「真理を幻想のもとに、実相を空想のもとに
運んでくることに人生を費やしてきたあなたは、
夢の道を歩んできた」
今世界で起きていることが、あまりにも
はげしくて、これがとても幻想だなんてと、
またのんきな父さんだ・・とのお声が聞こえそうです。
(笑)
目の前に起きていることは、ただ「受容」するしかない
ようですし、それをどのように感じるかは
すべて個人の自由意思に任されています。
この自由意思とは人間に与えられた
最大の能力であると感じます。
「夢の道」おもえばまさに人生は夢の道。
昨夜の「麒麟が来る」の信長が
好んで唱えたとする、
「人間50年、下天の内くらぶれば、夢、幻の如くなり」
ですね。
来し方を思えばまさに、そのような感がつよいです。
人生上のいろんな場面を思い出します。
ただ現実を見ながら、何らかの決断を続けた
人生であって、それは決断の連続ともいえます。
夢だと思えれば、おかげに恵まれ生まれ出て、
その瞬間瞬間にどのような決断をすればいいのか、
その時の心の状態が決めるのでしょう。
それがどのようにあってもすべては「夢」なのですから、
どんなでもOKでしょうか。
幻想と真理や実相は二つ並んではありません。
一部だけ幻想と言うこともない。
すべてのすべてがもともと実相世界なのでしょうか。
「恐れや憎しみを手放す必要はない
それは聖霊の機能」
聖霊って存在はまったくわかりませんが、
ただいつもあると思うのか思わないのかだけ。
守護霊とか守護神みたいなものでしょうか。
形がない。
おかげ様かも。
「聖なる瞬間は、神聖であろうとするあなたの決意が
もたらす結果である。」
神聖なんていや!といったらそれもそれですね。(笑)
でも決意してさえいれば、それ以外何もすることは
ないようです。
聖なる瞬間は、無限と結合した結果と言われます。
幻想とは比較することもできないもの。?
「真理を幻想のもとに、実相を空想のもとに
運んでくることに人生を費やしてきたあなたは、
夢の道を歩んできた」