2612「一期一会」2022.2.18  自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年02月12日「一期一会」と2022年02月14日「与える喜び」の2つの記事を紹介します。

「一期一会」

憎しみの心を抱えたままでは、決して本当の意味での幸せにはなりません。

憎しみを持つ限り自分自身で、その憎しみの種にしがみつき必死で握りしめているので、

もがけばもがくほど、強く自分自身にまとわりついてくるからです。

古事記では、この宇宙に最初に現れた神として造化三神(ぞうけさんしん)のことが書かれています。

・アメノミナカヌシ(天之御中主)

・タカミムスヒ(高御産巣日)

・カムムスヒ(神産巣日)

この神々は、宇宙に現れると同時にお隠れになったと記されています。

このお隠れになるとは、虚空に消えてしまった・・と言う意味ではありません。

この宇宙そのものが、神の中に入ったという意味なのだそうです。

ですから、私たちが住むこの宇宙は、神々の胎内に存在しています。

神々の本質は愛ですから、この宇宙の根本も「愛」から成り立っています。

この原則から外れるものはありません。

・こういう場合には、「愛」は通じるが、

・このような場合には通用しない

そのようなことは決してありません。

また量子力学が発見した通り、私たちの宇宙は、波動であり、物質でもあります。

波動は見えませんが、それは周期的な波であり、発すれば減衰はしても宇宙中に広がります。

波動の周波数の違いによって、物質界に様々な現象を起こします。

この宇宙において波動の法則は、厳然として存在しています。

俗にいう、「類は友を呼ぶ」という法則です。

ある友人、グループ、職場、サークルなど人々が一堂に会している場合、そこには同じような波長が存在し、 皆が、その波長に共鳴し、引き寄せられて集まっているということです。

自分の発した波動は、肉体を超え、宇宙の隅々まで広がりますから、

何か、意識した途端、その効果は、宇宙全体に広がり、同じ波長をもつ者がキャッチします。

場合によっては、現実に引き寄せ合い、目の前に現れます。

それでは、迫登茂子さんの「言の葉づくし」よりご紹介します。

鐘の音の激しさに 恐れ、優しさに 安堵する。

口から出る 言葉の激しさも、人を飲み おののかせる。

同じ言葉なら、安らぎを与える言葉を口にしよう。

安堵の表情を見届けるなんて、とても幸せなことなのです。

素晴らしい愛の感受性をお持ちです。

このような、

・優しさ、

・愛、

・思いやり

の繊細な心(内にいらっしゃる神さま)を感知できる柔らかな感受性を持ちたいものですね。

あなたには 愛していらっしゃる人や仲間と呼べる方がいらっしゃいますか?

お子様であったり、妻であったり、夫であったり、

ご両親かもしれません。 既に亡くなった方かもしれません。

それとも心許せる人など、一人もいられませんか?

それでも、生まれた時の事を思い出してみてください。 

ご自分が少女であったり、少年だった時の事を思い出してみて下さい。

誕生をご両親は喜んでくれませんでしたか?

一緒に遊んでくれた友達はいませんでしたか?

優しく接してくれた先生はいませんでしたか?

あなたの愛する人が、 ほっと安堵の表情を見せてくれた時、笑顔を見せてくれた時、

あなたの心に 何か変化はおきませんか? 

何か温かなものが全身に流れませんか?

