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3495「封印された情報をアラハバく「REDEEMER」!1」2024.7.21
今回は「宇宙の中心で愛を叫ぶ」さんの2024年7月14日の記事を2回に分けて紹介します。
「封印された情報をアラハバく「REDEEMER」!」
宇宙の中心で愛を叫ぶ (ameblo.jp)
こんにちは。
澤野大樹氏青森講演会主催 小野裕美子です。
今回も本当に久しぶりのブログ更新となります。
前回の澤野大樹さんのインタビューは2月17日でしたから、5か月ぶりとなります。
この5か月の間、澤野さんは10回の講演会を行いながらも、深い思索の領域を旅していたのだそうです。
そんな多忙な澤野さんの一段落した瞬間をキャッチし、インタビューをすることができました。
さあ幕あいの時間は終わりました。
では始まりますよ。
5秒前___
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それではどうぞ!
――澤野さん、こんにちは。
またまた久しぶりのインタビューとなりますが、よろしくお願いいたします。
いやあ、またもやお久しぶりですよね。
こちらこそどうもどうも。
――この5か月の間、
以前にも増して活動的に見えましたが、ご自身で振り返ってみてどうですか?
たしかにそのとおりです。
平凡な言い方かもしれませんが、ホントに頑張ったなあって思います。
わかってくださって嬉しいです。
――膨大な執筆量でしたよね。
そうそう。
猛烈に執筆しました。
活字版の20番と21番をほぼ同時並行で執筆していますから、頭の中こんがらがってましたよ。
――原稿が完成したと思いきや、
そこからかなりストップしたりしていましたよね。
熟成とポリッシュが入るからです。
でもそれらは総じて私の意志じゃない。
自分でもなんで止まっているかわからない。
普通に1か月とか止まるから。
再び書き始めるのも自分の意志じゃない。
大きな動きはエスカレーターみたいに、最初っからずっと動いているの。
私はそれに足を乗せるだけ。
だけどそこに足を乗せるのに1か月とかかかる。
――不思議ですね。
無理にやろうとはしないということですか?
抗ったらダメ。
本当に不思議と自然に、ぴったり当てはまるものが、きちんとしっかりと明確に現れてくれる。
そのためには時間と心の余裕がなきゃいけない。
急ぐと絶対にうまくいかない。
――ただでさえ今の世の中は
なんでもかんでも急ぎますよね。
コスパ、タイパを最優先とする風潮がありますけど
それはうまくいかない人を量産するためのもの。
じゃあうまく行くためにはどうしたらいい?
――時間とコストをきちんとかけるということですか。
たったそれだけよ。
コストと時間を十分にかけて創作された
工業製品でも芸術作品でも同じことで、
そうやって完成されたものは、必然的に結果として、もっとも合理的な仕上がりになるのよ。
だからコストとか時間とか、ホントは気にする必要なんかそもそもないわけ。
ここでいう「コスト」とは金銭的なこともあるでしょうけれど、
製品や作品そのものに心を傾けるという、労力とか眼差しの度合いも多く含まれます。
でも労力とか眼差しって定量的じゃないから人気はありませんよね。
――心を傾けたからといって
良い作品ができるとは限らないし、心の傾け度合いは数値化できないですよね。
そのとおり。
「ひらめき」とか「直観」というものがありますよね。
それって己のレベルに相応したものしか来ないのよ。
初心者には初心者ならではのひらめきや直観が降ろされる。
さらに言うと「心を傾ける」と言っても、それは「我」のことではないのね。
意味わからないでしょ。
それは気合いとも違うし、根性でもない。
ごく自然な働き。
それがどれだけ「自分の作品」に注がれたか。
でも自分ではコントロールできない。
だからエスカレーターに乗るタイミングは自分ではわからないのです。
――その「ごく自然な働き」が注がれるためには
どうしたらいいですか?
