「中庸な信念というものはない」
一般的に良いこと、とか正義とか、道徳とか
いうものについても、それを守ると言うことは
その人の信念になりますね。
平等感もまた信念。
でもどの信念をとっても、自分が下す決断であって、
その決断の一つひとつを指図する力がありますね。
中庸はゼロですから力はないですね。
あるとしたらしいて言えば中庸力。
どんな決断も分離した考えの中からのものですから、
罪悪と言えて、ですから決断の後には必ず
苦しみが生じます。
分離していないという無罪性の後には逆に必ず
自由が生じるようです。
もし分離していないのならば。相手の自己が自分の
知っている自分の自己ですから、どうして相手を
憎むことなどできるのでしょうか。
特別な者たちだけが敵を持つことができます。
比較とは自我による仕組みに違いなく、愛はいかなる
比較もしませんね。
特別性は常に比較します。
「愛とは延長である」
「中庸な信念というものはない」