ある道のり~次代への扉を探し求めて 1~

社業は発展し、利益は最高額を示します。

ですが心は晴れず、何かが違うと湧き上がり続けます。
その後次第にバブルの影響が業界にも及び、
徐々に低成長時代へと移っていきます。
過激な競争に、また自分の本当にしたいことは
「これではない」との確信が生まれます。

競争が激しくなれば、価格競争も激しくなり、
バブル期では業界のすべての会社が自然に
分け合っていた売り上げにも影響が出てきました。

製造メーカーや販売の代理店さんの統合が始まり、
誰の目に見ても競争過多と小売店過多が明らかになってきました。

少しずつ閉店する仲間も増えていきました。

そんな状況の中、堰を切ったかのように外部へ出かけました。
商工会議所の大きな経営者研鑽のグループにも
参加させていただき、多くの仲間を得、現在もお付き合いが
続きます。

またその頃名古屋で講演会を開催し、人々にそれから先の
時代に向けて必要なお話を聞く機会を設ける人々が現れました。
地球環境、自然農法、心の持ち方、瞑想、先端科学、
量子力学、音楽療法や言葉のもつエネルギーなどなど。

また自らも「慈藹塾」(じあいじゅく)を主宰し、さまざまな
講師の方のお話を伺いました。

もっとも衝撃を受けた方は地球環境の現状を語る
地球村の高木義之さんでした。

「もう売ってはならない」
そんな経済人としては「恥」ともいえる心が
芽生えたのです。

社員の方たちにはそのような方針は
もちろん伝えることができず、次代の扉を開く
鍵を得たくて悶々としていました。

「物を大量に売ることなく、地球の環境を守り、喜んで働く
ことができる道は何か」大きな異質な命題でした。

新興のポケットベルの代理店をしたり、その流れで
初期の携帯電話の代理店であるツーカーセルラーの
第一号(001)のお店にもなったりしました。
しかしその後電力系のポケベルは事業廃止となり、
ものすごい需要が出てきていた携帯電話の代理店も
なにゆえか、最大の売り上げがあった年に辞しました。

やはり「これではない」の心が深いところで働いていました。

1995年(平成7年)の一月に阪神大震災。
三月にはオーム真理教事件が起きます。

阪神大震災では、発生後5日の22日に月例となっていた、
神戸三田の「鏑射寺」のお参りに出かけます。
後にあの大事故があった福知山線が開通した日でした。

車窓から見る家やビルが傾いた情景は、私たちが
求めてきた物質のはかなさをいやでも感じさせました。
ところが「鏑射寺」の瓦は一枚もずれていないのです。
物質ではない何かの働きも感じずにはいられません。

そしてオーム真理教事件。
なぜかとても深いこの国の闇が明らかにされないままに
最近終止符を打たれようとしています。
人間のはかなさ、洗脳の力のすさまじさ。
時代は大きな曲がり角に来ていることを思いました。

阪神大震災は天風さん推奨の呼吸瞑想中に
起きました。
ガクッと揺れる少し前に地球の異変を感じました。

このふたつの大きな出来事が起きる以前の年、
心がなぜか感じたこともないようなワクワク感を
感じるできごとがありました。

商工会議所主催の「高度情報化社会」の講演です。
演者は福岡のH様。
この講演の日が来る前の一か月間、
ずっととても不思議な高揚感がありました。

その訳は、その講演のご縁で生まれた1995年の年のある出会いにありました。
かけがえのない友人、故飯島秀行さんとの邂逅です。

25年前のことでした。