魂のゆらぎ エピローグ 2 ~不明の確信 幽界に存する幽体ができること 

人生では数々の不明なことに遭遇します。

とても物理的に理解不能なこと。

ですがそれは確かな体験です。

そのことをどのように理解すればいいのか、
今までは不明なことが多すぎました。

霊性の旅
でのまるで異次元からの響きへの感応。
魂が震えるのです。この物理的現実とはなんの関りもない
感情とははるかにかけ離れた感応です。

このことは決して一度ではない人間の人生への確信を伝えていました。

そしてまったく分からない物理現象を長崎の
「あんでるせん」さんで与えられ、20回を数えて
今生でのご縁あるみなさまのご案内を務めさせていただきました。

しかし様々な本で今まで読ませていただいていましたが、
理解の確信に到ることはできず、ただ不思議なことが
あるものだとの感じ方しかできないでいました。

きわめつけは自身の肩に顔を現した3人の
親や娘の写真でした。

「生きている 永遠に」

それはそのことを伝えるかのようでした。

さてそのようなさまざまな体験への解がバラマハンサヨガナンダの
「人間の永遠の探究」という本によってもたらされます。

本章で書かせていただいた通り、6つの体と界、
つまり肉体と肉体にすっぽりおさまる幽体と
それをつかさどる観念体そしてそれぞれが存する
物質界、幽界、観念界の6つ。
そしてそれらとひとつの根源エネルギーであるAUM(オーム)。

その7つが世界を支配していることに納得しました。

そして肉体を脱いでも、幽体や観念体はある。
幽体は透明で幅、厚み、高さはなく自由に大きさを
変化させることができる、しかも肉体と同じように
感覚を持っている。
しかも空間から物質を取り出すことも普通のこと。
ただこの物質界と交わることはない。

さらに幽界とも幽霊界ともいわれる世界には時間や空間がない。
そして幽界では物質を自由に変化移動させることが可能。
また相当の修行を積んで意識がその持つエネルギーを
存分に使える意識の高い方も同じように可能。

そこであんでるせんでの数々の不思議の解答が
得られました。

友達の時計が空中から消え、長崎から名古屋まで飛んだこと。
スプーンやフォークはもちろんプラスティックの製品が
ねじれる、リポビタンDのガラス瓶の口が指先で広がる、
10円玉が大きくなったり小さくなったり手のひらで
指でできる。
さらには1万円札に直角に10円玉を当て、中に
入れていく、あとには穴も開かない。

人間には山をも動かし神殿をもつくる無限の能力があると
イエスはいいましたがまさにその通りでした。

くちゃくちゃのルービックキューブが空中に投げられ
一瞬で手のひらでそろっている。

そしてマジックの原点は?と問われて壁の中に
手を入れて引き抜き壁には何も穴が開いていないのです。

まことに意識エネルギーこそ最大といわねばなりません。

あんでるせんの久村さんはとてもお安い料金で
何十年も続けてみえて、

「みなさんにもこのようなことは可能です。
やれると強く思って何度も練習すればできます。
あらゆることに感謝して、喜んで生きてください」と
締めくくります。

まさに太師の感がありますね。

幽体には肉体を持つ人間を見ることができない。
ただ達したイエスやクリシュナのような太師(グル)ならば
逆に幽体を見ることは可能のようです。

ですから空中から聖灰や指輪など出される古くは
サイババとかヴィシュワナンダさんとかまた
ヨガナンダのような方々にとっては普通のことなんでしょうか。

肉体を脱いでも永遠に生き続ける人間は望めば
幾度も形を変えて体験不足を味わうかのように転生します。
何万回もかも知れません。

また肉体と幽体とをつかさどる観念体の観念が
なくなりすっかり消滅すれば根源の無限光に吸い込まれ
もうこの肉の世界には生まれることはなくなるのかも知れません。

まずその根源を知ることで人生の生き方がまるで
変わるといわれます。そして決して足抜けは出来ないとも。
全ては意のままの人生って楽しそうですね。

そしてその喜びは物質世界で得られるそれとは
比較できないほどの感動感涙となるようです。

その根源を見たり知ったりするには瞑想が欠かせない。
そのことは飯島さんもいつもおっしゃってました。

人は死なない、そして生まれることもない。

そして人間は意識の持ち方で出来ないことは
何もない。

意識は最大のエネルギー。

この言葉を最後に・・・・。

人間って素晴らしい!!!