1994年7月16日。K女史・M氏と共に名古屋空港を発つ。
M氏の切符は高知行き。K女史と二人の切符は高松行き。
出発直前にそのことに気づき二人にあわせて、M氏は高松行きに切り替える。
高松空港着。待ち合わせ時間に誰もみえない。
携帯にて企画者の高根女史に連絡をとる。
高知が待ち合わせ場所だった。
今日は全員で空海悟りの地、室戸岬を訪ねる予定だった。
我々は電車を乗り継ぎ、タクシーに乗り、メンバーと出逢うべく高松を発つ。
連絡をとりながらだがなかなか逢えない。途中の小さな駅近くでやっと出逢う。
一路、剣山近くの宿へ、桂橋近くのお宿到着。なんと二十才の頃キャンプした河原の前の宿だった。
さっそく温泉にM氏と入る。長くお話をうかがう。人間の本源について、わからないことを聴く。
私の頭は、ついていけない、わからない。それ以上は進まず、宴会。
宴席正面に高根正教さんが座る。子供のようなウルウル目、話してみえることがらも子供のようで、
内容はさっぱりわからない。とにかくわからないけれど、誘われるままに参加した旅なのだから。
剣山の秘密、ユダヤ民族と日本民族のルーツ。始めてうかがうことばかり。したたか酔って就寝。
朝五時起床。思い出の河原にでてみようと外に出る。
旅館の前の道端の小さな花にカメラをむける先客O女史あり。
目に一杯涙をためて、泣いてみえる。「お日様の光があたって、このしずくなんてきれいなんでしょう。
ダイヤモンドみたい。」そんなことで泣くなんてと、無骨な中年は思う。「歩きましょうか。」
といって、少し上流へ道なりに歩く。草がきれいなところにでた。
光にあたって水滴をお日さまに透かして観てみる。「なんてきれいなんだろう。」
今度はほんとうにそう感じる。O女史のおかげだ。
白装束に身を替えて、一路剣山へ車は走る。剣神社到着。参拝。七月十七日は毎年、剣山のお祭りだ。
白装束の男衆がみこしをかつぎ、ふもとの剣神社から一時間半程、
山を登り、山頂での儀式を行なうのである。この日は、京都の祇園祭りの日でもある。
たくさんの全国からの人々が、剣山の途中迄行くリフト乗り場でリフトを待つ。
ほぼ全員が白装束だ。外国人たちもたくさんいる。暑い日だ。
三十分程、順番を待って、いよいよ番がきた。リフトの№をみる。八八番。腰をすえる。
素晴らしい天気。気持いい―。と思ったとたん二十M程登ったところで突然に泣く。
目に涙が溢れる。流れでる。鳴咽。何故?何故?何?。
降りのリフトの人が目の前に迫る。恥ずかしい。何?しばらくすると納まる。十分程で途上駅に到着。
着いてメンバーをみたら、朝逢ったO女史のアイシャドーがずたずたに流れていた。
同じだったんだ。フーフーいいながら、それから四十分、剣山登山。
つる岩かめ岩がある。鶴亀山。剣山の山中にあるという、泉から流れでる水場に寄る。
山頂は平原。熊笹がビッシリとはえている。これが山頂か。
不思議なことに私は、剣山のことを何もしらずに参加したのだ。
そしてその日から、剣山の謎に興味をもった。そして次々にそのような話題が目前にあらわれた。
前出の高根さんは、親子二代にわたる剣山研究の第一人者。ユダヤの契約の箱が剣山に眠っていたというのである。眠っていた。今はどこに?謎である。
それはともかく不思議なできごとは、インド・ボリビア・イスラエルに迄いたる
好奇心の旅のきっかけとなった。誘って下さったK女史への感謝の気持ちは表しようもない。
人はみんなつながっているのだろうか。
H12.6.7