2951「苦しい時こそ予祝」2023.1.24 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年01月19日の記事を紹介します。

「苦しい時こそ予祝」

今私たちが置かれている状況は、全ての全て、過去の私たちの心の状態が生み出したものです。

ですので普段から、まわりやTVなどから接する情報も、できるだけ

・清らかなもの

・優しく温かなもの

・思いやりのあるもの

・人に勇気を出させるもの

などにして、好奇心をくすぐる目的で、下品な物や面白おかしくデフォルメされた・・・

・ゴシップ

・人をだましたり

・嫉妬したり

・恨んだり

・貶めたり

・陰口を言ったり聞いたり

そのような物を見たり聞いたりして、心に入れないようにしたいものです。

何故なら、心に在るものが、何時か現実化されるからです。

無意識に心に入れたものが、現実化してしまう可能性が高いからです。

もし今の現実を変えたいならば、幸せになりたいのなら、心癒される環境に身を置きたいのなら、人や周りを変えようとするのではなく、自分の心をきれいに洗濯をしてみることをお勧めします。

そのためには、感謝の気持ちが大切です。

思ったこと、心の中のことが現実化するとは、私たちが神さまと同じように作られたからです。

神々と同じ、創造する力を私たちは与えられているからです。

さて、ベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』で有名な故渡辺和子さんは、

36歳の若さでノートルダム清心女子大学の学長となりましたが、若さゆえに沢山の苦労をなさいました。

<引用開始> 引用元 

思いがけず学長という立場につけていただきまして、やはり苦労がございました。

私はいわゆる「くれない族」というものになりました。

・お辞儀をしてくれない。

・あいさつをしてくれない。

・こんなに苦労しているのに労ってくれない。

そういう「くれない族」。

私は「もっと人様に仕える仕事をさせていただくために入ったのに」

と私を修道院に推薦してくださったアメリカ人の神父様のところにまいりまして、

縷々(るる)不平不満を述べました。

すると神父様は、「あなたが変わらなければ、どこへ行っても何をしても同じだよ」

とおっしゃいました。

目からうろこが落ちました。

他人が変わることばかり求め、幸せを他人まかせにしていた自分に気づかされました。

私が変わらなければと思い、私の方からあいさつをする人間に変わる決心をいたしました。

そうすると、周りの方が変わってくださったんですね。

明るくなりました。

それまでは、環境さえ変われば、みんなさえ私を理解してくれれば、と思っていました。

神父様の一言で、大切なのは人に頼ることじゃないんだ、と気づきました。

「環境が悪い」「人が悪い」ではなくて、悪い環境ならよくしよう。

よくするためにはまず私が一番先に変わらなければいけない。

発想の転換と申しましょうか、

そういう気持ちになりました。

私は傷つきやすいところがございますけれども、そのおかげで、人様にこういうことをしたら、この言葉を申し上げたら傷つくんじゃないかということがわかる人間になったと思います。

弱さ、傷つきやすさを逆手にとって、相手の気持ちがわかる人間になる。

だから傷つくことのありがたさを忘れてはいけないのです。

時間の使い方は命の使い方。

この世の中に無駄なものは一つもございません。

嫌なことや傷つけられたことさえも私たちは、いいことに変えられるのです。

<引用終了>

渡辺さんは学長として、働き盛りだった五十歳の時、うつ病となり、死を考えた経験があるのだそうです。

そして、周りの方々、取り巻く神々に助けられ、克服しました。

渡辺さんの醸し出す、静謐の中の深い優しさは、そんなところから来ているのかもしれません。

ご自分で苦しみを味わったからこそ、同じように苦しむ人々の心の内が分かり、そして、寄りそい、温かな言葉をかけられるのでしょう。

そう考えたら、ご本人の仰るように、病気さえも無駄ではなかったことになります

返って神々の恩寵となったのです。

神様のやり方は、何時も同じです。

神様は私たちの「願ったもの」ではなく、幸せを増すのに「必要なもの」を与えてくださいます。

それは必ずしも私たちが欲しくないものかもしれません。

でも、全てが肉体ではなく、魂の成長にとって必要なものなのだと、感謝して謙虚に受け入れることができれば、人の魂は、どんなに光り輝くことでしょう。

周りの人たちの心を照らし出すことができるでしょう。

お腹が空いた時のひもじさが分かるから、素朴な美味しさを感じることができます。

私たち生きている人間は物事の表面しか見ることができません。

その、ほんの一面だけを見て

・良い、悪い

・幸、不幸。

を判断することはできません。

有頂天になったり、落ち込むことには意味がありません。

どんな人も、必ず、時が経って振り返れば、究極的には、肉体が亡くなって天に返る時には、

今の状況に至るためにはその出来事が必要なことであった、そう気付くことでしょう。

神さまは、幸運を与える前に、必ず、まず、不幸に見える出来事をくださいます。

そして、その出来事に、不平や不満、愚痴を言わず、やり過ごすことができた時、

幸運がやってきます。

それは、必ずセットになっています。

更に、神さまのなさり方が理解できたのなら、きっと前半部分の不幸に見える出来事がやって来た時、感謝の気持ちで受け取ることができるでしょう。

また、もっと確実にする方法があります。

それは日本人が古来からやってきた方法、予祝(よしゅく)です。

祝福をあらかじめ予定するのです。

いわば前祝い。

先に喜び、先に祝うことで、次に来るであろう、喜びの現実を引き寄せる

これは、日本人が古来からやっていた夢の叶え方だそうです。

お酒を飲みながら、お米がたわわに実ることを想像し、仲間とワイワイ先に喜んでしまう、前祝い。

それが夢の引き寄せであり、お花見の由来だったのだそうです。

何故なら心がワクワク楽しいことで満たされていたら、例え今は不幸でも、 必ずそれと同じ波長のことが現実化されるからです。

どのような現実が、起ころうと、私たちの運命は、全て結果オーライになるように組まれています。

そうであれば、常に感謝の気持ち笑顔で生きて行きたいものですね。