「人生はたわむれあいの ひまつぶし」
長崎、波佐見のHさんが、以前しきりに
そんなこと言ってた。
きっと今もそうだろうけれど。
8月に入ってからいろいろな集いに
、さまざまな人々が集った。
ちょこっと書いてみようと今日、感じた。
8/2夜 「バッカスの会」
名前のとおり、酒飲みの会。
ある異業種交流会のご縁の酒飲みが
3ヶ月に一度集う。
酒飲みでない方もいる。
男が4人、女が3人。
内男の3人の娘がみんな、芸術か音楽に
関係あるということで、酔った勢いで、コラボコンサート&
絵の展示を決行!って叫んでしまった。
ところが世話をされるもう一人の男性Mさんは、
なんでもプロで顔ひろし。
「ランの館」で11/12夕方開催に決定してしまった。
Tさんの娘さんは、静物を実物大に書かれる、
おそるべき画家だった。
そしてHさんの娘さんは、今をときめくバイオリニストで
「シーズン」というグループのリーダーらしい。
テレビのレギュラー番組も担当されてるよう。
知らぬこととは言えーーー。
ま、 決まっちゃったから。
8/5豊川で中村富子さんというかたの講演会。
富子さんは、手足を幼いころ切断しなくては
ならない運命だった中村久子さんの次女。
中村久子さんは手足がないのに、結婚して
こどもを育てたのだ。
ものすごいお話だった。
懇親会では、富子さんと少しお話させていただいた。
全国のおいしいもののお話だった。
講演のラストには、
「すべての人々との出逢いは、必然だから、
つまらない話で時間をすごすことはできない」とおっしゃったから、
富子さんにとっては、大切なお話だったのだろう。
名詞の持ち合わせがなかったのだが、
名前教えてって、おっしゃるので、紙切れに
名詞を書いてお渡ししたら、すぐに大きな封筒が届いた。
中には大好きですという、山頭火の言葉、絵葉書と
それに貼る切手。そして久子さんの色紙、「すなおな こころ」が
入っていた。
すぐにお礼のお返事をした。
「ありがとうございますノートから」2冊を同封して。
8/7 ありがとう村 護摩焚きとありがとうございます祭り
7日の朝3時からのありがとうございますまつり(長いね)に参加
滋賀山中のありがとう村でのおまつりに参加させていただいた。
1000人とか5000人とか参加者の数の記憶も定かじゃない。
護摩木は一万はこえてたかも知れない。
ものすごい火が行者の方をめがけているかのようだった。
ありがとうおじさんはもっとも隅で目立たぬように
座ってみえた。
夜明けまでは寒く、日がさして、舞台で出演者が演じるころには、
次第に暑くなっていった。
プライナスが出演した。
アルコールも手伝って、ジョボジョボになった。
その日お知り合いになった沖縄の女性も、隣に
いてくださった。まともに日がさす、カンカン照りの
正面席でした。
なんともプライナスがーーー。
ラウンドスケープ。
12日 「100人芝居 真夜中の弥次さん喜多さん」を観劇。
Tが出演するというので、半分義理と半分興味。
でもここ一ヶ月の間、Tはかなり集中してた。
見たことないほど。
そんなに若者を夢中にさせる人やことってなんだろう。
とても興味が湧いてはいたのだが。
興味の中心は、ラストシーン。
貴央と二人で想像していた。
(シナリオが公演直前まで未完成)
5回の公演を見た方の感想もまたさまざまだった。
出演した方の劇への理解度もさまざまだったように。
おそらく稽古しながら、しだいに形が完成していく中で、
出演者の方の多くが、いままでの自分を見たことだろう。
そして手段や状況は異なっても、それぞれの人生の
主人公には間違いないことを認識されたんではないだろうか。
演出家、天野天涯さんはインタビューで「なる」ということばを
たくさん使い、「すべて必然にて なる」と語った。
古事記の「なり なりて なる」に通じるのだろうか。
さて注目のラストシーン。
参加者すべてが「弥次さん喜多さん」の衣装をまとって、
「今」の「弥次さん喜多さん」に拝礼した。
見事だった。
そしてもちろん観客のすべても、存在のすべても
「弥次さん喜多さん」だと伝えたいのだろうか。
絶対孤独、自作自演。
14日ー15日 冠之会木曽駒 カルパに集う
いつもの言葉のいらない人々が集って、2日間
飲んで食べて、癒しあいをした。
気楽なゆったりの時間。
ガミガミの声は皆無。
16日 2箇所のお墓参り
恒例となっているY家とM家の墓参り。
なんていうことだろう。
13日の予定を16日の早朝からに変更したら、
家族6人全員参加。
おまけにY家のお墓ではRちゃんも参加して、
草むしりしてくださった。
「墓掃除のマスターよ!」なんて言ってたっけ、
可愛すぎる。
Y家のお墓で、空を見上げればものすごい数と
さまざまな形の雲さんたち。
みんな終わって、ほんとに10何年ぶりかの、
外食、家族全員だけの食事。
それだけで幸せだった。
こんな日はもうないかも知れない。
家内が一番嬉しそう。
16日 第2部 「こっとうせと志多ら ジョイント公演」
韓国のパーフォマンス集団「コットウセ」と日本の「志多ら」が
共演する公演にでかけた。
志多らはますます活力がアップしていた。
が素朴さは少なくなった。
「コットウセ」は頭の上に白くて長い紐を
つけて、首をふりながら、体をくねらせ、
しかも鐘や太鼓も同時に打つというパーフォマンスをする。
ものすごいエネルギーだった。
「コットウセ」のリーダーの挨拶がしみた。
「外は雨が降っています。
志多らのみなさんが汗を流し。
私たちコットウセも汗を流します。
私たちはお互いに言葉がわからない。
けれど出会って感じたことだけがすべてです。
志多らとコットウセそしてみなさんがいる
ただそれだけです。」
達人はどこにでもいる。
この半月、たくさんのところに出かけた。
最初に見たり出会ったりの感動は薄れていくものだ。
そして小さな人間的な感動は、数限りなく
訪れるけれども、「書きたい」に導く大きなゆらぎは
遠くに隠れたかのように、出会わない。
おそらくそれは、集いにはなく、一人かまたは少人数の
出来事のなかにあるのかも。
そして限りないものは、それぞれの
内側にみつけることしかできないのかもわからない。
長いのに読んでくださって、ありがとうございます。