちを一緒に橋まで伴ない、
そこで共に解放されるようにすることだけのようです。
(橋の向こうに行くために)
そのとき、すべてを得るために、自分が諦めたものは、
無でしかなかったのだと嬉しい驚きと共に
思えるのでしょうか。
(現実感の逆ですね)
愛とは自由そのもの、自分を束縛の中に置きながら
愛を探すことは、自分を愛から分離させることですね。
「自我はそれ自体が幻想。
そしてすべての幻想は恐れからくる。」
まず自分自身を知ろうとする決断からですね。
「分離とは、ただ自分自身を知らないでいようという決断」