自分自身が「鏡」そのものだと認識できればいい。
QCの二次元プログラムデータを次元変換し
三次元物質ホログラム世界に「受肉」させるための
自我を超越した「鏡」であると認識すること。
――「認識すること」と言いましても
そのメカニズム全体を、理解しなければならないでしょうから、それは大変な作業になりますね。
それともうひとつ、「受肉」とはどういう意味ですか?
己のオリジナルで創造された製品なり作品は、出来る限り「現物」に落とし込むことが必要です。
あるいは現物を伴わせるということ。
このことを私は「受肉」と言っています。
QCのデータをホログラム化させることを意味します。
「己」という鏡を通過させたという証明が
いわば「現物」という形で示されているのです。
――「受肉」させるといっても、そのレベルがありますよね。
初心者の頃は拙く未熟であっても、練習を重ねることで上達していきますよね。
その通り。
受肉レベルを決めるのは、その人の下積みの量、反復継続の量に比例します。
天才的なピアノの才能がある子供でも、練習を重ねなければ花は開きませんから。
――下積みというのはとても地味で
目立たない作業の繰り返しですよね。
そう。
だからほとんどの人はやりたがらない。
「やりたいことだけをやりたい」って普通は逃げます。
才能はないけど注目はされたいっていう無いものねだり。
「やりたい」か「やりたくない」かを決めるのはまだ早い。
――下積みは承認欲求とは真逆にありますね。
誰にも認められない毎日が何年も続きますからね。
常人が到底やらないようなレベルにまで、到達した人の中から花開く人が現れる。
無限とも思える反復継続。
傍から見たらただの「意味不明な作業」。
――そのような大変な作業なんて
コスパ悪いし、タイパ最悪だとして
手っ取り早く「結論」や「結末」を求める風潮がありますよね。
映画を倍速で見たり、物語のネタバレを先に読んだり、
いわゆる「雑巾がけ」を避ける雰囲気はたしかにあります。
めんどくさいもんね。
でもそれを避けてしまう流れが支配的になったがゆえに
とてつもない傑物が生まれ難くなってる。
先人の背中を見て学んでいくということが
かっこ悪く非合理的だと忌避されてしまっています。
せっかく水面下に才能が横溢しているのに。
――圧倒的に「敵わない」であろう先人の存在を
それでも追うということですね。
でもね、そんな風潮の中でも、しっかりと修行を積んでる若い人たちも
じつはたくさんいるんだろうなと私は思っています。
ちゃんとした人はきっとたくさんいる。
表だって見えはしないだけで。
この「失われた30年」を経たこの日本からでも、想像だにしないような
若きクリエイターが生まれて来ると思います。
すべてはパーフェクトですから。
――映画『ルックバック』を観てひっくり返りましたよ。
ホントそうですよね。
私も思わず受け身をとろうと、後ろを振り返りましたよ。
アニメ界にまさに革命が起きたわけですからね。
もうただただ放心状態になるしかない。
ルックバック「以前」と「以後」に
分かれてしまうくらいの衝撃度ですよね。
――途轍もない作品が登場してしまいました。
そうですね。
多くの作家が嫉妬に狂いましたが、
賞賛する以外に方法はありませんでしたから、
混沌とした異様な空気になりましたね笑
――時代や世を変え得るものというものが
どれほどのインパクトを与えるのかがよくわかりました。
しかしそれは音もたてずにやって来るよね。
そう、それはまるで「夜中に来る盗っ人のように」ね。
――それは下馬評とは違い、
センセーショナルとも違う登場の仕方なのですね。
その「存在」をきちんと気が付けるか?が大事。
そのためには人の機微についてとか、物事のあらましや構造についてだとかに
繊細で敏感でなければならない。
その繊細さや敏感さが、精妙な「ひらめき」や「直観」を生むのだから。
――精度の高い「ひらめき」や「直観」を得るためには
長年にわたる不断の修練が必要なんですね。
このホログラム世界には、ひらめきや直観が無限に溢れているわけです。
