「身体の目が、身体や他の人の身体を見ているのではなく、
ばらばらに見える僕たちの心が、別のもっと高いレベルから
投影されている自分を見ている」
このことは「へ~~~!!」でしょうか。
自我か実相かの世界観です。
実相世界では自我が感ずる物質は無です。
ただ「在る」ので「有る」とは異なります。
そして実相の世界観による物質世界は「無」です。
まるで逆ですね。
ですから、
「心が完全な存在に戻ったら、映写される映像がなく、
見るべき身体もない。その時映画から身体は消える」
完全な状態の人間はこの世に一人もいないので
当然のように映像と言う物質世界を見ています。
しかし源は一つと確信に近くなってくると
分離感が薄く、目の前の現象は幻想かのように
思えてくるのでしょうか。
ひとつしかない生命において、私たちはすべて繋がっていて
その繋がった生命というか、心がした決断どおりの
影という身体を見ているようです。
丁度真っ暗な洞窟の中にいる人間は映像として
自分も世界も見ることはないのですが、
どこかに小さな穴が開いて、光が洞窟に射すときに
洞窟の壁に外の世界(物質世界)が映画のように
映し出されます。
光が目のようなもの。
決して洞窟の中の自分の目が見ているのではない。
そしてその映像(幻想)を自分と言う存在が
見たいように見ているように感じられるようです。
私たちはたった一つの生命を生かされている。
「身体の目が、身体や他の人の身体を見ているのではなく、
ばらばらに見える僕たちの心が、別のもっと高いレベルから
投影されている自分を見ている」