人生は劇場のようなもの。
このごろそんなことを確信させるできごとが
続いている。
昨日も四日市読書会でごいっしょするIさんに
町内の山車庫前でバッタリ。
チョット気になってこちらの方面の道を選んだだけなのに。
逢えそうもない場所でのお出会いほど嬉しいものはない。
この9月3日夜、18歳まで住んでいた名古屋の
場所近くで、およそ40年ぶりに道の途中で
お会いした女性がいた。
幼馴染のみっちゃんだった。
その日から1ヶ月もたたないうちに、友人のお父さんの
葬儀場で、再びみっちゃんに出会うことになる。
あまりのことに葬儀場で立ち話。
みっちゃんはテレビのコマーシャルにも出るような、
名の知られた大きなお寿司やさんの女将さん。
立ち話の中でいろんなことがわかった。
3年程前から「桃太郎」を取り扱っていること。
四日市の慈光会のこと。
イチローさんのお父さんもよくきてくださるような店になったこと。
お世話になったみっちゃんのお父さんはすでに
世を去ったこと。
そして今日の出会いはこちらの友人の奥様と友達であること。
40年間の時間は一瞬にして流れる。
「一八」といううどんやさんから「ワンエイト」という
喫茶店に、そしてその後「五一」という寿司やさんへと
変身していった先代のお店。
その店が「ワンエイト」という喫茶店の時、忘れ得ない
別れがその店であったのだった。
貧乏な長屋に住む子供。
そんな子供を可愛がってくださる父親のような
男の人がいた。
Yさんといった。
Yさんは何かわけありで、家の前の印刷やさんの2階で住み込み
をしていた。
カレーが大得意なのか、よく「カレーつくるぞ!」と
言っては部屋に呼んでくれた。
中学時代。
銭湯にもよく連れて行ってくれた。
浴槽に誰も他の人がいない時は、
手だけで何分間も浮いていた。
「オリンピックの強化選手だったんだよ。」
ちょっと得意そうだった。
高校入試が近づくと、顔を見るたび声かけ。
「今って今だけで、取り返せないからね。」
やさしくて厳しい言葉だった。
もし高校入試に失敗したらそれまで。
公立一本しか事情が許さなかったから、
働くつもりでいた。
入試の発表の日。
「連れて行ってあげるよ。」
って言ってくださったYさん。
車で40分ほどの高校へ。
着いて車から降りようとしたら、
「まあちゃん、ここで待ってるから。 いいか 受かっていても
落ちていても笑って戻ってくるんだぞ。」
と送り出してくださった。
ぼくは番号をみつけて、ほんとに嬉しかった。
ほんとにほんとに嬉しかった。
Yさんの所に駈けていった。
それから3年後の18歳。
Yさんとの別れの日が来た。
「大学入学祝に、ワンエイトでおごるよ。」
僕たちはそれで、ワンエイトに行ったのだった。
その後、わが家族はイチローの豊山村に移った。
月日は流れて30歳になった頃の名古屋で、
新しい会社を立ち上げて半年がすぎた頃、
Yさんから会社に電話があった。
なつかしい声。
僕たちは出会う約束をした。
その日が来た。
朝Yさんから再び会社に電話があった。
「やっぱりね 会えないよ。
恥ずかしいから。
年取ったし。
あの頃のままで
覚えておいてよ。」
男の言葉だった。
あれから早26年。
今 Yさんどうしているんだろう。
すべての 出会いが 劇場のように仕組まれているとしたら
Yさんは 何を教えてくれたのだろう。
Yさんを思い出すたびにあったかい涙。
そのことだけは人生の真実です。
ありがとうございます