「世界を救うためには、何人の神の教師が必要か」
この問いの答えは「ひとり」です。
なぜ多数という幻想が必要でしょうか。
その理由は単に幻想に惑わされている者にとって、
実相は理解できるものではないからですね。
肉体にとって真に存在する唯一の用途は、
神(源)の声が肉体を介して、人の耳に
語れるようにすることだけのようです。
そしてその目は聞く者の心と、この世のものではない
メッセージを運んで、そのメッセージの源ゆえに、
心は理解することでしょう。
源の言葉をもたらすために肉体を使うならば、
人は病気にはなり得ず、死ぬこともあり得ない。
その有用性がなくなったとき、それは横たえられます。
この決断は心がします。
「一体性と病気は共存できない」
一体性のみが、夢からのものではありません。
そしてこれこそが、神の教師たちが夢の背後にあるものとして
認識しているものでしょうか。
そしてそれはあらゆる外見を超えたものではあるが、
確かに彼らのものだと認めているものである。
赦しこそが「分離感」をなくす唯一の道でしょうか。
「世界を救うためには、何人の神の教師が必要か」