もしかしたら、それが、「愛」と言うものかもしれません。

皆さん、愛する人や、良き仲間がいらしたら、どうぞ大切になさってください。

そしてご自分でも良き仲間となれるように、感謝と思いやり、

お陰さまのお気持ちでお過ごしください。

それはとっても 幸せな状態なのですから。

そして、ここにおいても心しておかなければならないことがあります。

例え愛する人、良き仲間であろうと、別れの時は、必ず来るということです。

生涯死ぬまでずっと、心の通じ合う人と一緒というのは稀です。

もし今、お幸せなことに、心許せる人がいるのなら、

一期一会(いちごいちえ)の精神で、

その美しく温かな関係性の機会は、

もしかしたら二度と訪れることが無いかもしれないことを 

心して、愛する人、仲間を、大切に大切に、優しさ、思いやりの心など、

自分のできる全ての良きものを持って、全身全霊でお付き合いしたいものです。

そして、目いっぱい、その運命の出会いを楽しみ、愛と友情をはぐくんでください。

たとえ運命が、別れを準備していても、

その一瞬の煌めきは、決して消滅するものではないからです。

魂を揺さぶる、仲間との出会いは、死を超えて魂に刻みこまれます。

魂の成長に、何らかの必要があれば、また必ず再び 交り合うこともあるでしょう。

でもそれは、自分が決めることではなく、自然の流れとして起こってきます。

私たちの人生のタイムラインを管理してくださっている神さまが決めることです。

私たちは、ただ自然の流れに従い、逆らわず、今、目の前に居る人に

愛を込め、誠意を込めて、真心で接していくだけです。

流れに逆らい、既にエネルギーは別の方向に向かっているのに、

固執し、執着して手放さないと、運気は確実に下がって行きます。

神さまが用意してくださった方向を、自分の欲望と執着心で拒否しているからです。

「諸行無常」・・ 少し寂しい法則に感じるかもしれませんが、

宇宙は変化があるからこそ、進化し発展してきました。

自分にとって、辛く悲しく、苦しい状況も「諸行無常」の摂理が働くからこそ、

次は良い方向に変わって行くのです。

ピンチがチャンスに変わって行くのです。

幸運は、不幸な顔をしてやってくることができるのです。

その繰り返しを通じ、私たちの魂も、変化し、進化していけます。

あるがままに、自然の流れに身を任せ、無理をしないこと。

現状に感謝すること。

刻々と変わり行く、この人生。楽しんで行きましょう。

笑顔と笑いがあれば、きっと何でも乗り越えて行けますから。

「与える喜び」

春日大社の元宮司、そして医師であった葉室頼昭さんによれば、

神さまは願いごとなどしなくても、ちゃんと叶えてくださる。

他の国で見られるように、必死になって自分の願いごとを祈っている姿とは異なり、

神道では神さまを喜ばせる、感謝するということが祈りとなります。

こちらから頼まなければ、神様はやってくれない・・・というのは、神さまを冒涜すること。

神さまというのは全部知っておられるんです。

だから、神さまを認め、喜んでいただいたら充分なんです。

そうしたら、神さまはこちらに出てきて、お恵みをくださる。そう仰っています。

あちこちの有名どころの神社や仏閣に出向き、

・あれをしてください

・これをしてください

・あれもくれ

・これもくれ

とお願いするだけでは、

神様も辟易(へきえき--閉口すること。嫌になること。)とすることでしょう。

そのような人間の欲望渦巻くところでは、せっかく力のある神さまの光も、

その闇にさえぎられてしまうことでしょう。

色んな神様がいらっしゃいますが、この宇宙を創造し、維持し、破壊する創造の神様は

大本の神様であり、創造の源です。

レインボーチルドレンの言葉で表せば、12次元にいらっしゃるそうです。

私たちの宇宙に住む、生命体が3次元存在、日本の有名な神々が8次元とのことで、

遥かに高い次元です。

創造の源の神様が喜ばれるのは、

・特殊な能力を持つことや

・優れた霊能を持つこと

・優れた過去世を持つこと

などではなく、やはり王道である、

・私たちの心を清く保つこと

・身近な周りの方々と、仲良く助け合って暮らすこと

そんな一見、平凡に見えることのようです。

それでは今日も、王道である私たちの心を浄化し、神々へ近づくためのお話をご紹介します。

注意深く、周りを観察してみればどんな人にも、自然や人を通じ、神さまはいたるところで、

その存在を教えてくださっています。

今日のテーマは「与える喜び」です。

私たちは、物でも、お金でも、優しさや、真心でも、

まず、自分から出すこと(与えること)が最初です。

与えた時の心の状態が、宇宙の果てまで、見える世界、見えない世界を飛び回って

同じ波長のものを、仲間を連れて帰ってきます。

時々、「優しさや親切を人に与えると、損した気分になる」

そうおっしゃる方もいらっしゃいますが、そんなことはありません。

神々のエネルギーは無尽蔵です。与えることで、その何倍もの恩恵を私たちは受け取ります。

それでは、渡辺和子さんの言葉よりご紹介します。

<引用開始> 引用元

近頃、もらう喜びは知っていても、

その他の喜びをあまり味わっていない子どもが、増えているように思えてなりません。

その他の喜びとは、

・与える喜び、

・分け合う喜び、

・そして自分で物事をやり遂げる喜びです。

マザー・テレサがこんな話をなさいました。

カルカッタの街に、八人の子を抱えてお腹を空かしている家族がいたので、お弁当を作ってもって行ったところ、その母親は押し戴いて喜んだ後、すぐどこかへ出て行きました。

やがて戻ってきた母親は、

「実は隣の家族も、このところ食うや食わずの毎日だったので、半分あげてきました」と言ったそうです。

マザーは、この話をしてから、

「貧しい人は偉大です。飢えを経験した人には、他人の苦しみもわかるのです」

と言われました。

本当の豊かさとは、このように、他人に与えるものをもっている心を指すのですね。

最近、自分でやり遂げる喜びを、子どもから奪っている過保護の親も増えているようです。

それは、子どもたちを愛しているように見えて、

実は彼らから、その成長に必要な自信と、自立の喜びを奪っているのです。

もらう喜びしか知らない子どもは、自分中心の世界で生きています。

どれほど多くのものを持っていても、その子の心は貧しいのです。

与える喜び、分ちあう喜び、自分で何かをやり遂げた時の喜びをも味わわせることによって、

子どもの生活を本当に豊かなものにしてやりましょう。

<引用終了>

確かに、何か物や、お金をもらう喜びよりも

・与える喜び、

・分け合う喜び、

・そして自分で物事をやり遂げる喜び

の方が、私たちの心を喜ばせてくれますね。

与えたほうも、頂いたほうも笑顔、幸せになれます。

そこには、調和が生まれ、平和が訪れます。

どうせ与えるならモノではなく、

・感謝

・喜び

・笑顔

・いたわり

・優しさ

・思いやり

など、美しい心を与えて差し上げたいですね。

その心は、巡り巡って、必ず自分に帰ってきますから。

与えるものは、物質的なモノである必要はありません。

貧しかった良寛さんは、

「自分は貧しいひとりの修行僧なので、人に与えるもの、あげるものが何もない。

だからせめて、心をあたたかくするような、心を安らげるような『言葉』をあげたい。

それならいくらでもあげることができるから」

良寛さんは、自分の口から出てくる言葉を

・あたたかい言葉

・やさしい言葉

・思いやりに満ちた言葉

にしたいと思って行動していたそうです。