でもその中からみんな自分に見合ったものだけを、
そして自分で理解できる範囲内のものだけを
無意識的に選択して
さらにそれが最上のものだと錯誤しているわけ。
――たちどころに得ることができる
「覚醒体験」というものがいかに危険か、ということでもありますね。
若い時分ってのは反射神経は鋭いけれども、洞察力や判断力が未熟なのよ。
だから交通事故件数だって若い世代が圧倒的に多い。
ということは、若い時分になんかの拍子に思わず興奮して
「これだ!」と判断し小躍りしたことのほとんどは
なんと「間違っている」可能性がきわめて高いということ。
人生とはその錯誤の繰り返しなわけなのだけれども、
錯誤のレベルってものは成長できるわけよ。
でも最初にそれを最上って決めちゃったら
もうその先の成長は見込めないってなっちゃう。
――「ネットde真実」みたいなのは危険ですね。
完成された「結論」「結末」に飛びつくのはあまりに危険ですよね。
その多くが加工され絶妙に調整されて、そこに置かれてる。
そう、あなたは釣り堀のクチボソとして
これから釣られる立場として狙われているのです。
――特に最近はネット世界もそのようなもので
溢れ返っているように見受けられます。
みんなが思わず喜ぶような、画期的な「結論」「結末」、
あるいはとびっきりの「知られざる真実」が
どういうわけかなぜかそこに落ちてるわけですよ。
なんでだかわかる?
でも多くの人がそれを嬉々として拾ってしまう。
情報を高度に取り扱う者であるならば、目の前にキラキラ光り輝く
「結論」「結末」が落ちていたとしても、絶対に拾わないでしょう。
それって「罠」だよねって。
基本だよねって。
そんなこと明々白々ですよね。
多くの人が初見で感動し、パッと見で「この人だ!」とか
「これだ!」とか思ったとしたら、それって調整され制御され計算され
演出されてますよね。
基本ですよね。
――澤野さんの考える「情報」とは
どのようなものでしょうか?
「情報」っていうのは調理するものです。
早朝から市場に出向いて、断片であるいろいろな食材を厳選して仕入れ、
それらを組み合わせた上で、己の技術とセンスで調理するわけです。
そして仕上がった状態を「料理」というでしょ。
――自分の力で作り上げるものなのですか?
いいえ、違います。
どんな料理が完成するかは本人もわからない。
――「すごいものを作ってやろう」とか考えたら
ダメなんでしょうね。
「情報」っていうのは、己の力量の度合いによって
「顕現なさる」ものであり、
「顕現される」ものなのですよ。
無地のキャンバスに突然フワっと浮かび上がって来るものなのです。
これが「オシント」(OSINT)
(Open Source Intelligence)の根幹ね。
――表に出たがっている情報も
きっとたくさんあるのでしょうね。
ギターでもバイオリンでも同じですよ。
楽器自身が衝撃を受けるような、
楽器自身が知らなかった弾かれ方が顕現する。
「私ってこんな弾かれ方できたんだ?」
「私ってこんな音が出たの?」って。
楽器が驚くのよ。
楽器を磨いていい子いい子してる演奏家は「普通の演奏家」なのね。
平凡な演奏家は楽器にこだわる。
楽器にこだわっても超一流にはなれない。
ごくひと握りの世界トップクラスの演奏家は、
楽器の方から「ボクを弾いてください」って懇願されるの。
つまり楽器を「従えて」いるのね。
だから壊していいの。
平凡な演奏家は壊しちゃダメですよ。
毎日朝から晩まで楽器をピカピカに磨いて、保険をかけておかなきゃダメ。
エドワード・ヴァン・ヘイレンの
あの伝説の名器「ザ・フランケンシュタイン」は
パーツショップで50ドルで投げ売りされていた
B級品のボディを元に自作されたものです。
それは言ってみれば「がらくた」の寄せ集めなんですよ。
でも、そうやって自作されたギターは「驚いて」るんですよ。
「楽器」が重要なんじゃないのです。
「誰が弾くか」が重要なのです。
これ今「楽器」でお話ししてますけれども
あらゆる分野にこれは当てはまることですよ。
後編に続く