「肉体は自我の象徴であり、
自我は分離の象徴である」
今朝届いていたメールがあります。
奈良の「真の教育のための学校」の主宰者である
Tさんからです。
昨年暮れからの気づきというか覚醒の体験の
お話でした。
毎日毎日というか、毎瞬毎瞬が瞑想のような
ときを過ごす方です。
実相への感覚の体験を、言葉ではきっと表現が
困難でしょうけれど、言葉での表現を
されていました。
「『それ』は、、、完全な漆黒であり、、、
宇宙大の響きであり、、、
完全に満ち足りた意識であり、、、
無限の光であり、、、
限りない静寂であり、、、
無数のイノチの煌めきであり、、、
たったひとつのすべてのすべてだった。。。」
世界で生かされていると、怪我をしたり
病気をしたりという体験がどなたにでもあって、
そのたびに「ほら!やっぱりあなた肉体でしょう!」と
自我が叫びますし、痛いかゆいと心も確認してしまいがち。
だから肉体は自我の象徴的なものですね。
しかもその自我は、一体全体なんてちゃんちゃら
おかしいと、また他の人や他のものと自分が
一体だなんてとんでもないと分離を当然と
思わせます。
その自我を完全に黙らせるものは、実相感覚体験でしょうか。
Tさんはおそらく瞑想のときだけでなく、日常でも
ほぼいつも一体全体感覚にあるのでしょう。
百万言の言葉を弄しても、一度の体験には
かなわない。
そこには戦争も平和もない、なにもないもちろん
分離がない。
大平安で完全な無限があるのかもわかりません。
「肉体は自我の象徴であり、
自我は分離の象徴である」